#4 始まり③
しばらく泣き続けていた佳奈が,舞から体を離したのは結局5分程経ってからだった。
「もう落ち着いた?」
「…うん。ごめんね,お姉ちゃん」
最後の涙を袖で拭い,2人は笑いあう。
ずっと2人の様子を見守っていた青年も,それで安心したのか今度こそその場を離れようとする。
「あ,ちょっと待って!」
しかし,再び佳奈の声がその足を止めた。
「……今度は何だ?」
「お姉ちゃんを助けてくれて,ありがとうございました!」
仕方なくといった様子で青年が振り返ると,佳奈は大きく頭を下げた。
「本当に,ありがとうございました」
「………」
並んで頭を下げる2人の姿に,青年は言葉を詰まらせる。
不意に頭に浮かぶのは,遠い日の記憶。
『ねぇお兄ちゃん。もしユイに何かあったら,助けてくれる?』
『当たり前だろ,兄ちゃんに任せろ。お前もタクミも,兄ちゃんが絶対守ってやる』
『うん! ありがとう,お兄ちゃん!!』
家族みんなで幸せに暮らしていた,あの頃の記憶だ。
悪魔と戦うようになってから,ずっと心の奥にしまっておいたはずなのに,なぜ急にそんな事を思い出したのだろうか。
「…礼なんて良い。俺は,俺の役目を果たしただけだ」
そう返事をしてから,青年はようやくその理由にたどり着く。
――こんな風に,普通に会話したのは,何年振りだったかな。
これまで,悪魔に襲われた人間とこんな風に話した事は無かった。
普通の人間はこの状況について行けなくなり気絶するか,俺にも恐怖を抱いてすぐに逃げ出す。
今まで続けてきた戦いの中で,自分に話しかけてきた奴も,ましてや礼を言う奴もいなかった。
ただ一人の話し相手でもあった,俺に戦い方を教えてくれたアイツがいなくなってからは,ただひたすらに悪魔を探し,殺すだけの生活を続けて来たのだ。
「…じゃあな」
アイツがいなくなった日に,この先は人間の心など捨ててみせると誓ったというのに,久しぶりの会話でこうも簡単に揺らいでしまうとは。
これ以上ここで話を続けたら,自分が自分で無くなってしまうのではないかと思い,青年は足早にその場を去る。
「…俺は悪魔殺し。人間の心なんて,もうずっと昔に捨てたはずだろうが」
そして,また別の場所に満ちる悪魔の気配を辿り,銃を抜く。
再び闇に紛れたはずのその心に,先程芽吹いた僅かな暖かさを残していた事に,彼はまだ気が付いていない――