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+第十八話+ 下手な作戦

「ちょっと、春、大丈夫?」


 重箱を落とした小春に、紹輝は苦笑いを浮かべた。

 小春はすぐ正気に返り、慌てて弁当を拾い上げる。

 風呂敷にしっかり包んでいたおかげで、汁が零れ出た以外損傷はないらしい。


「あの、鏡局長それで……何と?」


 ドッドッと心臓が強く鼓動する。

 まさかとは思うが、ずっと会えない彼を想い続けた彼女のに、『初めましてー』などと言っていないだろうか。

 この男なら言いかねない!


「いや、話してはないよ。あの方は遠くから、ワシの作業をご覧になってただけだったし、近寄ろうとしたら逃げられた」


「そうですか……」


 ホッと胸をなで下ろした。

 きっと話しかけることすらできず、赤い顔をして小動物のように彼の姿を見つめていたんだろうと思うと、思わず「雪姫、可愛すぎます」と言いたくなる。


 その点は全く小春の想像通りだったのか、紹輝はまるで温かな湯にでも浸かっているかのような、幸福そうな顔をしていた。


「綺麗だよねぇ……。あーあ、君もああなら、ワシももうちょっと気合い入れて仕事するのになぁ」


「……眼鏡粉々に打ち砕きますよ?」


 それだけはヤメテと、紹輝は怯えたように首を振る。


 普段は何を言っても飄々としているくせに、眼鏡は相当の弱点らしい。部屋の片付けはろくにしないくせに、棚に並んだ眼鏡は、どれも新品のように磨き上げられているくらいだった。

 それに触ると怒られる。


「あの、それよりどうしてそんなに目が悪くなったんですか」


 雪姫は、暴漢の放った矢のせいだと言っていた。

 雪姫を覚えていないという紹輝は、一体その理由を何と答えるのだろう。


「いや、昔イノシシ狩りの矢に誤って撃たれたことがあってね。意識を失って、それが原因『らしい』」


「『らしい』?」


「ああ。というのも、ワシの二十一年間の中で、気になってるのにどうしても思い出せない一日があるんだよ。その前後一週間も曖昧だけど、その一日だけが特に……全く何も思い出せない」


 まさか、……記憶喪失――


 小春の、重箱を持つ手に力が入る。零れたおかずの汁の匂いが、やけに鼻についた。


 彼があの時失ったのは、視力や手柄だけではなかったのだ。

 

 紹輝は、いつもは見せないような朧気な表情で立ち上がった。

 いつもそんな表情をしていれば、女の子にさぞかしモテるだろうにと思う。


 紹輝は壁の小さな鏡に向かいながら、まるで自分自身に問いかけるように口を開いた。


「四年前のあの日、ワシはどこで何をしてたんだろうねぇ。なんだか大事なことだったような気がするんだけど……。って、春に聞いたって知らないか」


 紹輝は振り返って、どこかぎこちなく微笑む。


 知ってる。

 彼の忘れ去ったその一日に、一体何が起こったのか。

 

 彼がどれだけ素晴らしいことをして、誰にその武勲を奪われてしまったのか。


 だが小春は、それを自分が言うのはお門違いに思えた。

 もし彼に真実を告げられる者があるとすれば、雪姫か、もしくは――


 優しく儚げな二胡を奏でる、若き武官を思い返す。


「鏡局長……今日は少しだけ、帰りが遅くなるかもしれません」


「え? ああ、どうぞ」


「ちょっと、行ってきます……」


 紹輝は武勲をはぎ取られたままで。

 雪姫は大切な思い出を忘却されたままで。

 

