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6.友達の門出

6.友達の門出



 インフルエンザに罹患した松は、まるまる一週間仕事を休んだ週明けの月曜日に出社した。


 長く休んでしまって申し訳ない気持ちと、いや、ひょっとしたらこの一週間の間に席がなくなってしまったのでは…という、笑えない可能性を考えて、いつもより一時間以上も早くオフィスにやってきた。



 机の上には、この一週間の間にたまった仕事がキレイに並べられ、また、既に処理済のものは、「処理済みです」というメモとともに丁寧にクリップ留めをされて、分かりやすいように置かれてある。


 

 その殆どの作業を、メモの字を見れば、乙部さんがしてくれていたことが分かる。


 朝の九時から五時半という限られた時間の中で、わずかな隙間をついて、あれこれと病欠中の同僚の分までせっせとこなしてくれる彼女は、派遣社員にもかかわらず、非常に優秀な人だ。


 仕事の受け答えも、スマート、丁寧、かつ迅速な乙部さんは、松がこうなりたいと見本にしたくなる女性のひとりだ。



 机の上を片づけていると、乙部さんが出社してきた。松は立ち上がって彼女の席まで行き、丁寧にお礼を述べた。



「ご迷惑をかけました」



「いいのよー。インフルなら、むしろ出てこられた方が迷惑だし!」


乙部さんはケラケラと笑いながら言う。


「それよりか、瀬名さんが先週の水曜日から休んでいるんだけどさ」


彼女は小声で付け足した。


「月曜も火曜もしんどそうにしていたけど、水曜にとうとう休んじゃってねー。彼もインフルエンザなんだってさ」



「えっそうなんですか」



「水曜日の朝に瀬名さんから電話があってね、インフルかもしれないんだけど、絶対休めないアポがあるから出社したいなんて言うもんだから、トクミツ部長が怒っちゃってねえ。まず医者に行って、絶対完治してから出て来いって、下手に出てこられてウィルスまきちらされたらかなわんからって、電話でブーブー説教していたよ」


乙部さんがトクミツ氏の口調を真似て教えてくれた。



 乙部さんはとても面白がっていたが、松は、ばつの悪さを感じずにはいられなかった。



「瀬名さんの風邪、私が移したのかも…」



「気にしなさんなって!瀬名さんが来てからずっと残業続きだったもんね、具合ぐらい悪くするよ。一週間休んで体力回復できたのなら、よかったじゃないの」


そう言って彼女は松の肩 叩いて励ました。



 乙部さんの明るい笑顔に慰められて、単純な松は気を取り直した。それに、瀬名さんが休んでくれたお陰で数日は平穏な日々を送れると思うと、何とも気持ちも軽かった。




 その次の週末は、桐子の結婚式だった。


 病み上がりで体調が万全ではなかったけれど、久しぶりに桐子に会えるし、同期の友達も多く招かれているので、一同に会えるという楽しみもあって、松は、イソイソと出かけて行った。



 結婚式は、街中にある大手のシティホテルで執り行われた。


 真っ白なバラのブライダルブーケを手に、純白のサテンのプリンセスラインのドレスにカスミソウのような薄いベールを纏った桐子は、夢の国の住人のごとく美しかった。



 二十三歳。


 肉体的にも精神的にも、恋する女が最も美しく見える年頃であろう。


 相対するタケシ君もとても幸せそうで、以前に会った時のクールな彼の印象とはうってかわって、この日はとてもにこやかで、桐子のことをとても大事にしているんだなぁという気持が外見にも滲み出ていて、見ているこちらがとても幸せな気分になった。





 三時半頃に披露宴が終わり、そのまま二次会の会場である『三四郎』という名の会社近くの店に移動した。


 その店は、松の部署の御用達で、先日瀬名さんと千歩との飲み会を企画した例の居酒屋だ。二次会の幹事を任された桐子の後輩が、立地とコストを考えて、この店を選んだのだろう。


 店は、彼女とタケシ君が招待した友人知人も数は松が予想していたよりはるかに多く、五十人近くの席はたちまち満杯になった。


 知人の姿を見つけようとキョロキョロとしていると、同じ様に知り合いを探してウロウロしている千歩とばったり巡り逢った。




 千歩とは、前回この店で瀬名さんと飲んで、翌日ロッカールームで顔を合わせて以来だった。


 なんとなく気まずくて連絡を取りあうこともなく、その後、松が忙しくなってしまった事もあって、ランチを一緒にすることも最近はなかった。




 松は、千歩と視線が合うと微笑みあって


「久しぶり~」


と、声を掛け合うと、ごく自然に隣同士に席に着いた。



 千歩は松がインフルにかかっていたことを知って、もう身体は大丈夫なのか、とか、仕事は落ち着いたのか、とか、気を遣って尋ねてくれた。




「わたしね、転勤になるんだ」


前触れもなく千歩は切り出した。



「転勤?」


予想もしない告白に驚いて、千歩の顔を見た。



「関東支店に配属になったんだ」



「ええ、そうなの?いつから?」



「うーん、早かったら来月」



「来月?」


その早さにまた驚かされた。


「あと二週間もないじゃない。結構急だね」




 千歩は、そう?と言いたげな顔をしていた。



 彼女の中では想定の範囲内のことで、別段驚くことでもなさそうだった。


 

