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+第三話+ 特務局

「わぁー緊張するー! どんなとこだろうねっ!」


 真新しい淡い桃色の朝服に袖を通し、小春は心弾む気持ちを抑えきれずにいた。

 入官式後、さっそく新しい職場へ挨拶へ行くのである。


「あーあ……物事を知らないって、幸せだよなぁ」

「おやおや? 私の配属先がすごそうだからって、嫉妬してるの、豆豆ドウドウ?」


 小春の隣を、恰幅の良い少年がノッシノッシと闊歩する。

 両手には月餅げっぺいやら桃饅頭やらを一杯に抱え、美味そうにそれらを平らげる彼の腹の辺りは、空色の朝服がはち切れそうに膨らんでいた。


 おっとりとした風貌の彼は、小春の同期であり、幼少期からの悪友でもある豆豆ドウドウ、本名、煉才角レン・サイカクである。

 豆豆というのはあだ名で、彼の体型が豆粒のようにコロコロしているからと、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた。


 だが、彼は科試を通過するほどの秀才で、なおかる所謂「動けるデブ」というやつである。見た目はおっとりしていそうだが、なかなかあなどれない。


「んーまあちょっとは羨ましいかな。黄金世代の官吏がいるらしいし」


 豆豆は口の周りに食べかすを付けたまま、また次なる桃饅頭に手を伸ばす。


「豆豆、それ本当!? 黄金世代がいるの?」

「ああ。確か名前が……」

「わあ、私ってばツイてる! 初っぱなからそんな有能な人物の下で働けるなんてっ」


「まあ、有能かどうかは知らねぇけどな」

「っもう、あんたってば意外に嫉妬深いのね。モテないわよ~」


 餅のような頬を突くと、饅頭を持っていたベタベタの手で払いのけられそうになる。


「煩ぇ。小春、お前はあっちだろ」


官吏たちが大勢行き交う冷静殿の入り口前で、豆豆はまるまるとした指で別の方向をさした。


「ああ、そうだった……。私は冷正殿じゃないんだ」


 官吏の大部分は、冷正殿と呼ばれる巨大御殿で働く。煌びやかで華やかで、難関を突破してきた優秀な者たちに相応しい職場であった。


 だがどうしたことか、小春一人だけは、やけに外れにある場所を教えられたのである。


「別に一生そこってわけじゃないだろ」


 気にするな、と彼は言ってくれたようだが、饅頭を噛みながら言ったせいでよくは聞き取れなかった。


「そうね。じゃ、またあとで! 食べすぎてお腹壊さないようにね!」


 基本的に前向きな小春は、元気に手を振ってその場を後にした。







「って、え……? ここ?」

 

