可愛いステラは初恋をこじらせる
ステラは可愛い。
ただ可愛いのではなくて、天使のように可愛らしいのよ?
だって、みんながそう言うのだから嘘ではないわ。
「ステラは今日もとっても可愛いわね」
「本当に天使みたいだ」
「アーヴィング家のお姫様。こちらを向いて? 笑ってちょうだいな」
「おかあしゃま、すてら、かわいい?」
「もちろん、世界で一番可愛いわ!」
『可愛い』は魔法の言葉だ。そう言われるだけで笑顔になれるの。
だから私はいつも笑っていた。
可愛いステラの毎日は、とっても幸せだった。
そんな私の世界が変わり始めたのは、六歳の頃。お父様のご友人たちを招いたホームパーティーでのことだった。
「アーヴィング伯爵家へようこそいっしゃいました」
私は覚えたてのカーテシーを披露し、「お上手ですこと」「本当に可愛らしいわ」といつものように褒められていた。
そんな中、一人の男の子に出会った。
「ステラ嬢。私の息子、エリオットだ。ぜひ、仲良くしてやってくれ」
クロフォードのおじさまの子どもだったのね。言われてみれば、おじさまに似ているかも。
焦げ茶色の髪にエメラルドの瞳。私よりも背が高いから、年上なのかしら。
同年代の子どもに会うのは今日が初めてだから、少し緊張する。
でも大丈夫。だって、私は可愛いもの!
魔法の言葉を胸の内で唱え、ドレスの裾をつまんだ。
「エリオット様、はじめまして。私はアーヴィング伯爵家の娘、ステラと申します」
エリオット様を見上げ、ニッコリと笑った。
膝を折った動きに合わせ、柔らかく波打つ髪がさらりと流れた。
ふふっ。キラキラ揺れるはちみつ色の髪は自慢の一つなの。また可愛いと言われてしまうわ。
エリオット様はどんな『可愛い』を贈ってくれるのだろうかと期待の眼差しを向けた。
「はじめまして。エリオット・クロフォードです」
……あら? それだけ?
エリオット様は微笑んでくれたものの、どれだけ見つめても、彼の口からは『可愛い』が飛び出すことはなかった。
「ねえ、お母様。エリオット様がステラのこと、可愛いって言わなかったわ」
パーティーが終わり、お母様とお茶を飲みながら、今日の出来事を話した。
「あら、クロフォード侯爵の息子さんのことよね? もしかして、彼のことが気になるのかしら」
「……だって」
初めて会う人はいつも言うもの。『はじめまして。なんて可愛らしいのかしら』と。
今日はいつもよりもおめかしをしたし、髪飾りだってお気に入りのものを着けたわ。それなのに……あ、もしかして! 彼はまだマナーがなっていないのかも。ご挨拶が下手くそなのかしら?
