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1.神さまの気まぐれ

 唐突に舞い込んだはがきに、チクリと胸が痛んだ。

手紙を貰う機会もめっきり減ったこのごろ、心当たりのない葉書を受け取った。何気なく差出人に目を運ぶと、そこには切ないほどに求めて、だけれども掌から零れ落ちていった人の名前が記してあった。

何かの間違いだろう、と、宛先を見れば確かに私の名前を確認することができた。

彼が過ごしているであろう都市が写されているはがきの裏には、住所と簡単なメッセージがぽつんと記入されていた。

その素っ気無さがあまりにもあの頃のままの彼のようで、一気に懐かしい気持ちが流れ込んでくる。

一時、忽然としながらもそのメッセージを繰り返し読む。

懐かしい思いは、引きちぎられたような記憶までも呼び覚まし、携帯電話の着信音とともに現実に戻る。

過去を振り切るように思い切ってそのはがきをゴミ箱へと投入する。

振り返ればもう一度拾いなおしてしまいそうで、そちらへと未練を残さないようにしながら通話ボタンを押す。


「今大丈夫?」


携帯から聞こえてきた声に、安堵とともに、あの人の声とは違う、と思ってしまった自分を叱責する。


「大丈夫」


聞こえないように深呼吸を一度だけした後、いつもの他愛ない会話を続ける。

私はもう、この人と結婚をするのだから、もう二度と私を振り回して欲しくはないと、祈りながら。




「あー、花嫁様だぁ」

「……その言い方はやめて欲しいんだけどさ」

「だって、花嫁じゃん。幸せおーらーーー」


高校からの同級生である千歳にからかわれながら、それでもさほど嫌な気がしないのは、やっぱり幸せな気分にどっぷりと浸っているからだろうか。仲間内では比較的早くに結婚する私を、珍獣でも見るかのように扱う千歳は、物珍しさと物悲しさが合わさっているのだと、この前の飲み会の時に吐露してくれた。

自分の忙しさだけにかまけて、親友の気持ちに無頓着であった自分にこっそりと活を入れ、吐露してしまった恥ずかしさを誤魔化すようにふざけている千歳を見つめる。


「そういえばうちらって同窓会とか一度もしたことないねぇ」

「んーー、まあ、結構ちりじりになってるしね」


可もなく不可もなく、といった関係であった高校三年次の同級生達は、中途半端な進学校とはいえ、それぞれ全国へと散っていった。それでも成人式や大学卒業式の折に小規模ながらも同窓会を開催する、といった話は無い話ではないわけで、それすらまったく耳に入ってこない、というのも逆に珍しいのかもしれない。


