看取り、そして葬儀
朝早く、ホスピスから電話があった。
『今日は早めに来ておいた方がいいかもしれません』
二週間前から、ほぼ毎日そう言われていた。しばらく泊まり込み、小康状態となったので一度帰宅した翌朝だった。
正直またか、と思った。それでも看てくれている方々が言う事だから、と、疲れ切って寝ていて起きない姉を放置し(一応起こしたが後で行くと言われたので)徒歩でも行ける距離の病院に車で駆けつけ。
それからおよそ1時間後、私は一人で母を看取った。
呼吸が浅い、そう思い近付き、手首にふれ脈をとろうとした。脈が感じられず、慌てて首に手をあてた。
かすかにふれる脈、そして温かさ。
あぁ、逝くのか。何故か、そう感じた。
「もういいよ、おかん。これ以上頑張らなくていいよ」
若い頃、キャンペーンのポスターに写真が使われた位、母は綺麗だった。
歳を重ねても求婚者がいる程に(もう結婚はこりごりだとお断りしていたが)母は綺麗に歳をとっていた。娘の私よりスタイルもよく、身だしなみだと言いつつきちんと肌の手入れも欠かさなかった。
そんな母の美しさを、病魔は見事に奪い去っていった。
「自分も、お姉ちゃんも、ちゃんとやっていけるから。もう、いいよ。楽になっていいよ」
モルヒネは、確かに痛みをとってくれる。
あの薬が悪いとは言わない、ホスピスの皆様は実によくしてくれたと今でも思う。
だが。
「もう、いいんだよ」
決して治る事がない、そんな状態の患者を、ただ生かし続ける事に何の意味があると言うのか。
逝かないで、そんな事いくらでも思ってる。今この時点でも、泣いて縋りたい程逝って欲しくなんてない。
それでも。
それは、……残される者のエゴでしかない。
「大丈夫だから。……ありがとう、おかん」
声を震わせず、涙も流さず見送れたのは、今でも奇跡だと思う。
ナースコールに手を伸ばす事すら思いつかなかった。
今一瞬でも目を離したら生涯後悔する、そう思った。
目を開かず。
声もあげず。
ただ、静かに、本当に、そっと、そっと、……母は息を引き取った。
かなりの時間が経った気がしたが、我に返るまでの時間は数分とかからなかった。
ナースコールをようやく押し、看護師の皆様や担当医師が来てくれ、母をお願いし姉を文字通り叩き起こしに帰った。今思ってもよく事故を起こさなかったと思う。
母の兄弟に連絡し、義両親に連絡し、最後に夫の職場に電話をした。
「判った、すぐ行く」
たった一言が、本当に有り難かった。
取り乱す姉を従兄弟達に頼み、死亡届や退院手続をし、看護師の皆様のご厚意で母の清めをさせて頂いた。
清めにはどうにか姉も参加出来た。本当に本当にホスピスの皆様にはお世話になった。
伯父伯母達より早く駆けつけてくれた義両親には、もうどうやって感謝の言葉を言えばいいか判らなかった。
「遅くなって、すまない」
スーツ姿の主人が仮通夜の場に駆け込んできた時には、もう夜が更けていた。
大好きな主人の腕の中に包まれても、私の目からは涙ひとつ、出なかった。
本通夜の日。朝早くに葬儀担当者から連絡があった。
「申し訳ありません、かなり多くの方々が見えられているんですが、お通ししてもかまいませんか」
葬儀場の中にある、通夜用にと貸しだされている安置所に、続々と人が訪ねてきていると言うのだ。
大慌てで車を走らせ(ちなみに付き添いはドライアイスの所為で出来なかった)安置所に行くと。
「あぁ、ごめんなさいねぇ、休んでいたでしょうに」
「ちょっと顔を見て、帰るつもりだったんだが」
「申し訳ありません、お騒がせして」
母の職場仲間や友人達が、申し訳なさそうな顔で安置所の前に立っていた。
私が子供の頃から可愛がってくれ、何度もホスピスに足を運んでくれた方達だった。
それからも、ずっと、ずっと。
「お疲れ様、よく頑張ったねぇ」
「会いに来たよ、遅くなってごめんね」
「またそっちで会おうね」
途切れる事無く、母を大好きだった人達が母に最期の別れを言いに来てくれた。
もちろん、それは葬儀の日も変わる事はなかった。
「ここまで参列者が途切れない葬儀は、本当に珍しいですよ。お母さんは、本当に慕われていたんですね」
香炉を3つに増やしたにも関わらず、葬儀開始前から終了直前まで、香炉の前に出来た行列が途切れる事は無かった。それどころかびっくりする位お花も頂いた。弔電まで来た。
最終的には、百人を軽く超える人が母の葬儀に来てくださり、泣いてくださった。
「はい、自慢の、母です」
涙が止まらなかった。
それでも、悲しいだけじゃなかった。ここまで慕われていた母を、本当に誇りに思った。
「こっちで仕事するならいつでも連絡しておいで」
「彼女のお嬢さんだ、絶対に悪いようにはしない」
そう言って下さる方がたくさんいた。連絡先を直接教えてくる人までいた。
母は亡くなった後でも私を守ってくれる。助けてくれる。
更に泣いた。
葬儀後も多忙を極めた。準備していても目が回る程の忙しさだった。
たとえ人でなしと言われようとも、事前の葬儀相談や墓の準備は本当に必要だ、やっていて良かったと改めて思った。
もしやっていなければ、母と最期の別れをする時間すら無くなる所だった。
「ごめんね、私も落ち着いたら帰るから」
「ん」
一年以上放置した主人をまたしばらく放置する事を詫び、空港のゲート前まで見送る。
「お疲れ様」
優しく撫でてくれる、大きな手。
「本当に、よく頑張った」
何で普段はこの朴念仁と叫びたくなる程なのに、こういう時はこんな対応が出来るんだろう私の最愛は。
『あの子なら大丈夫』
そうだね、おかん。
どうやら本当にいい相手と結ばれたみたいだよ。
おかんが散々娘をくれてやるに値する相手かって値踏みして見定めて、あれこれ条件付けたのにそれを乗り越えて私をゲットした程度には、いい男だよ。
「待っている」
「……ん」
でも空港の只中で人を号泣させるのはどうかと思う。
「ただいま、おかん」
実家を引き払ったので、今は姉の家に母の仏壇は安置されている。丁寧に手入れしてくれている姉のおかげで、母の仏壇はいつも綺麗だ。
もう家族三人で肩を寄せ合い暮らした場所はないけれど。
「お帰りー、妹よ。お土産は?」
「まず聞く事がそれか姉上」
貴女が作ってくれた思い出と絆は、今でも私達の中に生きている。