12
「ごふっ!……ぐっ…げほげほっ!」
フィリップ様が飲んでいたお茶でむせている。
それもそうだろう。
私もお茶に伸ばしていた手が止まっている。
お父様は先程の紙袋を持ったまま固まってしまった。
「嫌です!無理です!拒否します!」
なにそのリズミカルな否定……
無言の兄が再び私の腰を抱くが、その力はとても強かった。
「父上!突然何を言うのです!断固反対です!僕はまだ死にたくありません!」
なんて物騒なことを言うんだこのおぼっちゃまは。
私は致死薬か。
別に悲しくはないけれど、勝手にフラれた気分でやるせない。なんだろうこの扱い。
「あっはっはっはっ!良い反応だよ、フィリップ。気持ちは分かるが、そんなに感情をむき出しにしてはいけない。我々は常に冷静でいなくては。」
「父上!冗談が過ぎます!」
「ははっ!すまない、お前の焦った顔が良くてついな。というわけですまないね、レイラ嬢。冗談だ。きみも分かっていたと思うけれど、本気にしないでくれ。」
フィリップ様が公爵様にくってかかるけれど、公爵様は何処吹く風で受け流している。
楽しそうな公爵様が私に向かって悪びれもなく言った。
「はぁ……それは重々承知してますけど……」
もちろん私も本気になんてしない。
公爵家嫡男の婚約者なんて私に務まるはずがないのだから。
「大体、レイラ嬢との婚約なら僕じゃなくてセレスティンさんに言ってくださいよ!僕を巻き込まないでください!」
「へ?」
フィリップ様の思いがけない言葉に、私は間抜けな声を出してしまった。
なんでここで兄さん?兄さんと……結婚?それは……
「ふっ。冗談はさておき、少し真面目に話をしようか。レイラ嬢の婚約の話を今出したのには理由がある。はっきりと言うが君の家は裕福だ。その一人娘の婚約者がいない状態になっている。今回のアルフレッドのように君に目をつける輩が今後もいないとは限らないわけだ。もし、家柄も本人も特に問題がなかったら、君はその家に嫁ぐことになる。たとえ相手が好きでなくともね。」
公爵様の言葉に私はぞくっとした。
貴族に生まれた以上、家のために生きなければならない。
家族が優しいからそんなに意識したことはなかったけれど。
いつか私は家のために『家』を出ることになる。
「そして、セレスティン君の後継者という立場にも関係してくる。子爵殿が決めたとはいえ、彼は元平民で血族ではない。他から横槍が入らないとは言いきれない。一番ありそうなパターンとして考えるならレイラ嬢の婿として貴族の次男、三男あたりが結婚の申し出をしてくることかな。貴族としては珍しくない話だ。申し訳ないが貴族社会は結構合理的にできている。」
「公爵殿!それは!それは私が今度こそ断ります!」
「ではレイラ嬢はこのままずっと独り身かい?元平民が継いで、周りの貴族がどう見るか。たとえ有能でも『血』を重んじる口うるさいやつはごまんといる。それら全てから守れるのかな?」
「……それは……」
公爵様の言うことはもっともで、だからお父様も言葉に詰まっている。
「私は子爵殿の考えが嫌いなわけではない。有能でその気がある人物が要職に就くことは結構なことだ。大切なのは民が安心して暮らせること。そのことにおいて、実に理にかなっていると思う。だが、現実はまだ理想とは程遠い。」
「それでも私は……子供たちに家の犠牲になってほしくないのです!」
私が知らない誰かと結婚して家を出るか、私が婿をとって後継者になってもらうか……でも……そうしたら……兄さんは?
「……ははっ。子爵殿、私はあなたのその真っ直ぐさが好ましいよ。ではレイラ嬢。君はどうしたい?君の望む将来とは?」
……私……私は……
「もういいです。」
「兄さん?」
ずっと俯いて黙っていた兄が、小さくぽつりと呟いた。
顔を上げた兄の表情は、痛みを耐えるように苦しげだった。
「全ては私が臆病だったのです。動けないくせに欲しがって、雁字搦めになって……隣にいるだけで満足していた、私のせいなのです。」
兄が私の両手をとって、祈るようにその大きな手で包み込む。
真っ直ぐに見つめられた兄の瞳は、同じ空色なのになんだか知らない色をしていた。
「レイラ……ずっと昔から……女性として、妹として、家族として、愛と名のつく全てで貴女を想っています。家のためでも、私という『兄』を助けるためでも、私はその気持ちだけで十分です。レイラが望むなら、形だけの婚約でも構いません。もし、私が嫌いでないのなら……私を選んでくれませんか。」
「兄さん……」
「レイラのためなら私は――抹茶プリンだって作ってみせます!」
「ぬあっ?!」
しまった!抹茶プリンに反応して変な声が出ちゃった!兄さんが真剣な話をしてるはずなのに!
