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007

 次の日、秋人は最後まで学校に来なかった。


 土曜日――文化祭の前日。すでに日も傾きつつある時間。それでも学校には多くの生徒が残っているだろう。中には明日のために泊まり込みで準備を行おうとする者もいるのかもしれない。

(――いや、それはあまりにも夢を見過ぎかな)

 昼下がりの住宅街を雪とカナは走っていた。周囲にはその様子に怪訝な顔を浮かべるものもちらほらと見える。

 それでも、雪はひたすら必死に走っていた。向かう先は決まっている。親友の元へ。

「雪くん、あっちだよ!」

 隣を駆けるカナが前方の曲がり角を指差す。雪は躊躇もなく、その角を曲がる。

 周囲の景色に雪は見覚えがない。場所はおおよそ秋人の家の近くだろう、ということ程度の認識だ。それでも、雪は次々に出されるカナの指示を疑うことなく信じ、住宅街を駆け抜けた。

 ――そうして、辿り着いたのは住宅街の外れに位置する、小さな公園だった。

 一目で寂れてしまっていると分かる。公園の周囲を囲む木々も手入れがなされてなく乱雑に枝を伸ばし、隣の家から伸びたと思われる蔦が公園のフェンスを緑に染めていた。

「ここだよ、雪くん」

 カナの言葉に、雪は公園へ足を進める。すると、小さな何かが跳ねる音が聞こえた。

 とん、とん、とん、と規則正しいリズムで音は鳴り続ける。聞き覚えは――ある。ボールの跳ねる音。

 雪は遮二無二公園へと駆ける。そこに、親友の姿を見つけ、叫んだ。

「秋――!」

 ボールが零れて、音が止まる。そして転がると、小さなブランコの鉄柵へぶつかり、動きを止めた。

「……雪。それと、カナちゃん」

 秋人はどこかバツの悪そうな顔を向けた。その表情に、雪はぎゅっと胸を軋ませる。

 ――迷いはある。ここへ至っても、それは決して拭えない。

 歯を食いしばり、秋人を正面に見据える。覚悟を決める。

(……これまで、僕がおろそかにしていたことを、やらないといけない)

