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+第五話+ 寝殿の見張り

 騙された。全てに。


 寒空の下、自分を抱くように身を縮めながら、小春はたった一人で、ひたすら小石の上に腰掛けていた。

 朝服の中へ入れた、袋の中の桃饅頭は既に寒さで固くなっているだろう。

 なぜこんなことをしなければならないのか。しかも、終わりが見えない。


 入官して七日。

 やったことといえば、厨房の大清掃と桃饅頭作りと、そしてひたすらにこの石の上に座っていること。


「……御上に会いに行くって言ったのに、何なのこれ。ただひたすら御上の寝殿の前に座ってるだけじゃない」


 行き交う官吏たちの、自分たちに向けられていた訝しげだった視線は、今は見向きもされなくなっていた。

 それはそうだろう。

 始業時間になったかと思えば石の上に座り始め、終業時間になったかと思えば帰って行くだけ。


 震えるほどに寒い中で一体何をしているのか、馬鹿馬鹿しすぎて聞く者もない。


 紹輝は「ただ座ってるんじゃない、見張っているんだよ。そしてこの宮廷のどこかをふらついて失踪中の御上が戻ってこられたら、近衛に連絡をする。以上」などと言っていたが、何なんだそれは。


 特務局というから何かと思えば、どうやらとんでもない窓際局であったらしい。

 仕事らしい仕事もないようで、他局から依頼があったことをこなすだけ。


 依頼が無ければただひたすらに暇に耐え、依頼があれば過酷な雑用に耐える日々が続く。


 局があんな便所小屋へ追いやられる理由も分かった。

 自分が女であるが故に、そんな局へ配属さられたのだろうことも。


「上がどれだけ私を嫌おうと、私は絶対辞めませんからねっ! っていうか、いつお手洗いから帰ってくるのよ、あのお馬鹿局長はっ」


 『ちょっとお花を摘みに』などと言ったまま、紹輝が姿を消して早一時間。

 間違いなく、奴はどこかでサボっている。


 怒りのあまり殺気のようなものまでにじみ出した小春は、不意に人の気配を感じて振り返った。


「何……あれ」


 赤い瓢箪ひょうたんを下げ、フラフラとしている影があった。

 酔っている……? まだ太陽は頭の上に出ているというのに。


「あれってどこかの官吏? 全く……最低!」


 いてもたってもいられず、小春は立ち上がると、ずんずんとその男の元へと歩み、手から赤い瓢箪を奪い取った。


「あなた、職務中に何してるの!?」


 こちらを見下ろす男は、総毛立つほどに眉目秀麗であった。

 

 だがその目は虚ろで、せっかく通りの良さそうな髪も、寒風に乱され放題である。 


「そんな格好でよくも宮中がうろつけるわね! まるで虚け者の鑑だわ」


 男は外套さえ着ていなければ、ほとんど寝間着のような格好であった。


 しかし驚くべきは、高級官吏以上に質の良さそうなものを、この男が羽織っているということ。


 一瞬嫌な予感がして、背筋を妙な汗が流れる。



「ね、ねぇ……あなたって一体」


「『そなた』……誰に向かって口を利いておる」


 酒臭さの混じった息。酔っているからなのか、やけに剣呑とした目をしていた。

 だが、その独特な宮中的な言葉遣いから、一瞬にして彼の正体を悟った。


(まさか……この人っ)