 千歩は松と違って外回りを主体とした営業職で、同じ女子社員でも内勤の松とは立場が違っていた。彼女が転勤希望で、関東支店に異動願いを出していたことは、松はずいぶん前から知っていた。



「おめでとう」


松は素直に彼女の栄転を喜んだ。



「ありがとう」



 千歩は元気よく礼を言う。彼女の目じりを寄せて笑顔を浮かべた。本当に嬉しいのだろう。




「わたしと一緒に転勤になる人も何人かいるのよ」


 そう言って、彼女は、松の知っている人の名前を三、四人挙げた。関東支店は、転勤希望者が若い営業職を中心に多く、確かだいぶ前にも瀬名さんも希望を出していたはずだと、松は思い出したが、今挙げた名前の中に彼の名前はなかった。



「瀬名さんは入っていないの?」



「彼、経理課に異動したばかりでしょ。今のタイミングで転勤はあり得ないでしょ」



「そっか」




 松は会場を見渡した。まだ主役が到着しそうになかったので、話すなら今しかないと思い、口を開いた。




「瀬名さんのことでさ」


と、松は、どもりながらおずおずと話し始める。


「この前、嫌な思いさせちゃってごめんね」



「あぁ、あのこと?」


千歩はこだわりのない笑顔を向けてくれる。


「ショウは全然悪くないじゃない。飲み会を企画してくれたんだし、むしろ、わたしに気を遣って途中で抜けてくれようとしてくれたんでしょ?」



「でも、わたしが帰るって言わなければ、あそこでお開きになることもなかったかも」


それだけが心残りだった。


「本当にゴメン」




 千歩は、


「別に気にしなくっていいって!」


と言って、むしろ松が謝っている事に気まずささえ感じているようだった。そして、頬を緩めて何か諦めたように息を吐くと、


「瀬名さんは、ショウのことが好きなのかもしれないね」


と、はっきりと言った。




「え、そんなことないと思うけど?」


松は否定する。



「まあ、これはわたしの勝手な想像だけどさ。でも、瀬名さんが、わたしのことを大して気に掛けていないってことは、あの時ハッキリと分かったよ」


千歩は、むしろ瀬名さんが誰が好きかだなんて興味ない、という口ぶりだった。


「だからね、今は、わたしは瀬名さんのことは諦めようと思ってんの」




「千歩…」


千歩の言葉があまりに潔ぎよいので松はフォローの言葉さえ見つけることができなかった。




「やっぱりね、近くにいていないと、ダメなんだって思うの」


千歩は話し始めた。


「別に、一緒に仕事しているショウが有利で、わたしが不利だったとは思わないけど、わたしも転勤になっちゃったし、今でさえあまり興味もたれていないのに、これ以上に遠距離になってしまったら、殆んど可能性がないって思うんだ」




 “遠距離”


 という言葉の重みが身に迫る。千歩の言いたいことが松にはよく分かるからだ。



「残念と言えば残念だけどさ」


千歩は言った。


「でも、関東支店への転勤は、わたしのかねてからの希望だったから、残念以上に嬉しい気持ちがあるのは、正直なところなんだよね。だから、今回のことで、瀬名さんのことは忘れる決心がついたってわけ」



「そんな、千歩」


あまりにあっさりと諦めの言葉を口にした千歩に、松は驚いて引き留めようとした。


「まだ分からないじゃない」



「いいの。それに、最初からショウに指摘されなかったら、わたしから瀬名さんに何かしら積極的にアピールする気もおきなかっただろうし」


千歩は言い続けた。


「一瞬ね、ほんの一瞬だったけど、だいぶ前に瀬名さんがわたしのことを好きなのかもしれないって感じていた時期もあったんだけど、多分その時がMAXで、その後はずーっと離れてしまう方向に流れちゃったんだ。

 多分、そのMAXな時に行動を起こせなかった事が、今の結果を生んだ、最大かつ唯一の原因だったんだと思う。

 あの時勇気を出して自分の気持ちを言っていればって、後になって後悔したけど、今の結果を生んだのは紛れもなく自分自身の“何もしなかった”という行動の結果なの。

 結局、わたしは、わたしから気持ちを打明けることも、ぶつかっていくこともしなかった。だから、こういう終わり方になってしまったのは、仕方のないことだったんだ。

 これが、わたしと瀬名さんのとの、今の距離感なんだから、それは受け入れるべきなんだと思う」




「距離感…」



「そうだよ」


 千歩は言った。


「わたしが関東支店に行って、瀬名さんはここに残る、それがわたしと瀬名さんとの実際の距離なんだよ」




 千歩は、すっかり心の整理がついているのだろう。自分に言い聞かせているように見えて、実は、松に納得してもらえるように丁寧に言葉を繋いでいた。




「わたしさ、瀬名さんに告白しようとしなかったのは、転勤の希望を出していた所為もあると思うんだ。やっぱりわたし、なんだかんだ言って、もうちょっと仕事していたいっていう気持を捨てきれなかった所もあったからさ。もし、ここで特別な人ができて付き合っていたら、転勤するの、すごく悩んだと思う」