ようやく納得のいく理由にたどり着き、ため息を吐いた。
もう。私よりも二歳年上だと言っていたのに、仕方がないわね。こうなったら、私から歩み寄ってあげましょう。
それからはエリオット様と出会うたびに私のほうから話しかけるようにした。
両親たちの仲がよいからだろう。ホームパーティーのあとも、彼と顔を合わせる機会が増えていった。
私は会うたびに新しいドレスを自慢するようにくるりと回ってみせたり、覚えたばかりの詩を披露したりと、彼のあとをついて回った。
彼はそんな私を見て、楽しそうに笑うようになった。私達は少しずつ仲良くなっていった。
そうしていつか、彼の口から『可愛い』が飛び出す日を、心待ちにしていたのだ。
──あの日までは。
「まあ、ステラ様。ごきげんよう。一段とおきれいになりましたわね!」
その日はとある伯爵家でのガーデンパーティーだった。
あたりを見渡したが、エリオット様はまだ到着していないみたい。
私達家族を出迎えてくださった夫人の足元には愛らしい子犬がいた。
「うふふ。とっても可愛いでしょう? うちのスピカちゃんですの」
「まあ。本当に可愛いですわ」
子犬のスピカさんはふわふわとカールしたクリーム色の毛並みで、つぶらな瞳が濡れたように光っている。
ついドレスの裾が汚れるのも構わずしゃがみ込んだ。
「あの、撫でても平気かしら」
「もちろんですとも。首の横か、あごの下を撫でると喜ぶんですのよ」
夫人に許可をもらい、恐る恐る手を伸ばす。すると、スピカさんがくんくんと匂いを嗅いだ。そして、ぺろりと私の指先を舐めたのだ。
私はゆっくりと、スピカさんの顎の下を撫でてみた。
綿毛のように柔らかな手触りで、とても気持ちがいい。
「まあ、スピカさんはとってもふわふわね」
「ステラ、何しているんだ?」
「エリオット様!」
いつのまにかエリオット様も到着していたらしい。
彼も動物が好きなようで、エメラルドの瞳を緩めながらスピカさんを撫でた。
そんな彼を見て夫人が嬉しそうに笑った。
「この子ったら可愛いだけじゃなくて、とってもお利口なのよ? ねえ、スピカ。お座り」
ちょこん。夫人の指示のとおり、スピカさんがおすわりをした。
まあ、なんとお利口さんなのでしょう!
「すごいわ、スピカさん!」
「ね、上手でしょう? では、スピカ。回って?」
夫人の声に合わせて、スピカがくるりとその場で一回転した。
「まあ、すてき! 本当に可愛いわねえ」
夫人は満面の笑みでスピカさんを抱き上げた。
スピカさんも嬉しそうだった。尻尾を振り、夫人の頬をぺろぺろと舐めている。
いいなぁ、可愛いなぁ。我が家でもワンちゃんを飼うことを許してくださらないかしら?
「ふっ、ハハッ!」
突然、エリオット様が声を上げて笑った。そんな姿はめずらしく、驚きの声を上げてしまった。
「まあ。急に笑うなんてどうされたの?」
「ごめん、なんだか昔の君を思い出してしまって」
──え?
「出会ったばかりの頃はよく、覚えた詩を披露したり、ダンスのステップを見せてくれたり、くるくると楽しそうに踊っていただろう?」
スピカに視線を向けた。
夫人の周りをくるくると走り、可愛いと撫でられてきゃん! と嬉しそうに鳴く。
それは微笑ましい光景だった。
だからこそ。私はその場で凍りついた。
……この子と私が、同じ?
『ステラ、笑って』
『ステラ、そのドレスを見せて』
『まあ、ステラはなんて可愛らしいの?』
幸せだった魔法の言葉たち。
それを聞いて私は笑っていたわ。
くるりと回って、ドレスを翻し──まるで、スピカさんがご主人様に尻尾を振るみたいに!
「……あ」
私は、芸をする子犬と同じだったの?
「ステラ?」
エリオット様に名前を呼ばれ、彼と過ごした今までの日々が脳裏によみがえる。
楽しかったはずの思い出が、とたんに恥ずかしいものへと変わってしまった。
だって、彼の目には私なんて、ただの子犬として映っていたのだもの!