 冷正殿から少し離れた場所、雑木林のそばの薄暗い地点に特務局はあった。


 と言ってもただの薄汚れた小屋で、外観はからは、どうしても便所か、良くて物置にしか見えない。

 しかし扉の横には、「特務局」と雨風に打たれて薄汚れた看板が据えられ、どうやら間違いはないらしい。


「見かけによらないだけ……よね。中はきっと綺麗……よね」


 お願いそうであってと願う。こんな便所小屋のようなところで働くために、死にものぐるいで勉強してきたわけではないのだ。


 煌びやかな冷静殿を背に、小春は扉に手を掛ける。


「し、失礼しまーす」


 ギィと古い蝶番の音が不安を煽る。


 本当にここが特務局なのか。

 まさか自分は、官吏長らにからかわれているのだろうか。それとも新人いびりの一種なのだろうか。


 自分が女だから。




 見れば、小屋の中は元々厨房だったらしい。

 流し台に薪焜炉たきぎこんろ、ヒビの入った大きな水瓶もある。さび付いているが、包丁や鍋もあるらしい。


 埃っぽく、今は使われていないようだが、厨房としての設備はなかなかよさそうに見えた。


 そうやって品定めしてしまうのも、小春が料理好きであるがゆえであった。

 季節の草で餅を作ったり、大勢で食卓を囲うのもいいだろう。


 いっそ綺麗に磨き上げて、本当に厨房として使いたいくらいだ。



 だが、おおよそ執務室と呼ぶには相応しくなく、まな板の上に置かれた数冊の本がやけに浮いて見えた。


「あのー、すみませ……」



――トクン


 一瞬、胸が大きくざわついた。

 呼びかけようと視線を変えた先に、古びたテーブルに肘をつき、窓の外を眺める麗人がいたのである。 


 男は精巧な人形が置かれているのかと思うほどに美しく、非常に均整の取れた端正な顔立ちをしている。

 そのどこか愁いを帯びた、だが菖蒲のような凜とした理知的な麗しさに、胸の高鳴りが止まらない。


(あの人が、黄金世代の官吏、ウチの局長……!? かっこいい……っ)


 小春が入ってきたことに気づいているのかいいないのか、麗人はこちらを見向きもせず、ただひたすら窓の外を見ている。


「あの……本日付でこちらに配属になりました、壕春厳です! よろしくお願いいたします、局長!」


 切れ長の瞳が、まるで木の葉が湖に落ちるが如くゆったりと動き、不愉快そうに小春を瞳に映した。

 すり下ろしたばかりの墨のように、濁りのない清らかな瞳である。


「……ふざけるな。オレがこんな部署に配属されるはずだないだろう」


 彼はガタリと立ち上がり、壁に立てかけていたらしい金色の剣を帯に差す。


 薄暗くて分からなかったが、よく見れば彼は紺青色の朝服。武官であるらしい。

 ならば彼は文官たる自分の上司ではない。


 正直、少しがっかりする。

 

「あの、ならなぜここに? 局長に用ですか? 今はいないようですが、なんなら私が伝言を」

「下吏風情が……うっとおしい」


 吐き捨てられた言葉とその物言いに、ピクリと小春の頬が引きつる。

 確かに自分はまだ下級官吏だが、だからといってドブネズミでも見るような目で見なくてもいいではないか。


「何あれ。何様?」


 失礼極まりない武官の背中が扉の向こうへ消えると、小春はムッとして眉間に皺をよせた。


 どこの高級官吏様か知らないが、ちょっと年が上なくらいで初対面相手に礼儀をわきまえない輩など、牛にでも蹴られればいい。


 自分も大したことがないくせに、それでも自分以外は馬鹿だと思っている類いの、可哀想な人間なのだろう。


「あれ……でも待って?」


 さきほどの彼のしていた帯の色は、確か藤紫ではなかったか。


 そう思い返すと同時に、ヒヤリとする。


 ならば、本当に自分のような下位官吏が話しかけられるような人物ではない。

 武官で藤色の帯を付けられるほどの高位といえば――


「まさか、近衛正府待長このえせいふたいちょう……!?」


 近衛は王の護衛を司る、王国軍の中でも精鋭中の精鋭。なおかつ、近衛正府待長はそんな近衛らの最高司令官様である。


 あの若さで? そんな馬鹿な。


 彼はどんなに年上に見積もっても、自分より五つほどしか離れていないだろう。ならば最高でも二十一歳ほど。

 ひげの生えた、偉そうな初老の男がやっとなれるような役職。二十歳そこそこの若者がなれるはずがない。


 いや、だが――彼が推測通り五年前に入った官吏ならば……。


彼はおそらく、黄金世代の代表格のうちの一人。


李影りえい……。――っ!」


 小春は脱兎の如く飛び出した。


 こんな千載一遇の大チャンスなど、めったにない。黄金世代のエースクラスと話ができるなど、今後死ぬまでないだろう。もっと色々聞いてみたいことがあるのだ。


 彼ならば、さっきのことは水に流す!


「ま、待って!」


 扉を蹴破るように開けて一歩踏み出したその瞬間、小春は何か柔らかなものを踏みつけた。


「え 、何?」


 視線を下げ、踏みつけたそれが地面に倒れている人だと気づいた瞬間、小春は一気に血の気が引いた。


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