「仕事か恋かってこと?」


 松は言った。



「そう、仕事か恋か。今回の軍配は完璧に私生活ではなく仕事の方にあがったってこと。

 運命論者みたいな言い方だけど、本当に結ばれる相手なら、物事の全ての歯車がうまく行く方向に流れて、自然に結ばれる方向に運んだと思う。

 でもそうはならなかった。

 ほんの一瞬ときめいただけで、後は何の流れもなかったの。

 結果的に後悔することにはなったけど、逆に言えば、付き合っている人がいなかったお陰で、仕事に打ち込める時間を持てたんだから、そう言う意味では時間を無意味に過ごさなかったし、チャンスを掴めたのはそのお陰なのよね」




「そりゃそうかもしれないけど」

 

松は、咎めるような声を出して言った。


「そんなにスッパリ諦めちゃって本当に心残りじゃないの?」



「ま、わたしはそうそうモテる人間じゃないし、この先、お付き合いしたくなるような素敵な殿方が現れてくれる保障はどこにもないんだけどさ」


松があまりに心配そうに見つめているので、千歩は安心させるよう微笑んだ。


「でも、誰だって、自分が評価されたいことを、評価してくれる人についていきたいものでしょ?わたしの場合、それがたまたたま、会社であり、仕事だったんだよ」



 “評価されたい事”。


 千歩はバリバリの営業職で、男顔負けの潔さと押しの強さもあり、一見とてもサバサバしている。しかし、そんな彼女にも乙女らしい一面があり、好きな人に遠慮してしまったり、相手の気持ちを常に気を遣う、非常に柔らかい女性的な感性の持ち主でもあった。そういった相反する双方の力を認めてくれたのが、瀬名さんではなく、仕事だったのだろうかと松はぼんやりと考えた。




「そっか」


 と、松は、呟くように言ったが、松は、千歩の心の整理の早さについていけていなかった。千歩が瀬名さんを好きになった時、松が徳永さんと夢のような未来を想像したように、彼女も同じ様な夢を抱かなかったはずはない。彼女は、それを、あっさりと捨てられるのだろうか。




「ショウ、あんた、わたしが無理をしていると思っているんでしょ」


千歩は松の顔に浮かんでいる、怪訝な表情に気が付いたようだ。



「そういうわけじゃないけど」


松は胸の中にある疑問を晴らしたくて、彼女に聞いてみた。


「前にね、千歩が、早く結婚したいとニオわせるような事を言っていたでしょ?ほら、カイ君をカッコいいと思うなら、ツバつけとけばってわたしが言った時、カイ君はだいぶ年下だから、あの子が一人前になるまで何年もかかるから、それまで待つことはできないって千歩、言っていたじゃん。だからわたし、千歩が、そんなに強く仕事を続けたいという気持ちがあっただなんて、思ってもいなかったんだよ」




 そう、松は、千歩がすぐにでもいい人を見つけてゴールインしたいのだとばかり思っていた。




「あはは、そんなこと言っていたね」


千歩は、指摘されて、そんなことも言ったっけなと、思い出したようだ。


「今でもその気持ちは変わらないよ。好きな人ができても、結婚をしても、子供ができても自分が信じられる仕事を続けることができればと今でも思っている。でも、あの時よりは、今は、もっと現実的に」


千歩はそう言って、ちょっと考えた。そして、何か覚悟を決めたかのように、


「先のことは考えずに、今を生きようって思っているの」




「それは、仕事にうちこむってこと?」




「そう、いざ死ぬという時、後悔しないような選択を、日々するということよ。たとえ、この先、一生独身で過ごすことになっても、いざ死ぬという時に、後悔しないようにと思えるように、自分の決断とか、選択とかを大事にしたいの。今は、あんたのいう通り、仕事に打ち込むという事かな」




「一生独身って…」


松は若干二十五歳の女の言うセリフかと疑った。


「そんな、大袈裟な」




「そう?別に大袈裟とは思わないよ。ただわたしは、古い思い出はさっさと忘れて、前向きに新しい出会いを大事にしようと思っているだけ。それでダメなら諦めようと思っている。人生なんてねぇ、ホントあっという間なのよ。恋できるチャンスも、意外と限られているんだよね」