……恥ずかしい……もう、ここにいたくない。
「ステラ、大丈夫か?」
私を心配する彼の問いかけを振り切り、私はお母様のもとへ駆け寄った。
「あら、どうしたの? 少し顔色が悪いわ」
「……お母様。ごめんなさい、気分が悪いの」
「まあ、大変! もしかして、風邪かしら。今日はお暇しましょうか」
こうして私は逃げるようにガーデンパーティーをあとにした。
十三歳にして、ようやく『可愛い』が魔法の言葉ではないことを理解したのだ。
──あれから三年。
社交界での私は、少々変わった令嬢として知れ渡っているらしい。
でもそれは仕方のないことだ。
なぜなら、公の場にはほとんど姿を見せず、たまに現れても、顔の半分を前髪で隠し、地味なドレスに身を包み、ひっそりと佇んで口を閉ざしているだけ。
私は己の愚かさを悔いた。そして、私を勘違いさせる『可愛い』から逃げまくった。
お母さまたちは、せっかくの美貌を台無しにしていると嘆いていたけれど、こうする他なかったのだ。
──だけど。
鏡に映った自分を見つめる。
昨夜も早めに眠ったから、肌の調子はいい。
頬に触れる。新しい化粧水は正解ね。少し乾燥気味だった肌がしっとりと潤っている。
「うん。今日の私もとっても可愛いわ」
満足して頷き──両手で顔を覆った。
「もう! どうして私はこうなのかしら!」
三年という月日をかけても、どうしても『可愛い』が忘れられなかった。
せめて自室でだけは、自分を可愛がることを許すことにしたのがいけなかったのか。
「……仕方がないわ。ストレスは健康に悪いもの」
そうして自分を甘やかした結果、本来は不健康だろう引きこもり生活は、むしろ自分に費やす時間が増えてしまい、自分磨きが加速してしまった。
運動不足防止のために、毎日欠かさずダンスの練習をした。おかげさまで、今ではとても軽やかに踊れるようになった。
自分に甘いところを直そうと、大好きだった甘いお菓子をやめ、食事はお野菜を多めにしてもらった。誰も見ていないときこそ自分に厳しく! と姿勢にも気を配り、自分を律する努力を続けたおかげで、健康的で肌荒れもなく、ちょっとした姿勢も美しいと評価を受けるようになった。
睡眠は必ず八時間。暇な時間はつい物思いに耽り、頭の中でスピカさんが駆け回ってしまうので、そうならないためにいろいろなことに没頭するようになった。
家庭教師を増やしてもらった。勉強だけでなく、刺繍も上達した。語学だって学んだ。領地経営まで教わるようになり、自分は何を目指していたのだっけ? と自問自答した。
「だって……見かけだけの女だと思われるのは嫌だもの」
『可愛い』は魔法の言葉ではないと知った。
だから、可愛いだけじゃない自分になりたかったはずなのに。
「……本末転倒な気がする」
鏡の中の自分を睨みつけた。そんな顔すら可愛い気がして、大きくため息をついた。
「相変わらず鬱陶しい前髪だな。目が悪くなるぞ」
あの悪夢の日からひきこもっている私のもとへ、なぜかエリオット様は定期的に訪ねてきた。
本当ならば顔を合わせたくなかった。
最初は一回、二回とお断りが続いた。そして三回目。とうとう、お母様に叱られたのだ。
『あなたを心配してくださっている方の心を無下にしてはいけません!』
確かにそのとおりだった。
領地が近いとはいえ、ここまで来るのには馬車で一時間はかかる。彼は顔も見せない私のために、何時間も費やしてくれていた。
ようやく姿を見せた私に、彼はほっと息を吐くと、『元気そうでよかった』。そう言って笑った。
彼は怒ることも、何があったのかと聞くこともなく、ただ優しく笑っただけだった。
今日はお天気がよく、気持ちの良い風がそよぎ、甘やかな花の香りを運んでくる。
私は庭の東屋で本を読んでいた。
自室でないと前髪が上げられないが、たまには外の空気に触れないとストレスが溜まってしまう。
そんな時間を狙うように彼はやってきて、こうして難癖をつけるのだ。
彼の瞳に映りたくない。そんな些細な願いを、彼は許してくれない。
でも、こうしていつまでも私という存在を忘れないでいてくれることを、嬉しいと感じてしまう。
……だめだめ。自分を甘やかしてはいけません!
すんっ、と表情を消し、私は視線を逸らした。
「お出口はあちらですよ、エリオット様」
「ああ、知っている。これは土産だ」
私の言葉を軽く躱し、エリオット様が小さな箱を私に差し出した。
「……あの」
「開けてみて」
……せっかくの贈り物を突き返すのはマナーに反するわよね?
