01
「君は本当に『平均』だな。」
目の前のソファに座る端正な顔の男。アルフレッド・エインズ伯爵は、興味がなさそうに私ーーレイラ・グレイを一瞥し、ぞんざいに呟いた。
「…………そうですね。」
愛想笑いを貼り付けて目線を下に落とす。落ち込むからではない。テーブルの上でみずみずしく輝くフルーツタルトに、すっかり意識を奪われていたからだ。光る果肉が実に美味しそう。
「ふん。少しは彼女を見習ったらどうなんだ。こんなにも愛らしい存在が目の前にいるのだから、お手本には事欠かないはずだろう。」
アルフレッド伯爵は今度は不機嫌そうに私を睨みつけてから自分の隣に座る女性。マリー・ローラン男爵令嬢の肩を抱き寄せる。
彼女は少し恥じらうようにアルフレッド伯爵の胸元に手を当ててその顔を見上げた。
その瞳はうるうると潤んで、さぞかし守ってあげたくなる女性に見えるだろう。
透き通るように光る金のウェーブのかかった髪。海のような青い目。華奢な身体に小さい口。
誰の目にも可憐に映るその人形のような横顔のまま、彼女はアルフレッド伯爵の死角を突いて私にだけ勝ち誇った冷たい視線を向けた。
まぁそうだろう。私と彼女は一応争う立場にあるからだ。
この不遜な態度のアルフレッド伯爵の婚約者候補として、この名ばかりのお茶会に参加している。
子爵家の私にそもそも参加しないという拒否権は無いに等しい。
一見すると家柄が釣り合わないと思えるかもしれないが、そこは大人の事情。
実態はといえば、派手な生活で台所事情の苦しい伯爵家が、我が家の豊かな領地と商家上がりの潤沢な資金に目が眩み、半ば強引に持ち込んだ身勝手な縁談に他ならない。
伯爵が独身で遊び呆けてるとは聞いていたが、全くもって迷惑千万な話だった。
男爵家はマリー本人も含めて乗り気のようなので、出来ればそちらとくっついて欲しい。こちらは家も私もこのめんどくさい………ゲフンゲフン。横柄な態度の男など願い下げだ。
亜麻色と言えば聞こえは良いが、珍しくもない髪色に薄茶色の目。
健康的すぎて華奢でもない身体と声も低めな私は向こうさんも嫌だろう。
早く目の前の私を誘惑し続けているタルトを食べて帰りたい。
人間性はともかく、美男美女同士仲良くやってくれ。
そんなことを考えながらタルトを見つめていると、アルフレッドが声を荒らげ始めた。
こちらから断れない以上、私はこの会が終わるまでここにいなければならない。本当に貴族社会って面倒くさい。
「おい!聞いているのか!もっとそれらしく振る舞えないのかと言っているんだ!」
顔を上げればしなだれかかるマリーとその肩を抱くアルフレッド伯爵。私は何を見せられているんだろうか。
「……振る舞えと申されましても……顔合わせなだけで初対面の男性に、これ以上どうしようもございませんが……」
貼り付けた笑顔のまま、いよいよフォークを取ってタルトに刺す。あくまで淑女の所作で。内心は早くタルトを頬張りたい一心である。
「アルフレッド様。そんなに怒ってはお身体に良くありませんわ。」
私の言葉に顔を赤くして更に声を荒げようとする男に擦り寄るように、マリーが身体をくっつける。
胸を当ててるんだなあれは。
アルフレッド伯爵も満更でも無い顔してるし。
やだなぁ……ここは娼館だったのだろうか。
否が応でも視界に入って、せっかくのタルトが不味くなるじゃないか。
一口タルトを頬張り、目線を窓の外に向けた。
あぁ……美味しい。現実逃避って便利。
目の前で繰り広げられている茶番を無視してタルトを食べ終え、紅茶に口をつけながらテーブルを挟んだ二人に意識を戻す。
彼女の肩に置かれていた彼の手は今や腰にあり、ピッタリと身体をくっつけ合っている。あれでは座りにくくないのだろうか。
「書類上とはいえ妻にしてやろうというのに、こんな華もないようなつまらない女だとはな。」
「……………はい?」
私の耳が壊れてしまったのだろうか。
こいつ………ゲフンゲフン……この野郎は書類上の妻と言ったな。ということはあれだ。
私を形式上の妻にして、妾としてマリーを手元に置くつもりか?