「そ、そうなの?」



「そうだよ」


と、千歩は言った。




 『そうだよ』と言っている千歩が、あっさりと瀬名さんを諦めて、次の道を進むのかと思うと、松は、千歩がとても偉大に感じられて、彼女にはかなわないような気になった。



「そうよ、のほほ~ん思い出に浸っているようだけど、あんただってボンヤリしていたら、そうなる可能性あるんだよ?」


ちょっと怖気づいている松に、千歩はつっこんできた。



「別に、わたし、思い出に浸ってなんか」



「浸っているでしょ?徳永さんとはあの後、電話したの?」




 松は、いきなり自分に話がふられてアタフタしたが、千歩があまりに聞きたがるので、とりあえず、この前徳永さんから電話がかかってきて、お見合いをめぐって喧嘩になってしまった件を、かいつまんで話した。




「わたし、徳永さんがどう思っているのか、わたしにどうしてほしいのか、イマイチ理解できなくなってきた」



「嫌なヤツだね」


一通り話を聞き終わった千歩は、何かものすごく難しい顔になっていた。



「へ?」



「徳永さんって、ほんっと嫌なヤツ。まだショウのことが好きなら、お見合いなんて勧めるべきじゃないでしょ?他の男と付き合えと言っておいて、その後、どうなったか知らせろだなんて、馬鹿にしている。未練があってもそんなこと言うべきじゃない。付き合ってもいないし、将来の約束もしていないのに、鎖をつけて見張ろうとしているんじゃないの。そういうヤツは」


千歩は、ギッと空を睨むと


「女の敵ね」


と、低い声で呻いた。



「女の敵?」



「あったりまえじゃん。ショウの気持ちがまだ残っていることをいいことに、弄んでいるとしか思えないわよ」



「それはちょっと言い過ぎじゃない?」



「だって考えてみなよ」


千歩は急にヒートアップしてきて早口になった。


「徳永さんが、サッサとショウを振っておけば、ショウだってそれだけ新しい人と出会ったり、恋できたりする機会が増えるってことだよ」



「それはそうだけど…」



「あんたもっとしっかりしなさいよ」


千歩は、はーっとため息をついて桐子みたいなことを言う。


「海の向こうの大都会で、好き勝手やっている、ろくに連絡をよこさない男なんかに、振り回されてどうすんのよ」




 瀬名さんのことで、潔く気持ちの整理のついている千歩は、他人の恋にも厳しいようだ。その後、彼女は徳永さんの煮え切らなさと、松の未練タラタラな態度に、コンコンと説教を続けた。




「わたしだってね、カイ君が色々と言ってこなければ、とっくの昔に諦められていたのかもしれないわよ」



 松は、あまりに千歩に責められて、何か弁明せねばと、ホールの片隅にエプロンをつけて立っているカイ君をチラチラ視界にいれながらも、聞かれないように、声のトーンを落として話す。



 今日は土曜日なので、彼はこの店にバイトに来ていて、さっきから何度か松と目はあっているのだが、松が千歩と話し込んでいるのを察して、話しかけてはこなかった。




「カイ君が、徳永さんの家に元の奥さんが入り込んでいるとか、わたしのお見合いが原因で、徳永さんが人間不信になているだとか、ヘンな事ばっかり言うんだもん」



「カイ君って、そんなに詳しいことまで知っているの?徳永さんとは親しいとは聞いていたけど、本当はどういった関係なの」


千歩も声を潜める。



「どうやら親戚らしいんだよね。結構頻繁にメールなり電話なりするような間柄なんだって」



「でもさぁ、何か妙ねえ」


千歩は、腕組みしてじっと彼を横目で見据えた。


「なんか引っかかるわねェ。なんやかやと、その話にカイ君はからんでいるみたいだけど、そんな風にあんたが残業をしているのを気遣って、送ったりしてくれるってことは、ひょっとしてあんた」


 そう言って千歩は顎に手をあてて、ちょっと考えてから言った。



「ん?」



「カイ君に色目でもつかった?」



 ゴホッ!!




 突然の突拍子もない発言に、松は飲んでいたサワーにむせた。




「そんなことあるわけ…」



「ないこともないでしょ?」


千歩は、あっさり言う。


「だって、カイ君、イケメンじゃん。あんた面食いだし。そう思っても不思議はないでしょ」



「色目なんか使ってないわよ!」


突然の千歩の話の成り行きに松は、思考がついていかずに思わず真っ赤になりながら答える。


「ヘンなこと言わないでよ!だいたい、色目つかったところで、どう考えたって、十代の彼から見れば、わたしオバサンよ」




「そう?」


千歩は残念そうだった。


「二十三でオバサンよばわりはちょっとヒドくない?わたしなんかアンタより二つも年上なのにさぁ。別にアタシは反対しないわよ。彼、まだ十代みたいだけど、あんたとは三、四歳しか離れていないじゃない。あの子が高校でてさ、一人前になるまで、あんたなら待てるろうし」