そう自分に言い訳をしながら、ゆっくりと箱を開けた。
「……きれい」
それは、薄紅色の薔薇のブローチだった。
これは石──ではないわね、もしかして珊瑚かしら。重なる花びらまで丁寧に作られていて、柔らかな色合いは朝焼けの雲のように美しい。
「父の仕事に同行して、海辺の町に行ってきたんだ。……うん。思ったとおり、君に似合うな」
エリオット様の柔らかい笑顔を向けられ、一瞬で血が登るのを感じた。
ずっと待ち望んでいた魔法の言葉ではないのに、どうしてこうなってしまうのだろう。
「……お土産ありがとうございます。あの、そろそろ部屋に戻りますね」
「待って」
彼から逃げようと立ち上がった途端、エリオット様は一歩早く回り込み、私の進路を塞いだ。
「来月の舞踏会には出席するのだろう?」
ああ、そういえば招待状が届いていたような気はするけど、参加する気はなかった。
「その日は体調が悪くなる予定ですわ」
「伯爵は出席すると言っていたぞ」
「残念ながら、私とお父様は一心同体ではございませんの」
「王家主催だ。よほどの理由がないと欠席などできないだろうな」
まあ、なんということでしょう! それは逃げられないやつです!
「迎えに行くから待っていてくれ」
「は? どうしてあなたが?」
「来月は俺の誕生日だ。願いを聞いてくれるよな?」
「……どうして私を迎えにくることが誕生日プレゼントなの?」
エリオット様が何を言っているのか、いま自分が何を言ったのかもわからないまま呆然としていると、おもむろに彼が手を伸ばした。
反射的に身を引くと、その手が止まる。
「髪に葉っぱがついている。取っていいか?」
「……どうぞ」
「ん」
彼の指先が、ほんの一瞬だけ髪に触れた。
一枚の小さな葉を摘まみ、私に見せた。
「取れた」
「ありがとうございます」
ただそれだけなのに。
どうしてだろう。なんとなく落ち着かなくなった。
彼はこんな人だったかしら。
最初の頃は、あんまり感情を見せない男の子だった。
そのせいか、私を可愛いとは言ってくれなくて。
でも、私の前でたくさん笑うようになった。おしゃべりもたくさんした。字が綺麗になったと褒めてくれた。姿勢がよくなったことに気づいてくれた。
……こうして、私を優しく見つめるくせに。
「……エリオット様は」
「ん?」
「私のことを、可愛いと思ったことはありますか?」
そんな質問をした自分に泣きたくなった。
……だって、三年だ。
三年もの時間をかけて、可愛いと褒められたくて芸をする子犬から脱却しようとしてきたのに、結局ここに戻ってしまうなんて、あまりにも愚かというものでしょう!
「今のは聞かなかったことにしてください!」
逃げたいのにエリオット様が前を塞いだままだから、逃げることも叶わず、できることと言ったら真っ赤になっているだろう顔を両手で覆うことだけ。
「ステラは可愛い」
……いま、ありえない言葉が聞こえた気が──
驚きのあまり、彼を見上げる。
なぜかしら。初めて会ったときを思い出した。
カーテシーをしながら見上げた彼は、今みたいに少しだけ驚いた顔をしていたわ。
どうしよう、心臓がうるさい。
聞きたいことがあるのに、鼓動のせいで言葉が揺れてしまいそう。
「……どうして今まで言ってくれなかったの?」
「黙秘」
「だめ! ちゃんと教えて!」
思わず声を上げてしまい、慌てて口を塞いだ。これ以上、欲張りになってどうするの。諦めようと我慢していたはずなのに。
エリオット様の手が、私の指に触れた。
強い力じゃない。でも、どうしてか抗うことができずに、ゆっくりと口元から外された。
「聞いたら後戻りできないぞ」
……後戻りってどこから? あなたからの『可愛い』を何年も待っていたおバカさんな私から?