 このままでいいはずがない。

 大いなるお節介だというのは分かっているつもりだった。


 それでも小春は、大きく息を吐いて特務局を出た。



◆……◆……◆


 冷正殿、王のおわす間――


 朱閃は頬に大きな木綿をこれ見よがしに貼り付け、周囲を山のような資料や書類に囲まれたまま、仏頂面でだらしなく机にあごを乗せていた。

 乾いた木綿を貼ってあるのは、今朝方、小春に思い切りはたかれた箇所である。


 見た目こそ痛々しく、家臣らも相当驚いていたが、朱閃とて男児。

 女の子に少々頬を張られたくらいで腫れ上がるような、軟弱な体は持ち合わせていない。


 医師にも全く必要ないと断言されたが、ゴネて無理矢理貼らせた。


 そうやって大げさな処置をしていれば、小春もきっと気に掛けてくれるだろう。

 いつも突っぱねたような彼女も、今日は優しくしてくれるかもしれない。


 それにあわよくば、やり直しの口づけをさせてくれるかも、という淡くも浅はかな期待を抱いてのことである。


「お邪魔します」


 小春の声に、朱閃はつい、勢いよく笑顔で顔を上げてしまったが、慌ててまたふて腐れたフリに戻った。

 折角の計画が危うく台無しになるところだった、と朱閃は気を持ち直す。


「ごめんね、お弁当ちょっと落っことしちゃったから汁が漏れちゃって。でも食べられるから大丈夫よ」


「……」


「今日は少し多めに作ってきたの。食後の点心もあるんだから。すごいでしょ?」


「……」


 小春の言葉にいちいち答えそうになるのを、服の袖口を握って懸命に堪えた。


 一言も物を発しない自分を訝しく思うようでもなく、小春はせっせと机に重箱を広げる。

 朱閃はチラリと顔を上げ、小春の様子をうかがうように見やった。


 拗ねているフリをしていれば、構ってくれるかと思ったが、彼女はそんな自分の振る舞いになど一切気づかず、それどころかとても虚ろげである。

 何があったのかは気になる。


 それでも、朱閃は粘った。


「……今日は昼餉ひるげはいらぬ」


「え? どうして? もしかして、もう食べちゃった?」


 なんだ、早く言ってよ、と早々に重箱を片付け始める小春に朱閃は堪えきれずカバッと起き上がった。


「いや、あの、ま、待て! 食す!」


「え、何、どっち? 食べたんなら、無理しなくていいわよ、鏡局長や豆豆ドウドウも食べるだろうし」


 小春のせっかくの手料理を、他の男などに食べられたくはない。

 豆豆とは誰なのか知らないが。


「り、量が少なかったから、満腹にならなかったのだ……」


 金糸を編み込んだ腹の帯をさすりながら、下手な言い訳をして箸を取る。

 作戦は大失敗だ、と朱閃は肩を落とした。


「はあ……」


 だが、そうため息をついたのは、朱閃ではない。


「どうした。何か悩んでいるのか、小春」


 さっそく美味そうな料理に手をつけながら、朱閃は何ともなしに尋ねる。


「うん…………。ねえ、私たちもう恋人のふりするのやめない?」


「――!?」


 小春の衝撃的な言葉に、朱閃は危うく口にした回鍋肉を丸呑みしそうになった。


「な……、い、嫌だっ! 余は別に、本気で怒っているわけではない。そなたが謝るのなら、すぐに許すつもりだ。だ、だから……」


「何? あなた、何かに怒ってたの?」


「……」


 計画が失敗したというどころか、小春には何も気づかれていなかったらしい。

 衝撃で頭がくらくらする。


「あ、もしかして今朝のこと? それは自業自得じゃない。子女の部屋に忍び込んで、挙げ句頬に口づけるなんて。破廉恥すぎるもの」


「寝ぼけて、も……餅に見えただけだ」


「ええ、そんなことだろうと思った。明日作ってきてあげるから、もうしないでね。いい?」


「……分かった。すまぬ」


 はたかれたことを謝ってもらって構ってもらうつもりが、逆に怒られて自分が謝ることに。

 確かに落ち度はこちらにあるが、小春が自分をこれほど好きにさせたのが悪いのにと、朱閃は納得できずにいた。


「だが、なぜ突然恋人のフリを辞めたいと思ったのだ」


 僅かに小春の目が泳ぐ。

 まさか彼女が、紹輝と雪姫を結びつけようとしていることを気に病んでいるなど、朱閃は知る由もない。


「だから……その、私じゃ……力不足だから。それに第一、私たちが恋人のふりしてたって、雪姫は全然、ほんとに全っ然! 気にも留めておられないじゃない。正直、意味ないと思うの」


「い、意味はある! だからこのまま続行する。余がやめると言うまでやめさせんっ。政をせんからなっ」


「もう、我が儘なんだから」


 言いつつ、恋人のフリは続けてくれるようだと、朱閃は胸をなで下ろした。

 自分と彼女を繋げているのは、この『嘘』だけなのだから。


 いつか真実にしたいとは思っているが。


「それより小春……」


「ん? 何?」


 朱閃は真剣な面持ちで箸を置くと、袖の中からたおやかにかんざしを取り出した。

 もちろん、一般に市販されているものなどではなく、彼女のための特注品である。


 それをそっと、小春の美しく結い上げた、芯のある髪へ差し込んだ。

 瞠目した小春の頬が、驚きに赤く染まる。


「ねぇ……これっ」


「雪姫の髪飾りを見て、欲しそうにしていたから……。よく、似合う」


 目を細め、少し大人びた表情をする朱閃に、小春はうろたえたように俯く。

 

 彼女の胸の鼓動が驚くほど上がってたなど、同じくかんざしで色っぽくなった小春に胸をときめかせていた朱閃が知り得ることはない。


「小春……」


 朱閃は赤い顔で俯く小春のあごを柔らかに上げ、至近距離でのぞき込んだ。


「今宵も、そなたの部屋に行ってもいいか……?」


 しばし間を置き、小春の唇が少し緊張気味に震えて動く。


「…………絶対に帰るって、約束してくれるのならね」


「約束する!」


 白い歯を零して嬉しそうに微笑む朱閃から強引に目をそらし、小春は照れ隠しをするように、大きな焼売シュウマイを口へ放り込んだ。



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