「――秋。話を聞かせて」

 風がざあと雑多な木々を揺らす。とても強い風だった。その光景はまるで、この狭い公園の中では、世界が揺れてすら見えるようだ。

「……誰かから聞いたのか?」

「春風から。でも、噂話程度。本当のことを僕は知らない」

「そうか……。でも、知らないのなら、別にいいだろ。お前には関係――」

「関係あるよ」

 秋人との言葉を継いで、はっきりと口にする。関係ないはずがない。

「秋がいなきゃ、明日のステージはできない。それに――僕は、秋の友達だろ」

「雪…………」

 秋人はそう呟き、弱い足取りでボールの転がる場所まで歩くと、ブランコの柵に腰を下ろした。

「どこまで、聞いたんだ?」

「ほんの少しだよ。秋が、部活の先輩と揉めて、最近は部活に行ってないって」

 秋人は俯いたまま、「そっか」と呟き、

「……別に、先輩と揉めたってわけじゃないんだ」

 と続けた。

「それに部活に行ってないってのもそんなに長いわけじゃねぇ。ここ二週間ぐらいさ」

「何があったの?」

 カナがいつになく真剣な面持ちで尋ねる。

「……インハイの予選が終わったぐらいだよ。俺もさ、なんか評価されたのか、一年で試合にも出してもらってさ。結構楽しかったんだ」

 雪はその秋人の言葉に引っ掛かるものを覚えた。『評価されたのか』『楽しかった』その言葉はどこか他人事と終わってしまった話を覚えさせる。

「んで、インハイ予選も終わって、結局負けて……。ま、でも俺も結構頑張ったんだぜ? 2ゴール1アシストの大――とまではいかねえな。小活躍ぐらいはしたつもりさ」

「それで、一年生エースって……」

 秋人は乾いた笑いを返す。

「そんなの、周りが勝手に騒いでるだけだよ。まぁ、他の同級生にも、下手な先輩達にも負けるつもりなんてないけどよ。それでも、別に――」

 言葉は中断され、秋人は考える仕草を見せる。伺うことができたその表情はどこか、苦い。

「――いや、そうだな。一年生エースだなんて言われてるのを知ってて、俺が調子に乗ってたってのも、嘘じゃないしな……」

 もう一度、乾いた笑いが秋人から零れ出る。雪はそれが自嘲なのだと、気が付いた。

「そう言えばさ、もともと俺がサッカー始めたのは、雪のせいなんだぜ」

「僕が? 秋はもともとサッカーをしていたじゃないか」

 雪の記憶の中にある秋人はいつもサッカーボールを持っていた。それは、秋人と始めて出会った時からのようにも思える。

「サッカー自体はずっとやってたけどよ、本格的にサッカーを競技としてやろうって思ったのは、雪のせい――おかげなんだ」

「僕は、そんな――……」

 否定の言葉は喉元まで出かかり、収められた。昨日の春風の言葉を思い出してしまったからだ。春風は自分の書いた物語で女優を目指そうと思った。その事実を雪はまだはっきりと認識出来てはいない。ただ幼い頃の『何か』が今の自分に何らかの影響を与えている、と言い換えてしまえば、それは容易に理解ができる。今こうして秋人と話し、そして劇の台本を書いている雪自身こそ、その一つの例でもあるのだ。

「昔はさ、色んなことして遊んだだろ。そん中で、もちろんサッカーもやってたわけじゃん。で、みんなでやれば、やっぱり俺が勝っちゃうわけだよ」

「何だよそれ、自慢かよ」

 雪の冗談めかした言葉に、秋人は「まぁ、半分はな」と軽く笑った。

「サッカーやっててさ、俺が何かする度に雪が喜んでくれるんだよ。すっげーっ、って言ってくれるんだよ。俺とか雪がそういうキャラだったり、ポジションだったりしただけなのかもしんねえけどさ、俺単純だから、『俺ってすごいんじゃねーの!』とか勘違いしちまってさ。そんで、中学に入って、サッカー部に入って、それなりに活躍もしちまって……」

 秋人目に影が落ちる。雪の体にも僅かに緊張が走る。

「楽しくやれてるうちは良かったんだ。でも、楽しくやるだけだと、ダメだって、分かってたのにさ。いつか俺は周りに迷惑をかけちまうって」

 秋人は遠くを見やる。その顔に表情はない。

「インハイが終わった後、練習で俺は先輩に怪我をさせたんだ」

 そして、ぽつりとそう、言葉を吐いた。

「サッカーなんてやってればクロスプレーなんていくらでもあるもんだ。中学の時から、何度も経験してきてた。でもよ――」

 秋人は大きく息を吐く。

「それが、良くしてくれる先輩だったんだ。怪我も、かなりひどい…………靭帯をひどくやっちまって、全治半年らしい」

「でも……事故だったんだろ」

「事故って言えば事故さ。でも、俺のせいってのは、変わらねえよ。あの時だって……」

「あの時?」

 雪は過去にその上で別に何かあったのか、と首を傾げる。

「――やっぱり、覚えてなかったんだな。そっか、昨日何も言わなかったから覚えてないんだろうなとは、思ってたんだ」

 雪は秋人の話しぶりから、それが自分に関係することだとだけが予想できるが、それ以上はさっぱり分からない。

「昨日のあの川、昔に遊んだ覚えはあっただろ?」

「あ……うん」

 それは確かに雪は覚えていた。遊んでいる最中にもいくつか思い出すほどだった。

「じゃあさ、どうして、俺たちがあの場所に行かなくなったかってのは分かるか?」

「いや、それは……」

 それは雪も不思議に思っていたことだ。昔はあれ程遊びに行ったあの場所に、どうしてぷつりと行かなくなったのか。考え込む雪に、秋人は静かに、そして申し訳なさそうに、

「あの川で、俺は――お前を怪我させたんだよ」

 と告げた。

「中学に入ったばかりの夏休みだった。いつも通りにみんなで遊びに行ってさ、馬鹿やって、騒いで。いつもみたいに、楽しくやってた。そこでさ、俺が何気なく雪を押したんだ。別に他意なんて何もなかった。普通にじゃれてるだけのつもりだった。でもさ、雪が川に落ちて、流されて――」

「……あ」

 それは、昨日幻視した光景。かつて経験したことがある、と感じたイメージ。

「あれは、その時の事だったんだ……」

「その時はどうすることもできなかった。運よく、雪が岩に引っかかって上がってきてくれたのが、助かった。もし、あのまま、と思ったら――」

 秋人はいやいやをするように首を振るう。

「秋、でも僕は今は何とも……」

「お前がそう言ってくれるのは嬉しいけど、なんか、もうその時からダメなんだ。それでも、ここんところ頑張ろうって、どうにかしようって思ってたんだ。だから、雪と喋ろうって思ったんだ。雪に彼女ができたって、丁度いいタイミングで聞いてさ。雪と喋ってたらさ、昔の楽しく遊べてた時の事を思い出して……そんな事を、お前が言ってくれるみたいにさ、気にしないようにできるんじゃないかって思ってたんだ。実際、そうだったよ。みんなでワイワイやるうちは何も気にしないで済んでた。次第にもう大丈夫なんじゃないかって思ってきてた。……それでさ、昨日も、踏ん切りをつけようって思ってあそこに行ったんだ。今の状態で行って、何もなければもう本当に大丈夫なんじゃないか、って。でも――ダメだった」