「どうして泣くんだ」
「違うの。これは、その……私の悪癖で!」
どうしよう。涙が止まらない。
これではエリオット様に嫌われてしまうわ。……ううん。もう、嫌われているのかもしれない。こんなふうに人前で泣くなんて、淑女失格だもの。
「君の悪癖って?」
「私……自分が可愛いってずっと思っていて……可愛い自分のことが大好きで……っ!」
これ以上、自分を偽ることはできなかった。私はとうとう変わることができなかったのだ。
「……私はスピカさんと同じなの」
「スピカ……。ああ、あのときの子犬か?」
「ええ。私はずっとあなたに褒めてほしくて、可愛いって言ってほしくて。そうやってあなたの周りをくるくる回る、子犬みたいな女なのよ」
……言ってしまった。
こんなにも切ないのに、あたりは暖かな日差しが差したまま、そよ風が変わらず花の香りを運んでくる。
私の心模様とのあまりの違いに、またひと粒涙がこぼれ落ちた。
「それは……君に触れてもいいということか?」
「……ん?」
おかしいわ。思っていたのとは全く違う言葉が聞こえた気がする。
「スピカにしたように君を撫で、抱きしめても許されるのだろうか」
「ふあっ⁉」
今のは何? 確かに言ったわ、スピカさんみたいだと言った! でも、私を撫でる? 抱きしめる? どうして⁉
「げ」
「げ?」
「芸は……もうしないから……撫でないで」
「じゃあ、どうしたらいい? ステラは可愛いと伝え続けたらいいのか?」
「どうして? 今までは言ってくれなかったのに」
エリオット様のお耳が少し赤い。もしかして、照れてるの?
「好きな女の子に、可愛いと伝えるのはかなり勇気がいる」
「え」
「そもそも女性と違って、男は気軽に『可愛い』という言葉は使わないぞ」
そういうものなの? だけど、お父様は平気で可愛いと言ってくれるのに。
どうにも納得ができずに首を傾げた。
「では、ステラは俺に『格好いい』と言えるか?」
「か」
格好いい……。あなたに?
『エリオット様、格好いいです!』
想像して悶絶した。なんですか、その辱めは!
「し、淑女は気安くそのような言葉を言いませんわ!」
「紳士も気軽に言えないのですよ」
あ、開き直った。でも、言えない気持ちも理解できたので、それ以上なんと言えばいいのかわからずにむくれてしまう。
「……それでもきれいだとは言っていたぞ」
「いつ?」
「君が俺の瞳と同じ色のドレスを着たときだ」
そのドレスは覚えている。私が引きこもる少し前、私の十三歳の誕生日パーティーに合わせて作ってもらったドレスは、エリオット様の瞳のように綺麗なグリーンだった。
「……顔映りがいいと言ったわ」
「顔映りがよくて、きれいだと言ったはずだ」
言ったのは覚えているけど、ただドレスを褒めたのだと思っていた。
そもそも顔映りって何。わかりづらい!
「字がきれい。姿勢がきれい。……笑った顔が、見ていて嬉しくなる。……覚えていないか?」
あら? ……どれも覚えがある。でも、私はずっと『可愛い』を待っていたの。だから、そうじゃなくて! と、もだもだしていた。……でも、あらら?
「……エリオット様は、私のことが好きなの?」
「好きじゃなきゃ、何年も通ってこないと思わないか? 引きこもり姫」
……好きな子にそんな不名誉な名前をつけるだろうか。だけど、彼は侯爵家の嫡男だ。私よりもよっぽど勉学に勤しんでいたはずなのだ。それでも、こまめに我が家へと来てくれていた。
「会うたび嬉しそうに駆けてきて、目をキラキラさせながらついて回って」
それは、やはり子犬なのでは?
