大津と鞍馬天狗2
もぞもぞ。
静かになった、と思って大津は恐る恐る顔を上げた。
そこには、黒い黒い、小さな男の子がいた。
その黒いものが彼の背中から生えた翼だと気付いた時、大津はまた倒れこんでしまった。
対する良は、殴った拳が痛むのを我慢しながら、男の子に声をかけた。
「あんたが天狗?・・・なんかちっちゃい。」
すると、男の子は、すっくと立ちあがった。
「お前、強いな!!でもちっちゃいは余計だ!」
いや~、良い拳だ、と彼は腹をまださすりながら、破顔した。
「うちは荒神良。あんたは天狗なん?」
良は完全無欠の無表情で、彼にもう一度聞いた。
男の子は、顔を引き締めた。
「俺は、五郎太。変化は解けちまったが、立派な鞍馬天狗さ!うちの結界を壊したのはお前だよな?」
そうよ、と良はニコリともせず答える。
「早速だが、お前は鞍馬天狗一派にケンカを売ったことになる。でも、俺はお前に負けちまった、だから客としてお前を招くことにする。」
その言葉を聞いて、初めて良は口元を緩め、後ろの大津に声をかけた。
「先生!天狗の里に招かれますよ?!一緒に行きましょう!」
ところが、大津は、二人の話が耳に入らないほど必死に祈っていた。
天狗様、うちの学生がすいませんでした、許してください!!!
呪わないで~!!!
そんなことは全然知らない良は、大津はつっついた。
「先生?」
そこでやっと大津は目を開き、事の次第を知ったのだった。
「荒神さん、天狗の里にさ、行くのやめない?」
大津は良にこそっと話しかけた。
「なんでですか?絶好のチャンスじゃないですか?」
「だって敵の本陣に切り込むようなものだよ?それにさ、僕人間、君鬼。これダメなやつだと思う。」
大津は、妖怪学の専門だが、妖怪は専門ではない。
そもそも僕は一般人で、天狗の里に行ける身分ではない。
そう力説したが、良には一つも響かなかった。
「五郎太くんに、連れも連れていっていいかって言ったら即オーケーでしたよ?」
・・・終わった、僕の人生。
グッバイ、今までの穏やかな日常。
ああ、なんて幸せな人生だったんだろう。
大津の脳裏にまたもや走馬灯がよぎった。
「じゃあ、良!大津!里に行こう!」
男の子、もとい五郎太の案内で、良と大津は人生初の異界へと踏み出した。
どうも、良の破った結界の奥に里はあるらしい。
良は、情報が聞けるかもしれないという期待に胸を膨らませて、大津は地獄の入り口だと思いながら、その一歩を踏み出したのだった。
五郎太は、10歳ほどの見た目をしているが、もう200年くらい生きているらしい。
・・・ほんとファンタジーだな。
大津は死にそうな目で、ニコニコしながら隣を歩く彼を見る。
黒く艶めく無造作ヘアーに、よく見ると紫色に輝く瞳。
とっても可愛らしい見た目をしている彼と、良とを見比べ、大津は美形(妖怪)ぞろいに平凡(人間)だと、涙目になりながらそう思った。
周りはどんどん森深くなり、大津の体力がもう限界だとなりかけたその時、急に開けた場所に出て、良も大津も驚いた。
「ここが里だ!多分天狗の猛者たちが集まって、結界を壊したやつを待っているぞ~!」
・・・やっぱりここは地獄か。
大津はぼそりと呟いたのを良は聞き取ったらしい。
先生大丈夫です!いざとなれば、またグーパンチで、というが、それが不安なんだよと言えない大津なのであった。
立派な木造建築がずらりと並ぶ中、ひときわ大きな建物に、五郎太はずかずかと入っていく。
良と大津は緊張しながら後ろをついていくと、大きな障子をスパーンと音を立てて、五郎太が開けた。
そこには、歴戦の猛者といってふさわしい屈強な天狗たちが勢ぞろいしていた。
大津は身震いがした。
その中でも、いかにもトップの座に君臨しているだろう大きな天狗の前に五郎太は座る。
良は平然と五郎太の隣に座り、大津もいよいよ腹をくくるしかないと、良の隣に正座した。
荒神さんのあの肝っ玉はどこからくるんだろうと考えながら。
