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6・この手を取って<前編>

「ったく、勝手にしなさい」


果てしなく続きそうな母親の説教電話は、吐き捨てるようなため息とともに受話器を叩きつける音で終了した。

そもそも、ぽろっと結婚を延期したい、などと口走ってしまった私が悪いのかもしれないが、それでもあんまりだ。

最初はまだ早い、と愚痴っていたのに、今では私以上に太志さんのことを気に入った母親は、私を置いてきぼりにして花嫁ドリームに浸っている様子だ。お約束だけど、父親はいるのかいないのかよくわからないし、こういった家族の愚痴を共有できる兄弟もいない。私はただ、大人しく受話器を片手にこちらも盛大にため息をつくしかない。

色々、面倒くさい。

このまま突っ走ってしまえばある意味楽ではある、と、怠惰な私が揺さぶりをかける。

太志さんのことを嫌いになったわけじゃない。

ただ、あの時感じた思いがいつのまにか色褪せ、私の手の中には一粒も残されていなかっただけだ。

だけど、それを上手く言葉に説明することができない。

卑怯モノだけれども、いっそのこと太志さんのほうが不貞を働いてくれないか、などとけしからぬことまで考えるしまつ。

何もかも捨ててどこか知らない場所へ行きたい。

そんな現実的とも夢物語ともいえぬ思いを抱きながら、煙草に火をつける。

白い煙が立ちのぼり、ゆっくりと私の体を包み込んでいく。

煙草があれば、男はいらないかもしれない。

ゆっくりと吸い込んだ煙を吐き出しながら、私は天井をみつめる。

室内禁煙を破ることって、思ったよりも簡単だったのだ、と、気がついた。




「百合、昨日藤崎君が来た」


前回とは反対に、色々な雑誌を持ち込んで千歳がやってきた。

やっぱりパジャマになって、色々な料理を並べて満足そうな私に、千歳が唐突な話題を切り出す。

その名前がいまだに私自身をひどく動揺させることに落胆し、私は気取られないように千歳に先を促す。


「なんか、謝ってた……、んだけど」

「謝ってた?直人が?」


他人を思う存分振り回し、どちらかといえば不遜な態度をとる直人が謝罪をするところを想像して、あきらめた。

どう考えても謝るぐらいなら最初からしない、というスタンスの彼がそんなことをするところなど信じられない。


「最初はかっとなって思わずバケツの水をかけそうになったんだけど」


千歳はこうみえて、結構直情的だ。

だからこそ、私以上に当時の直人のやり方に対して怒ってもくれたのだし、どちらかといえば無味乾燥な私とも相性がいいのかもしれない。


「かけちゃえばよかったのに」

「や、花入ってたし」


さっくりと花のほうが大事だと言い切った千歳が、缶ビールをあおる。


「今さら信じられないかもしれないけど、っていうか、私自身信じられないんだけど」

「ん?」

「あの時、もう連絡するなって、言ったの妹さんだったよね?」

「そう、だけど」


ズキズキする気持ちをパジャマをぎゅっと掴む事で抑える。


「あれ、妹さんが勝手にしたこと、だって言ってた」

「勝手に?」

「うん、藤崎君はそう言ってた」

「妹さんが?」


あのときの棘を含んだ声は忘れることなく頭の中で正確にリピートされる。

だけど、地面がぐらぐらするほどの喪失感は薄れ、それでもどこかぴりぴりする痛みが伴ったままだ。


「でも……」


徐々に連絡が取れなくなっていったのは彼の意思のはずだ、と思い返す。

いくら最終的に妹さんがそういう戯言を吐いたのだとしても、それ以前の信頼関係が築けていれば問題はなかったはずだ。


「なんか、妹さん本人もすっかり忘れてたみたい」

「忘れるって?」


あんなに大変な目にあったのに、という言葉を飲み込む。第三者からみれば、単なる遠距離恋愛の破綻であって、それ以上でもそれ以下でもないのだから。


「うーん、藤崎君曰く、だよ?なんか、別にお兄ちゃんとられちゃうってかんじじゃなかったみたいなんだよね、どうも」

「お兄ちゃん大好きってかんじではあったよ?」


一度だけ会った彼女の視線を思い出す。

あまり好意的ではない何かを感じ取ったのは穿ちすぎだったのだろうか。


「まあ、好きは好き、なんじゃない?結構仲の良い兄妹だったみたいだし。でも、妹さんに彼氏ができたらあっさり兄離れしたらしいし、だから今まで妹がそんないたずらをしただなんて思ってもいなかったみたいなんだけど」