「他の令息たちには見向きもせず、自分にばかり可愛らしい笑顔を見せてくるんだ。好きになるに決まっている」
「……決まっているの?」
「なぜか急に引きこもったけど、相変わらず俺には顔を見せて、俺の贈ったものを身に着けて、どんどんきれいになっていく。外で顔を隠してくれたのは俺的には都合が良かった。まだ、婚約者にもなれていなかったからな」
「……ん?」
「だが、知っていたか? アーヴィング家の令嬢が屋敷から出てこないのは、クロフォード家に嫁ぐために花嫁修業をしているかららしいぞ」
「何それ⁉」
どうしてそんな噂が⁉ もしかして、たまに出席していたパーティーでなんとも言えない顔で見られていたのは、私がみっともないからじゃなくて、成人前から花嫁修業をさせられていると勘違いされていたからなの?
「ちなみに、君の家庭教師はクロフォード家が選んだ」
「……待って。待って待って、頭が追いつかない! なんでそんなことになったのよ」
「もともと婚約者候補だからな」
「……いつから?」
「初めての顔合わせから」
ふいに、おじさまの言葉を思い出した。
『ぜひ、仲良くしてやってくれ』
確かにそう言われたけど、まさか婚約者候補だなんて思わないじゃない⁉
「もちろん、政略的な意味がないわけでもないが、伯爵はお互いの気持ちを大事にしてほしいからとおっしゃっていたよ。だから、君には伝えていなかったんじゃないかな」
「じゃあ、どうしてエリオット様は知っていたの?」
「聞いたから。どうして頻繁に伯爵家との交流を続けるのか気になって」
そんな。私はあなたが可愛いと言ってくれないことばかり気にしていたのに。
「君からの好意は十分に感じていたし、俺も君を好ましいと思っていた。だから、そろそろ婚約の準備をしようかと話が出た頃に、君がおかしくなったんだ」
私からの好意って⁉ 私はただ、あなたに可愛いと言ってほしかった。……あなたに可愛いと思ってほしかった。ただ、それだけで。
「……よく破談にならなかったわね」
だって、こんなおかしな令嬢との縁を続けても得はないはずなのに。
「久しぶりにあった君は、ちゃんときれいだったから」
「……たったそれだけで?」
「大切なことだ。何があったとしても、君は食事や睡眠をおろそかにしなかった。それどころか、自分を高めることに力を注いでいただろう? だから、その手伝いをしたいと思ったんだ」
……エリオット様は、私をちゃんと見ていてくれたの? そうよ、だって頑張った。だって、あなたに好きになってほしかったから。
「……あなたに……子犬じゃない私を見てもらいたかったの」
「君はいつだって、可愛くて努力家で、笑顔が素敵な人だ」
どうしよう。さっきから『可愛い』の大盤振る舞いだわ。十年分の『可愛い』が一気に押し寄せてきたみたい。
「ステラ、好きだよ。俺の婚約者になってくれますか?」
「……はい、喜んで!」
もう頭の中は『可愛い』が飽和状態。すっかりと浮かれた私は、彼からの申し出を一も二もなく受け入れてしまった。
その後両親に報告すると、酷くほっとされた。
「ステラがエリオットくんを気に入っているのは顔合わせのときからわかっていたけど、ここまでこじれるとは思わず、さすがに焦ったよ」
「そ、そんなことないわ! ただ、彼だけ私を可愛いって言ってくれないから気になっただけで!」
「あら、あの日にあなたを可愛いと褒めなかったのは彼だけではなかったわよ?」
「……え?」
「そうだなぁ。あの年頃で女の子を可愛いと褒める子は少ないから」
──え? そうだったかしら。
確かに、あの日は他にも令息がいた気はする。言われてみれば、彼らは私に可愛いと言っただろうか? 全く覚えがない。
「まあ、それはエリオットくんもだろう。侯爵曰く、君といるときはとても楽しそうだと言っていたからね?」
お父様がいたずらっぽく笑った。
本当に? エリオット様も、そんなにも前から私のことを──……。いや、待って。
こうやって互いの両親から普段の様子が筒抜けなのでは?