「五郎太、お前、こんな嬢ちゃんに負けたのか、まったく修行が足りんな。」
唸り声のような、どすの効いた声が辺りに響く。
大津の震えは最高潮であった。
そんな大津の太ももに良は手を置き、口パクで大丈夫ですよ、と優しく笑った。
「じいちゃん、ごめん!不意打ちでな。」
五郎太のあっけらかんとした返事にも緊張感を感じてしまう大津。
「まあ、五郎太のことはさておき、嬢ちゃん、お若いの。」
良と大津はその次の言葉を待つ。
「天狗の里にいらっしゃい!!!」
突然声色が明るくなり、猛者たちが笑い始めた。
「久々の客だ、酒の準備はできているか?!」
「お若いの、酒が弱そうだなあ!」
がはは、と効果音のつきそうな満面の笑みに、少なからず緊張していた良と、大津は気が抜けてしまった。
どんどん酒や食べ物が運ばれてきて、天狗たちとの大宴会が始まった。
「まさか五郎太が負けるとは、大した嬢ちゃんだ!しかも拳一つだろ?」
「鬼と人間のはーふかあ!」
「お前さんは普通の人間なんだよな?」
良と大津に酒を注ぎながら、代わる代わる話しかけてくる天狗たち。
ハーフ、という言葉を知っているが、どことなくひらがなに聞こえるのは天狗の愛嬌か。
とにかく、思ったより親しみやすくて、二人は驚いたのだった。
そして、じゃんじゃん酒を注いでくるし、自らも飲む。
おかげで、若い良は酔いつぶれて眠ってしまった。
しかし、大津はこれといった特技はないが、酒に強いことだけは自信があり、次々と飲み比べに挑んでくる猛者たちを(精神的に)蹴散らした気分になっていた。
天狗たちや、みんな昼間から酔いつぶれて倒れていくなか、最後に残ったのは大津とボス天狗だけだった。
まったく、鬼のお父さんの話を聞くのは僕の役目じゃないか、と大津は内心ため息をついた。
「いやあ、お若いの。見かけによらず、めっぽう酒に強いな!」
ボス天狗はにやりと笑って、大津に話しかける。
「酒が強いことぐらいが特技です。ところで、本来は荒神良さんが聞くことだったのですが、彼女のお父さんの鬼のことをご存じないでしょうか?」
「いくら妖怪が減ったと言えども、鬼の一族は人間に混じってまだまだ存在する。しかも、わしの孫の五郎太を一発で倒すほどの力を持った娘の父親となると、相当高位の鬼になるだろうな。」
大津は酒を注がれながら、ことの大きさに息をのんだ。
よく考えたら、そうだ。
天狗の一発で倒すほどの力、しかも、彼女は人間の母親とふたごの妹がいる。
つまり、半分は人間ということだ。
大津は、彼女が妖怪のハーフということに納得せざるをえなくなった。
自分の教え子が・・・鬼。
なんとも言えない気持ちに大津は言葉を飲み込んだ。
「あいにく天狗はこの地をあまり離れんからな、役には立てそうにない。」
ボス天狗は真摯に答えてくれたが、結局具体的な情報は得られなかった。
数時間経って、良がやっと目が覚めた頃、既に日は傾き始めていた。
五郎太を含む天狗は泊まっていけばよいと言ってくれたが、大津は学校があるからと丁重にお断りした。
帰りも五郎太が案内してくれるらしい。
「先生、すいません私酔いつぶれちゃって・・・。」
良は眉毛を下げて本当に申し訳なさそうに謝る。
最近、といってもここ2、3日で当初無表情だった良の表情が朗らかになってきた。
そもそも感情が明るい子みたいだが、なぜ学校では仏頂面をしているのか。
大津はふと不思議に思う。
まあ、また今度聞いてみよう。
おそらく彼女と父親に会えるのはまだまだ先だろうから。
そう考えて、大津は苦笑する。
妖怪を見たことがなかった自分。
それが、2、3日の間に鬼と天狗に出会うとは。
幼い頃から憧れてどんなに恐ろしい存在だろうと夢をはせていたが、実際は人情に厚い者たちばかりだった。
むくむくと、少年時代の冒険心がうずくのを感じる。
それも全て彼女、荒神良のおかげだ。
これからどんな妖怪に出会うのだろうと期待している自分に気づいてしまった。
彼女といれば、『若き日の青春』というものを取り戻せそうな気がした。