なるほど、私の持参金として差し出す子爵家の領地の一部と彼女の家の持つ現金両方手に入れる魂胆か。
「それなりの女でも書類仕事くらいは出来るだろう。実際の妻の義務はこのマリーが担う。跡継ぎは彼女の胎から生まれた子供がなる。」
「まぁ!跡継ぎを産まなくてはいけないなんて私は責任重大ですわね!」
呆れた物言いに言葉が出なかった。そしてマリーは顔を赤らめているが、現実を分かっていないのだろうか。正式な妻にはしないと言われているというのに。
あまりの事態に開いた口を手で優雅に戻し、居住まいを正す。
このままここにいてはアルフレッド伯爵の思うように事が運んでしまいかねない。今の私にできることは限られている。
いかにしてこの唐変……ゲフンゲ……もういいや、この唐変木から逃げるか。答えは1つ。
いつぞやに読んだ本に書かれていた、戦略的撤退方法。
『煽る』
煽って相手を怒らせ、正常な判断ができない状態に追い込んでから有利な状況で逃げる。そして煽る相手を間違えてはいけない。
この場合は……
「会話の途中で失礼します。マリーさんは話の本当の意味を理解できているのでしょうか?」
「何がよ。私とアルフレッド様の子供が将来伯爵家を継ぐんでしょ。あなたは書類仕事だけをすると先程伯爵様が仰ったじゃない。実質の妻は私だって。」
おっと。そちらが素ですか。中々に強かですね。
アルフレッド伯爵も何が言いたいと訝しげに私を見ていた。
「実質と言えば聞こえは良いですが、裏を返せば正式とは認められないということです。分かりますか?伯爵様に何かあった時、財産分与は認められず公の場には立てないです。家紋は与えられずに血筋に名前が残ることもない。使い捨ての雌と言われてるんですよ。」
「……なっ!雌?!」
「………貴様!黙れ!」
食いつきました。いいねいいね。もう一押し。
「正式でない以上、伯爵家の女主人にもなれません。あなたの名前は使えないのですから。家を取り仕切る権利も無いまま、あなたの産んだ子供は養子として伯爵家に入ることになるでしょう。」
私は淡々と言い放った。あくまで男爵家令嬢であるマリーに対して。伯爵には不敬でもマリーにならば子爵家の私はお咎めなしだ。話の内容も嘘じゃないし。
「アルフレッド様!どういうことですか!私は遊んで暮らせて将来になんの心配もないって言ったじゃないですか!父もそのつもりで借金帳消しにして多額の投資をしたんですよ?!」
「いや、それは……」
……わーお新事実。裏でそこまで話進んでたんだ。やらせか。取らぬ狸の皮算用ってね。
掴みかかる勢いで詰め寄るマリーと、冷や汗で何とか身体を離そうとするアルフレッド伯爵。
さっきまでの身体の寄せ合いはどこにいったのやら。
二人の意識が私から逸れたのを機に、音を立てずにゆっくり立ち上がるとソファの後ろに回る。
言い争いに夢中になっている隙にそーっと後退すると静かに部屋を出た。
扉を出た瞬間ダッシュで玄関に向かう。無駄に長い廊下の先にタイミングよく伯爵家の家令さんを見つけた。
「……あの!あの、すみません!伯爵様とマリーさんが……!」
わざと全部は言わずに先程出てきた部屋の方向を焦ったように見る。
何事かと家令さんが部屋に早足で向かうのを見送って、私は再び玄関に走る。
これであの部屋から当分彼らは出てこない。話をまとめて状況を収めるには相当時間が必要になるだろう。
今のうちに逃げろや逃げろー。
ドレスでも走れる健康的な自分の身体万歳!
こんなこともあろうかとヒールの低い靴にして良かった!
無駄に広い屋敷の玄関から出る。
停まっていた馬車の御者に馬を借りたいとお願いすれば、流石は伯爵家の使用人さん。怪訝そうにしながらも断ることなく馬を一頭連れてきてくれた。
ありがとう。貴方には私の大切なへそくりをあげよう。パン一個くらいなら買えるよ。
御者に袖の下を渡し、馬の手綱を引き取る。
流石伯爵家の馬。良い馬持ってるぅ。伯爵家の馬車なんて使いたくないし。
淑女らしく横乗りで馬の手綱を操る。カポカポゆっくり歩き出した馬の背に揺られながら、私は伯爵家を後にした。
人並みには馬にも乗れますとも。だってアルフレッド伯爵の言う通り、平均的だもの。
馬を走らせないので、馬に無理をさせることもなく子爵家に帰ってこれた。まだ騒ぎになっていないところを見るに、アルフレッド伯爵とマリーはまだ折り合いがつかないのだろうか。
……家令さん…がんば。
敷地内に入ると、見慣れた我が家の家紋の馬車が目に入る。
まさかあの馬車は……
乗ってきた馬から降りて手綱を離すと、馬は伯爵家の方向へ帰って行った。
自分で帰れるんだ。なんて賢い馬だろうか。
自由を満喫するように軽やかな足取りの馬を見送り、玄関の扉をそーっと開ける。
あの馬車が意味する人物がこの屋敷にいるのなら絶対今頃……
「おかえりなさいレイラ。待っていましたよ。そろそろ帰ってくる頃だと思ってました。」