 それが、春風の事故を指していると雪は一瞬で理解する。

「でも、春風のあれも秋は関係ないだろ! 第一、その場にいなかったし――」

「いや、でも俺があの場所に行こうって思わなければ、雪たちを連れていかなければ、って思うんだよ。それに、俺の目の前で誰かが傷つくのを見るなんて、もう嫌なんだ」

 はっきりと秋人は言い切った。その姿は、いつもの秋人のそれではない。まるで、見知らぬ別人のようにも思えてしまう。

「励ましに来てくれたってのは分かるんだ。すげえ、嬉しい。でもさ、ダメだわ、俺。単なるジンクスみたいなもんだってのも分かってんだ。それでも俺、雪たちと一緒に楽しくやっていくのが怖いわ……」

 雪は唇を噛む。掛ける言葉が見つからない。

「今日はサボって悪かったな。この公園はさ、俺がずっと練習に使ってた場所なんだ。ここに来ればいろいろと忘れることが出来る、何も考えないで、サッカーを純粋に楽しめるんだ」

 そう言って、ボールを秋人は手で拾う。

「悪ぃ、雪。しばらくさ、一人にしておいてくれねえか……。今まで何だかんだ言ってきたけど、たぶん、無理だわ」

 それが、明日の事を暗に示している、と雪はすぐに理解できた。だから、

「……ダメだ」

 そんな言葉が口を突いて出た。

「ダメだ! ここで引いたら何もかも一緒じゃないか! 何も変わらない!」

「分かってるよ! そんなこと、俺だって分かってる! でも――」

「違う、分かってない!」

 ――そうだ、秋は何も分かっていない。そして、僕は今はもう分かっている。

「僕は、ずっと秋や春風みたいになりたかった。運動や勉強ができて、みんなから憧れられるような人になりたかった。僕も、憧れてた。そして、妬んでた。なんで同じ幼馴染みなのに、僕だけがこんなダメなポジションにいるんだって。でもそれが、違うってようやく分かったんだ。秋も春風も、一朝一夕で付いた技術なんかじゃないって、当たり前だけど、ようやく分かったんだ。だから、僕は今回の台本作りを頑張りたいんだ。二人に認められたことで、そして、僕がようやく本当に頑張りたいって思ったことだから!」

 言葉は奔流のように出てくる。

「秋。ここで秋が諦めちゃうってことはさ、僕が台本を頑張ろうと思ったことも、無かったことになるんだ。それは、昨日あの場所に行ったことが――みんなで楽しく過ごした時間も、無くしてしまう。それはイヤだ。折角、取り戻せたことなんだ。それを、無かったことになんか、したくない。このまま終わらせるなんて、イヤだ」

「……我儘だよ、お前」

「僕は、我儘だよ。昔から、ずっと――ずっと、みんなで一緒に居たいって思ってた」

 秋人と視線を交わす。それで、雪は背を向けた。

「帰るよ。台本、まだ終わってないんだ」

 返事を待たず、カナへ「行こう」と呟く。

「明日、待ってる。『アキ』は秋以外の誰にも出来ないんだから」.

 それを最後に、雪は公園を後にした。


***


 時計の針は頂点を指した。

 それを如実に表すかの如く、外界は深淵に包まれている。

 ひとつ、またひとつ、と暗闇の中の灯りが消えていく。

 それでも、この部屋の灯りは決して消えることはない。

 部屋の中には、静寂の内に小さな音が満ちている。

 作動、制止、進行、停止、再稼働と、ルーチンワークに似た動作をそれはひたすらに繰り返す。

 少年――雪は立ち止まることを忘れている。

 そして、それが正解だと、唯一の解答だと理解している。

 雪は傍らの少女――カナへ目を送る。

 カナは静かに、雪のその作業を見守っていた。

 雪の向かう台本は既に半ばを過ぎていた。

 もう、雪に迷いはない。最後のピースは、初めからそこにあったのだから。

 雪は再びノートへと向かう。

 一度手放した記憶を、手繰り寄せる様に、再び雪はペンを走らせる。


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