発生原因
これは一話ですが、おおよそプロローグです。作者が趣味で描いているだけなので、過度な期待はしないようお願いしたします。
週最後の授業が終わった。六時限目終了のチャイムと同時に、クラス中が華やいだ。周囲は高校生らしく、土日に遊ぼうだとか、今週末は予定があるんだとか言い合いながら、皆が皆また一週間を乗り越えたことに喜んでいる。
「雨田さん、今日は委員会の仕事?」
クラスメイト達の喧々な様子を背に教科書をリュックにしまっていると、女子生徒に声をかけられた。
「ああ、うん。美化委員の担当があるから」
「そっか、頑張ってね」
そう告げると彼女は自分の席に帰ってしまった。私に話しかけてきた子は学級委員の和田さん。真面目な優等生だ。
私は内心溜め息をつく。せっかく声をかけてきてくれたのに、興味無さげに返してしまった。隣の席の子にチラリを視線を向けられドキッとする。
「麟ちゃんって本当クールでかっこいいよね」
「そんなことないよ」
一瞬の動揺を誤魔化す様にしまい終えた後の鞄のファスナーを閉める。
「そんなことあるよ。だってあの"委員長様"が麟ちゃんにだけは嫌味の一つ言わないんだし」
和田さんはいつもクラスを仕切っている。堅実な彼女らしいのだが、クラスメイト達にはそれを疎まれていて、陰で"委員長様"と言われている。
「委員長様は麟ちゃんに頭が上がらないんだよ、きっと!」
頭が上がらないんじゃなくて、私が絡みづらいんだろうな。目を合わせるのが辛くなって、視線を伏せた。
「まさかね」
という私、雨田麟も、噂されている人の一人だ。私は昔から口下手で、人とコミュニケーションをとるのが得意でない。そして、老け顔ーー周囲が言うには大人っぽい顔立ちらしいーーが災いして"颯爽としててクールでかっこいい"と持て囃されてしまっている。イメージが独り歩きして、一部の女子からは"イケメン"だとか"雨田さんが男の子だったら付き合いたい"などと言われることもある。関係を築くことが苦手なだけなのに、妙な期待をされてしまっているのだ。
隣の席の女子は話を続けたげにニコニコしていたが、気づかないふりをした。"かっこいい"という言葉は今や足枷だ。
そんな私でも、本当の私を理解してくれる知り合いがいる。化学の授業を担当している林美波先生だ。先生は新任なので、生徒達と歳も近い。それに、私が本当は怖がりで臆病で、素直になれないことを知っている。大好きな先生だ。
委員会の仕事である、校舎裏のゴミ捨て場の履き掃除を済ませる。当番制なので仕方がないことなのだが、冬に屋外で作業をするのは、いささかきついところがある。今日の当番は私一人だった。今日は花の金曜日。ここを片付ければ後は二日休みである。
箒をしまい、校舎に戻るべく校舎内とゴミ捨て場を繋ぐ、裏口の扉に触れた。
「ガタタッ」
背後で何かが崩れた音がした。振り返ると、粗大ゴミ置き場に積み上げられた脚の折れた椅子が倒れていた。
「…何?」
そこからひょろりとした何かが起き上がった。そこにいたのは二メートルはゆうに超えているであろう謎の人物だった。いや、人物と言って良いのかわからない。その下が一切見えないほど全身を包帯で包み、四肢はミイラを思わせるほど細い。包帯は所々黒い染みがあるし、この世のものというにはあまりに悍ましい。
その人型の何かはゴミとして出されていたCDラジカセを掴むと、こちらに向かって振りかざす。
「きゃっ」
怯えた子犬さながら悲鳴をあげて横に飛び退く。人型の振り揚げたラジカセは、ガコンと大きな音を立てて扉を歪ませた。
人型の怪物がこちらを向き直って、夕日が遮られた。顔に陰がさす。
理解が追いつかないが、逃げなければいけない!
怪物がラジカセを持ち上げたと同時に、私は扉を開け放ち、中に雪崩れ込んだ。ドアを後ろ手で閉め、鍵を捻る。ここは校舎一階。昇降口も非常口もある。どうするべきか少し悩んで、急いで階段を駆け登る。三階の教室にリュックとマフラーを置いている。このまま帰るわけにはいかない。
裏口の方でガコンと音がして、重い板が倒れる振動が足裏に伝わる。
「ひっ」
三階に荷物を取りに行ってここまで帰ってくるには危険すぎる! 私は二階にある理科準備室に逃げ込むことにした。理科準備室には授業の時以外いつも美波先生がいて、授業の準備をしている。教室に何処か居辛さを感じていた私は、昼休みに度々遊びに来ていた。そうだ、美波先生に助けてもらおう。
二階に到着して振り返る。頭の中の冷静な私が、こんな非常なことありえない、誰かの悪戯だ、と異議を唱えていたからだ。向いた先には人型の化け物がいた。外れた口元の包帯から、人間でいうなら耳までは裂けているであろう口が覗いている。化け物は階段の踊り場を抜けていて、私との距離はたった階段十二、三段。
「いや、やだ!」
今度は確実な恐怖を感じていた。躓きながら走る。半ば飛び掛るように理科室の扉に触れる。化け物はすぐ背後に迫っていた。まるで耳元を飛び回る蚊を捕まえるかのごとく私の頭を掴まんとする。急いでドアノブに手を伸ばす。
……あれ、美波先生、毎週金曜日は出張なんじゃ…。そんなことが頭を過ぎった。
頭では気づいているが、身体が追いつかない。私はドアノブを握った。
その時、身体に電流が走る。比喩ではない、実際に薄緑に発光しながら電撃が走ったのだ。その電撃は私の髪に触れた化け物にも伝わる。
「グァゥゥゥゥ!!」
化け物が後ろに弾かれ、頭部が解放される。扉は開かない。化け物の方へ向くと、化け物は焼けこげる紙のように黒茶に変色し、唸り声をあげた。
「ア゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛! ア゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛!」
空気の振動と足の震えでバランスを崩す。全身の力が抜けて背を扉にもたれた。そうだ、凶器を奪わなきゃ。慌てて思考を繋ぎとめ、CDラジカセを手に取ると、場違いな音楽が流れ出した。最近流行りの若いアイドルグループが歌うJ-POPだ。慌ててラジカセのコンセントプラグを見ると、確かにそれは私の手に握られていて、どこにも繋がっていない。電気など流れるわけないのだ。
化け物はその声を聞くと突然浮かびあかり、藁半紙のように安易に引き裂かれた。包帯の一部が目の前に舞い落ちる。ラジカセを放し、恐る恐る取れば、人間の目の形をした焦げ跡が目についた。先程の閃電で焦げてしまったのだろうか。先程のはそもそも何だったのだろうか。
儘ならない思考のままでいると、三階から誰かが降りてくる、ローファーの音がした。ビクリとして反射的に立ち上がる。
現れたのは和田さんだった。
「あ、雨田さんここにいたんだ。教室に鞄とマフラーがあったから、届けに来たよ」
一連の驚きのあまり心臓がバクバクして何も返せないでいると、彼女は私の顔を覗き込み、手持ち無沙汰なのか首にマフラーを巻いてくれた。
「えっと……、ぼーっとしてるけど大丈夫?」
和田さんはきまりが悪そうな表情をしていた。
「別に何もないよ」
自分でも驚くほどいつも通りに対応した。マフラーの静電気で髪がバチバチいう音に心臓の裏がぞわぞわする。和田さんに礼を告げ昇降口へ向かう。きっと疲れているんだ。
家に帰って一眠りしたら、あの曲について調べてみよう。