 冷たい風が吹き付ける。


 風が舞上げたことで、外套の下の金色の帯がはっきりと見えた。

 この国でたった一人だけが締めることの許される帯。


 第二十三代、秦周国国王――


「……晧朱閃コウ・シュセン。この名を聞いたことがないとは言わせぬ、女」


 小春は冷たかった指先が、さらに凍り付くような感覚を覚えた。



◆……◆……◆



「身体も温まったし、そろそろ帰りますよ」


 紹輝は立ち上がると、椅子に掛けていた羽織り物を纏った。


「もうゆくのか紹輝。もう少しゆっくりしていけばよいのに」


 ひからびた両手を火鉢に当てる、豊かな白髯はくぜんを蓄えた老人は、今年で齢七十八。

 見た目は骨と皮しかない貧相な体躯だが、若かりし頃は有名な剣豪だった男である。


 だが今でも腰はしゃんと真っ直ぐで、武術の師として若き武官らに教えを説いている尊老であった。


「久々にできた可愛い部下が待っておりますので、これで」

「よく言う。便所と言って、自分だけ暖かな場所へサボりに来たくせに」

「そこは同族のよしみで黙っていてください、鉄老師」

「そう言われては仕方あるまい。同じ金の字を持つ者同士じゃ」


 周秦国には、六つの有名な一族があった。

 それらは六大家と呼ばれ、各地で千年を超える長きにわたって現在も地方を支配している。


 朔家・炎家・洪家・林家・鏡家・壕家。


 六大家はその昔、直系以外の者を改姓させる風習があった。

 しかしそれぞれ出身家系が分かるようにと、朔家ならば月の字のある、炎家ならば火偏のある字を姓とした。


 今でこそその風習は廃れているが、同じ偏の字を姓に持つ者同士は先祖が同一とされ、結婚は今でも敬遠されている。

 それほど同家系としての身内意識は強くあった。


 紹輝は鉄老師に「では」と丁寧に拱手きょうしゅし、頭を下げる。

 本来なら鉄老師の方が年が上とはいえ、鏡の姓を持つ紹輝の方が正当六大家。拱手などして頭を下げる必要は無い。


 だが紹輝はいつでもこうして部屋を出て行く。鉄老師は自分の師であるからと。


 時々でたらめだが、鏡紹輝という男は、今時珍しく義を通したがる性分らしかった。




「よう、紹輝」


 鉄老師の室を出てすぐ、紹輝は腕を組んで壁に寄りかかる若い男に呼び止められた。


 やや赤みのかかった髪色をした青年は、文官の象徴たる空色の朝服を身に纏っていた。

 つり上がり気味の眉に不敵な笑み。少々嗜虐的にも見えるが、非常に均整の取れた、女受けするだろう端麗な顔立ちをしている。


 そして腰には高級官吏の証、藤色の帯を締めていた。


「おやおや、今を時めく侍中じちゅうともあろう方が、こんなところでおサボりですか?」


 宰相が文官の最高位とすれば、侍中はそれに次ぐ地位。

 二十一でそこまで上り詰めた青年は、周秦国史上、もちろん最年少での拝命であった。


 とはいえ彼は真面目にその地位の重さを考えている風ではなく、いつもこうして執務時間中にも宮中を歩き回る。


 だがこの若き秀才の行いを誰も咎められず、王の実情のことも相まって、宮中の風紀は乱れつつあった。


「テメェと一緒にするな、紹輝。もうオレの今日の仕事は終わったんだ。やることやってんだから、何したって文句ねぇだろ。実際、オレがいねぇとこの国は回らねぇし」


 その自信はどこから出てくるのか。

 しかし彼は実際、失敗や敗北を知らなかった。彼の思い通りにならないことなどない。


 黄金時代と呼ばれた中で、李影すら抜き、五年前の科試で首席の座を勝ち取った男――


「で? ワシに何の用だ、炎龍」


 炎龍は「よっこらせ」と真っ直ぐ立つと、疲れてもいないくせに気だるそうに自身の肩を揉む。


「やれやれ……人生、マジ楽勝だよなぁ、紹輝。勉強なんか、一を教えられりゃ十まで読めるし、出世なんて別に望んでなくてもできる。女はオレの顔と地位でいくらでも寄ってきてくれるし、何股かけてたって浮気だって騒ぐ馬鹿女もいねぇ。ほんと、ツマんねぇにもほどがある」


「……はいはい。お前の自慢話は聞き飽きた」


 紹輝が適当に手を振ると、炎龍はフンと鼻で笑った。

 炎龍の、こういう余裕ぶったところも癪に障る。だから紹輝は、あまり自分の同期たちが好きではなかった。


 一緒にいると、精神面でよろしくない。

 彼によってくる無数の女たちは、やはり彼の外面しか見ていないことが明らかだ。


「なあ、この間からずっと御上の寝殿見張ってる女……一体何なんだ? お前がタラし込んだのか」

「彼女はワシの部下だ。あまり苛めてくれるなよ」


「何の為にあんな田舎くせぇ女を御上に近づける」

「近づけるもなにも、彼女はただ仕事をしているだけだ。見張りの」


「見張りねぇ……」


 炎龍は片頬に笑みを浮かべ、スッと目を細めた。


「李影がおめぇをアテにしてんのは、お前には、即座に御上を見つけられる勘があるからだ。見張りなんかして、御上が帰ってくるのをただ待ってるだけの仕事を、あの男が依頼しに行くわけねぇだろう。ま、せいぜい御上と『雪姫』を引き離すよう頑張ってくれって、壕家の女に伝えといてくれや」


 ぽんぽんと炎龍に肩を叩かれる。

 彼がわざわざ来たのは、どうやら最後の一言を言うためらしかった。


 紹輝が、王の目を雪姫でない女に向けさせようとしているんだろう、と。


「そんなつもりはない。ワシは御上は好かないが、春のことは気に入っているんだから。これでも可愛がってるつもりだ」

「どうだかな。おめぇは相当な狐男だからよ」


 肩越しに顔だけ振り返り、炎龍はそれだけ言い残して去って行った。

 おそらく、どこかへ昼寝でもしにいくのだろう。


 黄金世代に憧れているらしい小春に、本当にそっくりそのまま彼の言ったことを伝えたら、どんな顔をするだろうか。


――人生、マジ楽勝

――何股かけてたって……


 がっかりするだろうか。

 面白そうだから言ってみよう。


 小春の陥っている緊急事態も知らず、紹輝は軽い足取りで踵を返した。



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