 思いもよらない話の展開に、松は度胆を抜かれてしまった。


 さっきから、話しながらカイ君を視界の中にいれていたので、我慢しきれなくなった彼の方から、近づいてきた。




「さっきから何?ジロジロとこっち見ていただろ。飲み物のお代わりを注文したそうな雰囲気でもなさそうだけど」



「丁度よかった、カイ君」


千歩はカイ君に話しかけた。


「最近、ショウから色目使われな…フガっ」




 何を言いだすかと思えば、さっきここで口にしていたことを、そのまま本人に言おうとしていた千歩の口を、松は真っ赤になって慌てて掌で覆った。


 最後の方が聞き取りにくかったのか、カイ君は「何?」っていう顔になっている。




「何の話?聞こえなかったけど」


カイ君は首をかしげている。



「何にもない、何でもないの!」


松は、千歩の口をふさいだまま慌てて誤魔化す。




「ちょっとぉ、やめてよ。ショウ、息できないじゃん」


千歩があばれるので、仕方なく松は手を離した。


「あんた、たまに突拍子もない事するね」


解放された千歩が、深呼吸しながら文句をつける。



「突拍子もない事言おうとしていたの、アンタでしょ?」


松が横目で睨んだ。



「さっきからふたりして深刻そうな目ぇしてこっち見ていたけど、オレの噂話でもしたたのか」



「違うわよ、徳永さんの話をしていたの」


松の手からやっとのがれることのできた千歩が言った。


「ショウにね、さっさと徳永さんのことなんか忘れちゃえばって勧めていたのよ。所詮、海の向こうの人で、めったに連絡すらとれないんだもの。新しい恋をして、何が悪いのかって説教していたのよ」




 千歩は、やっぱり徳永さんは、外見通りのプレイボーイで、自分を惚れさせるのは得意でも、少しも自分から女を好きにならないただの女たらしに違いないと、延々と述べまくった。




 カイ君は大人しく千歩の話を聞いていたけれど、千歩が話し終わると、


「それでも、好きになったのはおめぇの責任だろ」


と、松に向かって厳しく言う。


「誰も惚れてくれなんて頼んでねぇ。望んでヤツに惚れたんだ。自分が勝手に相手を好きになったんだから、愛してくれないと文句をつけるなんて、筋違いだろ」



「べっ、別に文句をつけているわけじゃ」


松は、どもる。



「ウソだ。ほっとかれて、拗ねているんだろ」



「拗ねてなんかないよ」



「じゃ、何でそんなに落ち込んだ顔してんだよ」



「落ち込んでもないよ!」



「落ち込んでんだろ?」


カイ君はピシャリと言った。


「連絡が薄くなっちまって、構ってもらえなくなって、落ち込んでんだろ。だもんで、さっさと諦めて次の恋を探せばいいって、やけっぱちな気持ちにでもなってるんだろ」



「・・・・・・」



「だから、女って生き物は信用ならねぇんだよ」


とカイ君は言った。彼は冗談ぽく、ニヤニヤと笑ってはいたけれど、声は低かった。


「少々のことでワーワーと、遠距離だの、やれ女がいるだのと喚きたてたかと思うと、あっけなく諦めつけて、サッサと鞍替えするんだからよ」



「そういう言い方は、フェアじゃないわね」


何か言いたげな松の代わりに、千歩が横から援護をする。


「向こうはニューヨークいるのよ。少々の遠距離っていう距離じゃないし、その上、殆ど連絡もなく、ましてや、自分の家に女を連れ込んでいるっていう話を聞かされたら、疑って当たり前じゃないの。そんな状態でまだ信じて待ってる方が馬鹿よ」



「カイ君だって、諦めた方がいいって言ったじゃない」


松も抗議の声をあげる。


「終わったことを、後悔しても始まらないって、そう言っていたじゃない」




 松は、この前の電話の後に、カイ君が


「終わったことを、ウジウジしていても仕方ねェだろ」


言っていたことを思い出して言った。




「だから見合いもするし、合コンもするし、新しい男漁りもするってか?」


カイ君は真面目な顔になって、ゆっくりと松の方に顔を向けた。


 その顔が、なんとも言い難い苦痛と、不満がチラチラと見え隠れしているように見えた。カイ君は続けた。




「諦めをつけることと、忘れるっちゅうことは別だろ。

 お前はそんなに、感情を理屈で裁けるのかよ。

 自分ではどうしようにもならねぇ事が起って、離れ離れになっても、諦めざるを得なくても、想いが本物なら、本当は、忘れられねぇんじゃねぇか?

