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+第十七話+ 既視感のある朝

 朝――

 侍女の声かけなどなくても、小春は自然と目を覚ました。

 特にまだ新しい『枕』に慣れていないせいか、熟睡ができなかったことも要因の一つであろう。


「ふわーあ…………、……って、きやああああっ!」


 いつかの朝の如く、腹の周りに巻き付く男の腕に小春は叫び声を上げた。


「な、なんでまたここにいるのよ、朱閃っ!」


 寝床から抜け出そうともがく小春を、朱閃はまるで蟻地獄のようにずるずる自分の元へ引き戻す。


「そなたは余のものになったからだ。後宮ここにいるのが何よりの証。ここのおなごは全て世のものだ。今はそなたしかおらぬが」


 背中から抱きつかれ、髪にぐりぐりと顔を埋められる。

 くすぐったいやら、綺麗な男にそんなことをされる恥ずかしさやらで小春は頬を真っ赤にする。


「ち、違うっていってるでしょ。官舎が修繕されることになって使えなくなっちゃったから、その間だけここに住まわせてもらうことになったのっ。何度も言ったじゃない」


 何の予告も無しに、唐突に始まった『官舎の修繕工事』。

 確かに古いことは古かったが、別に雨漏りがするわけでもすきま風があったわけでもないというのに。

 

 だが工事をするから出て行けと言われれば、それに従うしかなかった。

 他の男官吏らは別の官舎が宛がわれたようだが、小春は別の官舎に空き部屋がないということで、ここを使うよう勧められていた。

 

 後宮を仮住まいにするなど畏れ多いし、何より誤解を招くと必死に断り、城の周辺で手頃な部屋を借りようと探しても、なぜか全ての大家に断られてしまった。

 

 野宿をするわけにもいかず、結局修繕工事が終わるまで後宮に居を置くことになったのである。


 小春はこれが蘇大師や彼の書記官による国権発動級の陰謀だとは、知る由もなかった。


「はぁ、そなたは柔らかいし、良い香りがする。放したくない」


 後宮は寝台から家具から一級品ばかりで、まるでお姫様になったような心地が味わえるのは何ともときめきを感じる。

 だが、朱閃が毎日小春の室へ来るようになってしまったことに関しては、迷惑なことこの上ない。


「いっそのこと、ずっとここへ住まうがよい。余が許す」


 スンスン、はあはあと色々な息づかいがすぐそばから聞こえてくる。


(ああもうっ……お願いだから、勘弁してちょうだいっ)


 体を捩っても腹に回る朱閃の手をどかせようとしても、男の力には全くもって敵わない。


「もう、いい加減に……」


 ふいに影が下りたかと思うと、小春の頬にふわりと柔らかなものが落ちる。

 ちゅっと愛らしい音まで聞こえた。


「……っ」


 それが朱閃からの口づけだと分かった瞬間、小春は熟れたイチゴのように真っ赤になる。


「いやあああっ、ばかぁっ!」


 パチンッ、と小気味の良い張り手の音が響いた。



◆……◆……◆



「あっははは! 頬に口づけされたくらいで平手って……王様に平手って……」


 紹輝は、ぐふふふと妙な笑い声を立てながら腹を抱えて蹲る。


「笑いすぎです、局長」


 ひいひい言って涙を拭う紹輝を、小春は冷めた目で見つめる。


 平手打ちを喰らわされた朱閃は、衝撃のあまりしばらくポカンとし、そして赤くなった頬を押さえながら哀しげな表情で出て行った。


 その様子に、さすがにちょっと可哀想だったかな、と小春も同情の念が沸いてしまったのである。


 だから今日は弁当のおかずもいつもより多めに作ったし、普段は太るからとあまり作らない甘味もたくさん作った。

 元々の原因を作ったのは向こうだというのに、自分も気が弱いものだと小春は思う。


「あれ、これってまた炎龍からのご指名付きの依頼?」


 笑い止んだ紹輝が、卓の上に乗った書類を手に取る。

 炎龍から、資料を読んでまとめるよう指示を受けて作成したものである。


「はい。炎侍中は最近たくさん仕事を回してくださって」


 それも、官吏として必要な能力をつけさせるかのような依頼ばかりを、小春に名指しで要請する。


――見づらい。やりなおせ


 そう炎龍に、書類の束でペシリと頭を軽くはたかれることもあった。

 遅くまで残って作った書類にも、彼は全く容赦しない。


――で、でも前に作ったのよりはだいぶ……


――もう一発いくか?


 そう書類の束を高々と持ち上げられ、小春は慌てて作り直しを約束した。

 だがこれはきっと、自分を一流の官吏に仕立てようとする彼の意図の現れなのであろう。


 女を自分好みに仕込みあげるのは得意だと、あの綺麗な顔にドキッとするほど美しい不敵な笑みを浮かべて言っていたことがある。


 だからこれもきっと、炎龍による『女仕込み』の一環であろう。

 小春のためというよりは、早く好敵手が欲しいという彼自身の願望のためなのは分かっている。


(やっぱり、さすがは黄金世代筆頭様。普段はしょっちゅうサボるくせに、一旦火がつけば指摘は鋭いし、見本として手渡されるあの方の作った書類には、無駄も間違いも一切ないんですものね。私が作ったものと質が全然違う)


 それに仕事中の彼は驚くほど威厳に満ちていて、指示も的確で早い。

 部下からの長ったらしい報告を頭に叩き込みながら、同時に難解な資料を読み解いて、上へ報告するための簡易なものへ作り替えることも平然とやってのける。


 他の追随を許さぬ、圧倒的な存在感を纏っていた。


 そんな男に直々に教われるのだ。

 自分のためにというわけでなくとも、小春はありがたいことこの上ない。


 炎龍の秘書役の青年から、彼が誰かにこれほど真面目に仕事を教えるのは初めてだとも聞いている。


 宰相になると宣戦布告をした手前ということもあるが、それ以上に炎龍がそれほどまで真摯に、自分に一流官吏になることを望むなら、それに応えるのがスジというものだろう。


 この欠伸ばかりしている無精な上司の下では、到底学べないことばかりなのだから。


 暇そうに本の頁をめくる紹輝を見やる。


(ほんっとに毎日毎日……かわり映えのないことばっかりして)


 それでも彼は、あの繊細で美しい雪姫の思い人。

 ……彼女とのことは、慎重に進めなければ。


 彼は本当に彼女のことを覚えていないのか?


 それとも――


「何? 穴があくほどワシを見つめちゃって。いくらワシでも、若い女の子にそんなことされたら照れるよ」


 本に視線を落としたままの紹輝にそう指摘され、小春は慌てた。


「み、見つめてません。じゃ、行ってきます」


 いそいそと風呂敷に重箱と作成した書類を一緒に包み、それを両手で持ち上げる。

 早く行って、今頃ふて腐れているであろう朱閃を慰めてやらなければ。


「そういえば先日、雪姫とお会いしたよ」


「――!」


 紹輝の何気ない一言に、小春は持ち上げたばかりの重箱を足元へ落とした。



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