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+第十二話+ 癒養宮

 特務局の食台の上で、小春はぐったりしたように俯せになっていた。

 そのすぐ傍で、紹輝はやけに楽しそうにたくさんの眼鏡を並べて一つ一つ拭いている。


「暇です……」

「そうだねぇ」

「棚は整理し尽くしました。屋根も壁も掃除しすぎて逆に痛みそうなぐらい磨き上げました」

「そうだねぇ」

「もう、することが全く見当たりません」

「そうだねぇ」


 単調な返しに、小春はイラッとして食台をバンッと叩いて立ち上がった。


「そうだねぇじゃなくて、何か仕事もらってきてくださいよ! 一体何日こんな状態が続いていると思ってるんですか」


「んー、かれこれ九日ほど?」


「十日目です! 何もせず、俸禄だけもらって、官吏として恥ずかしいとは思わないんですか!?」


「ワシは眼鏡さえ無事ならそれでいい。もう無くしても大丈夫なように、予備をたくさん買っておいたんだ。特にほら春、見てくれこれ! 最新型だ」


 嬉しそうにピカピカの眼鏡を見せてくる。


 ああ、こいつはもうダメだ。


 小春は冷めた視線を送るが、紹輝は全く意に介していないらしい。

 完全にキラキラと少年の目をしている。


「自分で何か探してきます」

「はいはい、いってらっしゃーい。扉は早く閉めてね、外から砂埃入るから」

「…………」


 怨めしそうに振り返る小春よりも、紹輝は眼鏡の方が大事らしかった。



 いつか眼鏡を指紋だらけにしておいてやる。


 密かにそう誓った。



◆……◆……◆



癒養宮ゆようきゅう……入れないなんてなぁ」


 癒養宮。

 冷正殿の裏手にあるその宮に、雪姫がいるらしいということは分かっていた。朱閃との仲を取り持つためにも彼女とお近づきになりたいのだが、どうやらめったなことでは近づけないようになっているらしい。

 

 周囲は高い壁に囲まれて中は見えないし、出入り口にはいかにも屈強そうな武官が見張りをしている。

 一度入れてくれと頼んだが、帯の色を一瞥されたかと思うと、鼻で笑われて終わった。


 自分だって一つ上の黒色なくせに……と言いたくなるのを何とか堪えた自分を褒めたい。


「近くに見えてるのになぁ」


 壁の穴から覗けないものかと、のぞき穴を探して白い壁をベタベタと触る。


「何をしている」


 突然視界に入った剣の刃に、小春は驚きすぎて「ひっ」と声が出た。


「覗きとは随分な趣味だな、ごう二級官吏」

「李侍長……」


 何とも冷静に剣を突きつけていたのは、黄金世代双璧の内の一人、李影。


 背は朱閃よりも高く、武官らしいしなやかな体躯をしていることが紺青色の朝服の上からでも分かる。


 彼が剣を振るう姿はまるで舞いを舞うかのようだと聞いたことがあるが、それも納得できるほどであった。


 李影はすぐさま何事もなかったかのように剣を収めるが、そもそも子女に剣を突きつけるとは穏やかではない。


「近衛侍長ともあろう方が、どうしてこんなところに。休憩時間ですか? それともおサボりで?」


「炎龍と一緒にするな、愚か者。御上はどこだ。教えろ」


「知りませんよ。私が常にあの人のことを把握しているはずないでしょう」


 朱閃の恋人役になってからというもの、彼とも顔を合わせることが多くなったが、印象は一向に良くならない。


 堅物だし、笑わないし、命令口調だ。


 容姿は朱閃同様素晴らしいが、中身的には間が抜けている上にかなり助平だが、愛嬌のある朱閃の方が大分マシだ。

 

「あの方のところか……」


 腕を組み、李影は切れ長の目で壁の向こうから見える癒養宮を望む。


「さあ、かもしれませんね。御上もかなり雪姫のことを案じられているようですし」


 小春がそう言うと、李影はどこか怪訝そうに小春を上から下まで無遠慮に見つめる。


「やはり貴様はただの当て馬なのだな。御上の本命は雪姫、貴様は仮初めの女。雪姫の気を惹くために、貴様はただ利用されているだけだが、己でもその自覚があるらしい」


 綺麗な男だが、随分ズゲズゲと言ってくれる。

 紹輝が黄金世代を好きでないと言っていた理由が、最近はよく分かる。


「別に利用なんてされてません。私だって雪姫とのことは応援してますから」

「それで女としての体裁を守っているつもりか」


 ものすごくイラッとしたが、一々訂正するのも面倒だ。


「あの……、私はこれで」

「呼んでこい」


 背中に投げかけられた言葉に、小春は思わず足を止めた。


「は、はい?」

「中へ入って、御上をお連れしろと言っている」


「あいにく二級官吏の私は入れてもらえないんです」


 李影の整った顔が、みるみる内に険しいものへと変わっていく。


「…………。人の役に立つことがあるのか、貴様」


 まるで汚物でも見るかのような李影の視線に、小春は拳で壁を殴りまくりたい衝動に駆られる。


(腹立つー! 何この人! はらわたが煮えくりかえって仕方ないんですけどっ!)


 いっそ本当に殴ってしまおうか。

 いやいや、折角待望の官吏になれたのに、二月と経たぬ内に解雇などしゃれにならない。

 とはいえ自分は何も仕事のない、窓際局に追いやられている身。解雇になっているも同然の状態である。


 小春の中を、小さな二つの思いが葛藤しながらグルグルと回っていた。


 そもそも、武官の男に勝てるはずもないことなど考えが及ばないほどに。


「李影様? それに春姫も」


 聞き覚えのある柔らかな女性の声に、小春は悪なる感情から解放された。


 以前食事会で顔を合わせた、雪姫の侍女、麗蘭であった。手には何やら小袋を抱えているが、何か買い物でもしていたのだろうか。


「まあお寒い中どうなさったの? さ、お二人ともどうぞ中へ」


「い、いいんですか……」


 願ってもない申し出である。

 小春はすぐにその誘いに乗った。


「麗蘭殿、御上はおいででしょうか」

「ええ。いらっしゃっておいでですわ。さ、李影様も」


「いえ、癒養宮は男子禁制。私はこちらで」

「まあ、そのような規律はあってないようなもの。今までもたくさんの殿方がお見舞いにおいでなさってますわ」


「しかしその誰もが、三日前までには約束を取り付けておいでです」

「遠慮なさることはございませんでしょう、あなた様は雪姫を救われた英雄です」


 麗蘭は朱を引いた美しい唇を柔らかく曲げ、にこやかにそう言ったが、なぜか李影の表情は曇って見えた。


「…………いいえ、私はこちらでお待ちしております」


 そう言って、李影は決して宮へ入る門を跨ごうとはしない。

 その表情に少し、小春は違和感を覚えた。


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