 少なくとも、オレには、そんな器用なマネはできねぇな」



そう言うと、カイ君は目を遠くに向けて、何かを思い出しているような眼差しになった。


 苦しいような、懐かしいような、それでいて何かを耐えているような目。


 カイ君は口元に笑みを浮かべてはいるけれど、目は笑っておらず、いつもの打ち解けた雰囲気が消えてしまっていた。




 カイ君の言葉に場が凍ったようになった。



 彼はこちらを向いていたが、松達の顔は見ていなかった。



 

 松の目には、カイ君の額の傷が、何かを物語るかのように、表情に暗い影を投げかけていているように見えた。




 ずっと以前、遠い異国の空の下で、こんな表情を見たことがある。


 ニューヨークのレストランで徳永さんと二人きりだった時だ。


 あの時彼も、顔を固くこわばらせ、何か言いたげな瞳で松を見下ろしていたが、松は、彼が何を考えているのか分からなかった。


 今でも分からない。


 手を伸べて、塵を払うかのように、彼を悩ます問題をさっと取り払って、彼の心の中を覗くことができるものなら。


 と、思ったものだ。



 カイ君の暗い横顔を眺めながら、彼にも、諦めざるを得ない人がいて、忘れられない辛い経験があったのだろうか、と思った。





 三人はしばらく黙りこくっていた。



 ありがたいことに、その後すぐに、店内の雰囲気が変わった。



「おっ主役の登場らしいぜ」


と、誰かの声がしたかと思うと、前触れもなく照明が落とされ、スポットライトを浴びた二人が店の出入り口から登場してきた。


 新郎と、新郎の腕に寄り添うように姿を現した新婦のふたりを、披露宴会場から直接やってきた客達が、長い間待たされたこともあって、我慢できずに大きな声で囃し立てていた。




 クラッカーが鳴らされ、店内は歓喜に包まれる。



 桐子は、それに受け応えながらも、若妻らしく慎しい笑顔でお辞儀を交えながら微笑みをたたえゆっくりと通路を歩いている。




 バラ色の頬、さくらんぼのような唇、星のような目。




 彼女は、披露宴の時のあでやかなドレスでなく、清楚な花柄のワンピース姿で、ブーケに使っていたバラの花が、結い上げた髪に挿してあり、いかにも幸せな花嫁といった様相だった。




「お前、今、いいなぁと思ってんだろ」


松の目が、一瞬、呆けたようにぼーっとした表情で桐子に釘付けになっているところを、いつの間にかこちらの方に向き直っていたカイ君が、見逃さなかったようにニヤニヤしながらこちらを見ていた。


「あの女みてぇに、幸せな結婚をして、友達に祝福されてぇってそう思ってんだろう」



「何言ってんのよ」


松は、桐子の美しさに夢中になって、いつのまにか言葉を失って口を開けて眺めていたらしい。自分の顔に現れた無防備な表情に気付いて、あわてて取り繕ったが遅かった。頬は真っ赤にのぼせあがって、身体が熱かった。


「あたしはそんな」



「新しい恋ができたら、自分もそうなれると思うか?」


カイ君は意味深につぶやくような声で、さっきの話の続きだと言わんばかりに、冷ややかな口調になって言う。


「新しい恋人となら、それができると思うか?」



 何が言いたいのだろう?


 松は、彼の顔を見上げたが、カイ君の口元は、優し気なほころびをみせていものの、視線は鋭く、何かを睨みつけているように見据えていた。




「いや、そんなことあるわけねぇ。人ん家の庭をキレイだと羨むような人間に幸せなんてくるわけがねぇ。人の気持ちを想像すらできねえ奴に、てめぇの幸せばかりを考える奴が、幸せになれるわけねぇだろうが」




「え?」




 カイ君の声は穏やかで、静かだったが、話の内容の厳しさに驚き、彼の顔を凝視せずにはいられなかった。


 松は、彼が松のことを言っているのか、それとも他の誰の事を言っているのか、なぜ彼がこんなことを言うのだろうか分からなかった。




「どういうこと?」


松は尋ねた。


「わたしが何かしたっていうの」




 カイ君は松の質問は聞こえてはいたようだが、表情から笑みを消すと、返事もせずに、ぷいと顔を逸らせ、ふっと松達の側を離れた。


 そして、厨房に通じるドアの向こう側に姿を消した。




 カイ君が最後に言った言葉は、店内の騒音がうるさくて千歩の耳には入っていなかったようだ。


 松が何とも言えない顔をさせて呆然としているのを、彼女は、ただ、不思議そうに眺めていた。





 その日は、その後一度もカイ君と話すことはなかった。


 会が終わって、三次会に出席しない人達は一塊になって、ぞろぞろと地下鉄の駅に向かった。



 千歩は反対方向なのですぐに別れた。


 松は三次会には参加しなかったので、二次会から参加していた、昨年桐子と一緒に英会話講座に参加していた、一年年下の支店の山田さんと駅に向かって暗い夜道をてくてくと歩いていた。