「マスカットのパフェも、バニラアイスがとろけるハニートーストも、タワーのようなウエディングケーキも作りましょう!だから私を――」
「結婚します!」
はっ!思わず答えちゃった!だって次から次へと脳内をスイーツが走っていくから!兄さんがいてくれて、兄さんが作ってくれる美味しいものがあるなら私にとってはそれ以上なんてない。
「え?!それでいいの?!」
「いいんだ、フィリップ。これも立派な政略結婚の一つだよ。」
フィリップ様が思わず立ち上がって叫んだ。
公爵様は片手でそれを制し、私たちを見て満足げにゆっくりと首を振った。
「本当に……本当に私を選んでくれるのですか?」
兄の声は震え、私の手を包む大きな手も小さく震えていた。
私は安心してほしくて、いつものように笑った。
「うん!兄さんが大好きだから。ずっと一緒にいたい人は、兄さんなの。」
「あぁ……レイラ……ありがとうございます。」
包まれていた手に、兄が額を押し当てた。
そして私の手の中に流れ込んでくる温かい涙。
「兄さん……泣かないで……」
悲しみの涙じゃないことは分かっていても、兄が泣いているということが私の胸を痛める。
なんとかしたくて、兄の視界に入ろうと身を屈めようとした時だった。
「うあぁぁ!レイラぁ!ゼレズディーン!良がっだよぉぉ!」
お父様が後ろから私ごと兄を抱きしめた。私はそのまま兄の胸元に押しつぶされ、為す術もなかった。
「うえぇ?お父様?!え?なんでお父様まで?!」
私の頭上で、涙に濡れる成人男性が二人。
「いいかい、フィリップ。我々貴族は、民に安心と幸福を保証することが義務となる。だが国から見れば私たちもまた『民』だ。義務の中に幸せがあってもいいと、私は思うよ。」
「父上……」
公爵様がゆっくり立ち上がって、部屋の空気を切り替えるようにぱんっと手を叩いた。
「さあ、重大事件は終わっていない。子爵家諸君、協力感謝する。あとは我々の仕事だ。フィリップ、彼らの見送りを頼んだ。私は外務長官のもとへ行ってくる。」
プリンアラモードの容器とスプーンを回収し、後から来ていた兄の馬車に乗り込む(フィリップ様の馬車に置き去りにされていたトレーも回収済み!)
お父様はお母様に抹茶モンブランを届けるのと、大通りの茶葉専門店に寄ってから帰るために一足先に城を出ていった。
お父様は本当にお母様想いだなぁ。ちょっとお母様が羨ましい。でも……
隣に座る兄を見上げる。
私に気づいた兄は優しく笑ってくれた。
そのことがとても嬉しい。
「では、レイラ嬢。セレスティンさん。お気をつけて。今日はありがとうございました。」
フィリップ様が胸に片手をあてて紳士の礼をとる。
「フィリップ様もありがとうございました。またお会いする機会がありましたら、その時はもっとお話をしましょうね。」
「……スイーツ以外でお願いします。」
苦笑いするフィリップ様に手を振って、兄の合図で馬車が動き出す。
並んで座る私たちの手は、しっかりと繋がれていた。
「ではレイラ。約束のロールケーキを食べに行きましょう。続けて食べてますが、お腹の具合は大丈夫ですか?」
「全然平気!新作はどんな味なのかなぁ。楽しみだなぁ……」
「ふふっ。そうですね……」
なんだか兄の雰囲気が少し変わった気がする。憑き物が落ちたように、いつも以上に穏やかだ。
「レイラ、そろそろ着きますよ。」
「はーい!待っててね、私のロールケーキ!」
馬車が止まり、兄の手を借りて降りる。
早速お店に目を向ければ、なぜか扉が閉まっている。店員もお客もいない。
「あれ?兄さん、誰もいないよ?」
「おや、おかしいですね。今日は定休日ではないはずですが……」
扉に近づくと『臨時休業』と書かれた紙が貼られていた。
「え”」
「っ!?レイラ!待ってください!」
思わず繋いだ手を離して扉に駆け寄る。
そんな?!そんなことって!そんなことってない!だって……兄さんとの約束が……!
『臨時休業』の隣に小さく書かれた文字を読む。
〈オーナー兼パティシエの突然のぎっくり腰により、しばらく休業致します。なお、再開は未定です。〉
「あ……あぁ……あぁぁ……」
私は閉じられた扉の前で膝から崩れ落ちた。
後ろで兄が騒いでいるが、何を言っているのか頭に入ってこない。
あんなに楽しみにしてたのに……新作ロールケーキ……何味なの……教えて……教えてよ……
視界がじわじわと涙で滲む。
淑女としてこんなところで泣くなんてあってはいけない。
でも、溢れ出る感情を抑えきれなかった。
「うぇ…うえぇ……うえぇぇ……」
「すみません!すみませんレイラ!私が事前にパティシエの体調を調べなかったばかりに!」
「うわあぁぁん!兄さぁん!兄さんとの約束が……私のロールケーキがぁぁ……!」
ぼろぼろと涙が流れる。止めたくても止められない。
兄がおろおろと私の周りを行ったり来たりして、最後に私の隣にしゃがみこんだ。
指先で涙を優しく拭ってくれる。
「あぁ……泣かないでください……そんなに泣いては瞳が溶けてしまいます。」
「だって……だってぇ……」
何度見ても扉の『臨時休業』は消えない。
そのことが涙を次々と流れさせる。
「……屋敷に帰りましょう。ね?」
「……ぐす……うん……抱っこ。」
兄に抱き上げられて、馬車に戻る。
小さくなっていく扉の紙が風でパタパタと音を立てていた。
心を抉るその光景に、私は兄の胸元に顔を埋めて再び静かに涙を流したのだった。
レイラとセレスティンの関係はここで一区切りです。
後日談を挟んで、まだまだ二人の物語は続きます。
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これからもレイラたちの物語を楽しんでいただけたら幸いです!