「まあ、女側の幹事が私で、男側があれじゃあ……、ねぇ」


あれ、と千歳が評した男の子の映像が瞬時にして浮かぶ。

この間受け取った絵葉書とともに。

ぴくりとも動かさない表情で悟ったのか、千歳もその話題からは、私の結婚準備の話へとやや強引に切り替える。

私はまだ、こんなささいなことで動揺してしまうほどあのことを引きずっていたのだと、ざわざわ落ち着かない胸のうちを思いながら考える。

いや、動じる事ができるだけの余裕ができたのだと、気がつかれないように深呼吸をしながら千歳の会話に相槌を打つ。

上手に笑えていると思う。

ぽつんと取り残されてしまったような薄ら寒い孤独感を払拭しながら、楽しい事だけを考えるようにする。

大丈夫、私はもう全てを断ち切ったのだから。




 千歳との食事を終え、誰もいない部屋へとたどり着く。

学生時代から住んでいたこの部屋ももうすぐ引き払わなくてはいけない。

やたらと感傷めいた、湿っぽい思考回路のまま、ポストから取り出した郵便物を確認する。

ダイレクトメールと宅配専門店の広告を無造作にゴミ箱へと放り投げる。

必要なものだけを机の上へおき、再びゴミ箱へと視線を移す。

この間からはゴミの日が一度ならずとも来ているため、当然ゴミ箱の中のものはとっくにどこかの集積場から処理場へと運ばれているはずだろう。

いや、恐らくすでに燃やされて灰となっているはずだ。

なのに、どうして、こうやって確認をしてしまうのか。

後悔、なら、あの時死ぬほどしている。

なのに、またこんな時になって蜘蛛の巣が体にひっかかるかのように、拭えない何かが体にぴったりと張り付いているような気分だ。

あの時、すべてを捨て去ったのだから。

小さく頭を左右に振って、パソコンを立ち上げる。

薄暗い室内に、ディスプレイの灯りがぼんやりと広がる。

さよならの言葉を、あの人からもう二度と聞くことはないのだから。




 年度末は色々忙しく、それでもお互いが暮らしていくための準備はのろのろと進んでいった。

どうせ賃貸に住むのだからと、インテリアや家電製品に拘りの無い二人は、お互いのものを持ち寄ることで大部分をカバーする予定だ。

それでも、細細としたものは購入する必要があり、それらは全てどちらかというと仕事のヒマな私へと丸投げされることが多い。

それについて文句はないけれど、だけど、一生懸命検討して導入したそれらを、一瞥して否定されたときには、恨み言の一つでも喚き散らしたくなる。

まだどこかで遠慮しているのか、それらの鬱屈した思いは全て私の内臓へと蓄積されていき、おかげで食欲が減って快調に体重が減少している。

それをやつれると、誰かは言うかもしれないけれど。


「うーーん、これって必要?」


久しぶりに二人そろって家具屋へと出かけた日、彼は相変わらずの口調でのんきにそんなことをのたまった。

チクリ、と痛む胃を擦りながら口角をあげる。

私には必要なの、と、大声を上げて主張すればいいのに、無言なことをいいことに彼は却下していく。

結局、散々二人してみて回ったのに、購入したのは替えのベッドカバーのみ。

これならば通信販売で勝手に購入しておけばよかったと、まだ痛む胃を思いやる。


「メシでもいくかあ」


私の気持ちなど気がつきもしないで、両腕を突き上げて伸びをしながら駐車場へと歩き出す。小走りでそれについていく私は、なんとなく、これがマリッジブルーというやつなのかも、と、鬱屈した気持ちを全てその言葉で簡単に片付けようとした。

これからいく先が、とりあえず刺激の少ないものだといいのに、と、思いながら。




私の願いに反して、どうしてだかインドカレーの店にたどり着いた。

割と保守的な彼が行く店は決まっていて、そのローテーションの中で容易に想像できた店ではあるけれど。


「百合はどうする?」

「んーー、いつもので」


チャイだけにしてください、というわけにもいかず、取り合えず何時ものメニューを注文する。


「雨降りそうだなぁ」


窓際の席に案内された私たちは、とおりからこちらが見渡せるのと同じく、こちらからも外界を見渡すことができる。

店内にいる私達など気にもとめないで、通行人が通り過ぎていく。それらを照らすはずの空は、どんよりと暗い灰色の雲に覆われており、今にも雨が降り出しそうではある。

コトリと置かれた皿には、キーマカレーが注がれており、ナンとサラダも程なくしてテーブルの上にセッティングされた。

小さくナンをちぎっては、なんとかそれを押し流す。

チリチリと焼けるような胃は、さきほどからちっとも落ち着いてはくれない。


「披露宴とかしないでよかったよ、ほんと。これでその準備もあったらお手上げだよね」

「……、まあ、ね」


その準備すら私へ丸投げではないかと、喉元まででかかった言葉を押し込める。

確かに、これで人並みの披露宴を行なうとなれば、私はキャパシティーをあっけなくこえ、爆発しているだろう。


「引継ぎとかどう?」

「うん、ぼちぼち」


年度末をきりに、私は退職をすることになっている。もちろん結婚に伴う寿退社というやつだ。

入社した時には私がそんなことをするだなんて予想もしていなかったけれど、未来とは予想よりもあっけなく現実臭いものなのかもしれない。

もちろん、結婚したからといって退社しなくてはいけない、ということはない。

ただ、同じ社内の人間と結婚する上に、別部署だけれどもフロアまで同じときては、周囲が気を使う。というのは建前で、なんとなく周りからの圧力に私の方が辞めざるをえなかっただけだ。ああいう無言のプレッシャーというのは、和を持って尊しとする日本社会ではまだまだ健在なのだと、思い知らされた。

もちろん、そんなことを気にせず働きつづけることもできるだろうけれど、遠からず彼、太志さんの方に圧力がかかっただろう。お前の配偶者を辞めさせるように、と。

そんなことをごちゃごちゃ思い返しながら、再び空と同じぐらいどんよりとした気分に沈み込んでいく。

これは、ただのマリッジブルーだと、繰り返し言い聞かせる。

こんな憂鬱な気分も、私だけが変化を強いられている、という被害者意識も、何もかも、時が過ぎれば笑い話にできるほど些細な出来事だったと、きっとそう言えるのだからと、コクリ、と水を喉に通す。

あまり減ったようには見えないカレーの皿と、すっかり綺麗に片付いてしまった彼のほうの皿。

何かを象徴していそうで、私はそっと目を瞑った。




両目を窓の外に向けたとき、懐かしい車が通り過ぎていく姿が飛び込んできた。

その色の車の持ち主を私は知っている。

いや、違う。

あふれるほど同じ車は日本中に走っている。

違う。

あの、色の、あの、車。

昔と同じところに見知ったぬいぐるみが置いてあるあの車。

違う。

静かに再び両目を閉じる。

あのはがきの文字が浮かび上がる。

日本に戻る。お前のところに行く、と、だけ記してあったそのはがきの文字を。

懐かしくて思い出したくもない名前とともに。


私は、確かにあの車の持ち主を知っている。

藤崎直人という、たった一言で私を切り捨てて外国に行ってしまった男だ。

そして、再びたった一言を添えて、私のところに戻ってくると宣言した男だ。

目の前の太志さんの声で、現実に戻る。

心配そうにこちらを眺める彼に、できる限りの笑顔を向ける。


「大丈夫、ちょっと疲れているだけだから」


全ての思いを封じ込めて、私は嘘をつく。

私は、あの時に、全てを忘れ去ったはずなのだから。

だから、私は、あの車のことなんて知らない。

その持ち主がだれかだなんて。

知らない。

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