「桐子さん、キレイでしたねー」


ロマンチストの山田さんが、うっとりとした表情で言う。



「そうだね…」


カイ君に言われたひとことが、未だ胸に突き刺さっていて、松の顔は晴れなかった。



「どうかしたんですか?」



「ううん、別に。ただ朝からずっとだったから、ちょっと疲れちゃって…」




 山田さんが披露宴の時の話を聞きたがったので、松は、彼女のドレスがどうだったとか、誰が招かれていたとか、お料理がどうだったとか、どんな余興があったとか、そんな話をしてあげた。




「結婚って、人生の変わり目ですよね」


山田さんが言う。


「そういう点では、好きな人ができたり、お付き合いしたりするのも、やはり、人生の変わり目なんですよね」



「そうだね」



「わたし、留学しようと思って」


突然、山田さんが言い出した。



「留学?」



「留学というか」


山田さんは言い直した。


「ワーホリに行こうと思って」



「ワーホリ?」



「ワーキングホリデーですよ。やっぱ、若いうちに色々経験しなくちゃいけないかなぁって思って」



「どこへ?」


動揺を隠せない。ワーホリに行くって?


「まだ決めてないですけど、オーストラリアか、カナダあたりになりそうですけど」




 桐子の晴れの旅立ちという節目の日に、千歩から転勤の話を聞かされ、更に、山田さんから留学の話を打明けられた松は、驚くしかなかった。




「そう言えば留学したいって、前から言っていたね」


松は彼女の言動を思い出した。


「したいことでもあるの?」



「したい事っていうより、外の世界を知りたいっていう気持の方が強いですかね。昨年、英会話講座にも通ったし、社内試験の勉強もしましたけど、英語をモノにするなら、やっぱり、現地に行って揉まれないとなって、わたし、身に染みたんですよ」



「ってことは、今の仕事を辞めるってこと?」



「まぁ、そういうことになりますね」


 山田さんは答えた。


「ま、ここも居心地良くって、仕事も好きなんで、もうちょっと勤めていてもいいかなって思いますけどね。でもね、私達内勤事務の人間にとって、やっぱりここは長くいられる場所じゃないですし」




 山田さんの言いたいことは分かる。


 内勤事務で採用された女子社員の半分の人間は二十代半ばに寿退職し、三割から四割は二十代後半に様々な事情で去り、残りの二割から一割の人間は、肩たたきのプレッシャーに苛まれながら、会社にしがみつくことになる。


 若さと新鮮さを重んじられる雰囲気の職場で、年配者が居場所を見つけるには業務的なスキルの他に、それなりの厚かましさと度量が必要になってくる。


 年齢に遠慮はいらないだろう、

 肩たたきだなんて男女差別じゃないか、

 男女雇用機会均等法があるじゃないか


 と、法を楯にとったところで、前提となる“仕事への愛”がなければ、ふりかざした権利に誰も真実を見出してはくれない。


 プレッシャーに耐えるか、耐えられないかは、本人がいかに覚悟ができているかが問題になってくるのだ。




「そっか…」


松は、彼女の決意に賞賛をしつつも、いつの間にか、一緒に英会話教室に通って、ワイワイと英語を学んでいた彼女から、そういった話をきかされて、笑顔をつくれずにいた。


「いつからいくの?」


気を取り直して尋ねてみた。



「あー、そんなすぐじゃないですよ。資金のこともあるんで、しばらく貯金しないといないし。それに、最低限の語学力は何とかしなくちゃなりませんから、事前に、学費と滞在費の安い国でいったん語学留学することになるかと思います。なんとか使い物になってから行先を決めようかと。遅くとも、今年の末か、来年の頭に行くことになりそうです」




「そっか…」



 松の、びっくりしたような、それでいて沈んだような様子に、山田さんがちょっと気付いたようだった。



「私にも、花家さんみたいに、ニューヨークに待っていてくれる恋人がいたら、そう簡単に仕事を辞めようだなんて思わなかったと思いますけど」


と、からかうように言った。



「え…」



「徳永さんとは、うまくいっているんでしょ?」



 何も知らない山田さんから問いかけられて、松は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すしかない。



「徳永さんって、ほんっといい人ですね」


何も答えようとしない松に、山田さんは追求しようとはしなかった。代わりに徳永さんとの思い出話をし始めた。



「わたし、徳永さんに英会話を教えてもらったのは、あの日のバーベキューの時だけでしたけど、短い時間でとても丁寧に教えてくださって。それに、佐藤先輩も、社内試験の点数が伸びたのは徳永さんの教え方がよかったからだって言っていましたし。軽いイメージの人だと思っていたんですけど、肝心のところはシッカリとポイントを押さえて下さって、頼りがいのある人だなぁって思いましたよ」