「いたずら?」

「うん、そう、いたずらって言ってた」


病院の匂いを思い出し、原因と結果のあまりのギャップに言葉が出なくなる。


「本人にしてみればちょっとしたいたずらってことだったみたい。だから藤崎君がかなりしつこく聞きまくってようやく思い出したみたい」

「軽い、気持ち、だったりして」

「妹さんにとってみればね、ちょっとこじれちゃえばいいやって軽い気持ちだったんじゃない?まあ、結局こういう結果になってしまったんだから笑って済ませられるこっちゃないけどさ」


少しぬるくなった缶ビールを飲み干す。

アルミ缶はあっけなく私の右手でつぶされ、さっと千歳がとりだした冷えたビールが目の前におかれる。


「そんなもの、だったってこと、だよね」


妹さんの拒絶の言葉が徐々に頭のなかから消えていく。

私が拘って、私の心をひどく揺らしたあの日々は、妹さんにとってみればただのいたずらからもたらされた。あっけなくも馬鹿馬鹿しい理由すぎて、どこか気持ちの悪さが伴う。それでも落ち着いて考えてみれば、どこかしっくりきて、私はようやく冷静に当時の自分たちを思い返すことができた。

そう考えると、自分だけ大騒ぎをしたのが子どもみたいに思えてくるから不思議だ。

そんなもの、だったのだ、所詮。私と直人の付き合いというものは。

第三者のちょっとしたいたずらであっけなく終わってしまうほど脆いもの。所詮子供同士が指きりして約束した程度の重み、ただそれだけのことだ。

あんな言葉がなくったって、どうせ二人の関係は終わっていた。

直人がいなくなることが泣く程嫌だったのなら、彼から連絡がなくなる前に会いに行けばよかったのだ。

なにも彼は宇宙に旅立ったわけじゃない。飛行機に乗れば一日もたたずについてしまう陸地へ旅立っただけなのだから。

直人の方にしてみても、いくら妹さんの横槍があったとしても、私は大学を変えてはいなかったのだから、私に会いにくることができたはずだ。

それを放ったらかしにしておいて、それでも大人しく待っていてくれるだなんてむしが良すぎる。

あの時は思ってもいなかった直人への怒りがわいてくる。

あんなことぐらいで終わってしまう男女は、やっぱりそのうち終わってしまったに違いない。

どうしてあの頃の自分は、こんな単純で簡単なことがわからなかったのだろう。

千歳が差し出したビールを飲みきり、心配そうにこちらを覗き込む千歳と目があう。

作らない本当の笑顔で、千歳にお代わりを要求する。


「なんか、いい顔してる」

「うん、ふっきれた」


こんなに簡単に人間ってふりきることができるのだ、と、自分自身に呆れてしまう。


「ま、そういうことなので、千歳の相談事にのるけど?」


千歳が持ってきた雑誌を手にとりながら、もうすでに数えるのが嫌になってしまった缶ビールを開ける。


「んーー、もういっこだけいい?藤崎君のこと」

「ん?いいけど?」


本当に言い辛そうにしながら、白い紙を差し出す。


「連絡くれって、言われたんだけど、さ」


あらぬ方向をみながら、素早く私へその紙切れをよこす。

どうやら、直人の話を聞いて、彼のほうにその同情心が沸いたようだ。

そういうところが千歳らしくって、思わず吹き出しそうになるのをこらえる。


「暇になったらちょっと連絡してみるわ、まあ、私はどうでもいいんだけど、あっちが立ち止まってたらあれだしね」


さっさと歩きだせそうな私は、付き合ってきたときとは反対に、いつまでも取り残されたままの直人を想像して口元が緩む。

本当に何かのオモリが取り払われたかのように、私の気持ちは軽くなっていった。

そして、自分が進むべき道も、なんとなくわかってきたような気がした。

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