 山田さんに言われて、松も、改めてそんな気持ちになる。


 徳永さんは自分のことに関しては、脇があまいことがあるけど、一番肝心のことはしっかりと地盤をかためてくれている。




「あんないい人、めったにいないですよ」


ちょっと羨ましそうな、懐かしそうな山田さんの顔。転勤をすると言った時のような、さっきの千歩の表情と似ていた。



「そうだね」




 徳永さんの事を、イケメンとか、3高とか言う人は多いが、山田さんは”いい人”と言った。ひょっとして、山田さんも徳永さんのことが好きだったのかな、と思った。


 


 恋は、人生の分かれ目。




 山田さんの言葉に松の胸は、ズキリと胸をかすめるものがあった。



 このまま彼を諦めて、区切りをつけるか、


 それとも、はっきりと決着がつくまでギリギリまで粘るか、



 今ここが、人生の潮目なのかもしれない。





 街灯が暗い舗道を照らし出していた。目の前にのびた細くて長い二本の影は、地下鉄の入り口で一本になった。




「さよなら」


「またね」




 今は一緒に歩いている道も、いずれ、別れ別れになって一人で歩かなければならない日が必ずやってくるのだろう。



 などと思いながら、松は、歩いて行く山田さんの背中を見送った。








 次の月曜日、出社してくると、インフルから復活した瀬名さんが席に着いていた。


 彼は、休み中にあけたアナを埋めるべく、午前中から夕方にかけてバタバタと忙しそうにしていた。どうやら、経理課に配属されてから


『書庫にこもって何やってんの』


と、不審がられていた作業は、松が病欠している間に、その全行程が終わったらしく、彼の仕事はひと段落していた。


 人事部には相変わらず日参していたが、以前よりずっと席にいてくれることが多くなった。





 その日の夕方、瀬名さんは松をミーティングルームに呼び出した。



(また新しい仕事かな?)


色々と考えながら、瀬名さんの後について部屋に行く。


 

 ドアを閉めて席に着くと、瀬名さんは、どっかりと座ってから、松にも向かい側の椅子に座るように促した。


 言われた通りに腰かけたが、彼は、組んだ足をブラブラさせて何か思案しているかのように、机の上をコツコツと指でたたくだけで、何も言おうとしない。



「あの…?」


松の方から、話しかける。



「花家さんには東京に五日間ほど出張して欲しいんだよ」


と、彼はようやく口を開いた。



「東京へ?」


いったい何の用で?




「ほら、この前から新会計システムでテスト運用をしてくれたり、アンケートの集計を協力したりしただろ?システムの開発を担当している、東京の親会社の管理課の連中が、人手が足りなくて、ひとり助っ人をよこしてくれないかって言ってきてね。花家さんなら、システムの事に詳しいし、途中まで手伝ってくれていたし、内容に精通しているから、適任だと言ってきて」




「五日間ですか」



 内勤の松達は、普段、めったに出張など命じられることはない。突然の出張話に驚いたが、東京の親会社の管理課の連中は本当に気分屋で人をこき使うからな、と、そんなことを考えていた。



「えっと、時期は、いつごろになりそうですか?」



「来月の半ばか、もしくは、後半になると思う」



「五日の間、その間のこちらでの業務はどうしたらいいですか」



「課と秘書席の人達と、仕事を分担して負担しあってくれ。乙部さんなら慣れているだろうから、彼女を主体に、皆で相談して割り振ってもらえないかな」



「分かりました」



「東京には連絡しておくよ。向こうの担当者から花家さんに直接連絡するよう言っておくから」




「分かりました」


と言って、松は話が終わったと思って立ち上がろうとしたが、瀬名さんは動こうとしない。


 まだ話の続きがあるのかな、と思って、座り直した。


 彼は、まだ、同じポーズで足を組み、机の上を指でコツコツと叩き続けていた。



「あの、まだお話が?」


何も言わずに、視線を泳がせていた瀬名さんに声をかける。


 彼は、その言葉が聞こえているにもかかわらず、机をたたくのを止めようとしなかった。



「瀬名さん?」


松は、再び言った。



「あのさ、花家さん」


諦めがついたのか、指を動かすのをやめて、瀬名さんが身を乗り出しきた。


「こんな時に言うのはなんだけど、話があるんだ」



「何でしょう?」



「オレと、付き合わない?」



「え?」


変化のない表情に、彼が何の言っている言葉の意味を、頭で理解して感情まで到達するのに時間を要した。



「オレと、つきあってくれない」


瀬名さんは真顔のまま、同じ言葉をもう一度言った。



 二度目に言われて、やっと何を言われているのか、理解できた。


 瀬名さんは、松の顔の変化に気がついて、やっと表情を和らげた。



「オレ、花家さんのことが好きなんだ」



「えっ?」


松は、頭が真っ白になった。


 何と返事をしてよいか分からず、相当なアホ面になっていたと思う。



「返事は、今でなくていいから」


動揺している松とは正反対に、瀬名さんは冷静に言う。


「考えといてくれる」



「はい…」



「じゃ、今日はこれで」


と言って、瀬名さんはニッコリ笑った。




<7.見えない向こう側> へ、つづく。



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