道理でこんなにもおかしな娘との婚約話が立ち消えなかったわけだ。
私の日々の行動が逐一報告されていたかもしれないと思うといたたまれない。だけど。
「……私は愛されているのね」
「当たり前だろう? 可愛いステラ。君はアーヴィング家の天使だからね」
「ありがとう、お父様。お母様も大好き」
今日まで何も言わずに見守ってくれてありがとうございます。
そんな感謝の気持ちを込めて、私はとびきりの笑顔を見せた。
◇
「ステラ、迎えに来たよ」
「ごきげんよう、エリオット様」
あの日話した舞踏会は、エリオット様のエスコートで参加することになった。
ドレスは彼の瞳の色をした、以前より少し大人っぽいドレスを誂えてもらった。
「やっぱり、その色はよく似合うな」
「顔映りが良くて?」
「うん。顔映りが良くてきれいで、何より自分の色をまとってくれることが嬉しい。ありがとう、ステラ」
エリオット様が本当に嬉しそうに笑うから、照れくさいけれどこのドレスを選んでよかった。
「……そんなことを言われたら、これからはずっとこの色しか着られなくなるわ」
「嬉しいけど、ステラは何色を合わせても可愛いからな。それを見られないのももったいない」
……くっ! 褒め殺しか!
私が三年もの間こじらせていた理由を知ってからというもの、エリオット様は可愛いという言葉を惜しみなく伝えてくれるようになった。
あのとき、聞いたら後戻りできないと彼は言ったけど、よく考えれば後戻りなんてとっくにできないくらいに外堀が埋められまくっていたのだから、彼の愛はなかなかのものらしい。
両片思いは見ていてじれったかったわとクロフォード侯爵夫人に笑われたのは内緒だ。
「エリオット様も、……格好いいデスヨ」
私はといえば、まだまだ精進が足りません。
でも、そんな不格好な私を見て、エリオット様のお顔が緩むのだから良しとしよう。
「そろそろ行こうか。可愛らしい婚約者殿」
「そうですわね、私の格好いい婚約者様?」
彼の手を取り、二人で顔を見合わせて笑う。
ようやく手に入れた彼からの『可愛い』は、私を一等幸せにする、最強の呪文になった。
【おまけ その一】
「エリオット様。三年も顔を隠している私のこと、よく可愛いなんて言えましたね?」
あのあと、冷静になってみると彼の言葉に疑問が湧いた。
「ああ、それか。別に可愛いは顔にしか言ってはいけない言葉ではないだろう」
きゃっ! まさかの返しです! では、本当に私の内面も可愛いと思ってくれているの?
ドキドキと弾む心臓を、何とかなだめようと深呼吸をした。
「それに」
あら? まだ続きが?
「ときどき見えていたし」
「……何がでしょう」
「君の細く柔らかなハニーブロンドでは顔を隠しきれていないし、本を読むときやお茶を飲むとき、無意識に髪を避けていたからな」
「はい⁉」
「自分でも分かっていただろう? 少しの動作で髪が流れるって。カーテシーをするときも、さらりと流れる自分の髪を見て嬉しそうに笑っていたじゃないか」
「いやーっ! エリオット様のえっち!」
【おまけ その二】
(ステラ六歳・伯爵家)
「旦那様。たぶん、ステラの初恋ですわ」
「……うう、私の天使が……。いや、まだ泣くのは早いぞ。エリオットくんがステラを妻にと望むかどうか!」
「そうですわねえ、でも少なくとも嫌そうではありませんでしたわ」
(ステラ八歳・侯爵家)
「ステラさんは可愛いわぁ。エリオットのことが大好き! とその笑顔に書いてあるもの」
「ふむ。エリオットはどうなんだ?」
「んふふっ。ゆっくりと絆され中ですわね。あんなにも可愛らしく好意を向けられたら悪い気はしませんもの。それに、見かけで籠絡しようとするわけでもないからさらに可愛いんですの」
「それはいいな。見た目だけでは、わが侯爵家に嫁ぐにはふさわしくない。楽しみだ」
(ステラ十三歳・両家)
「エリオットも十五になることですし、成人前に婚約を整えましょうか」
「まあ、ありがとうございます! エリオット様は本当にいつもステラを大切にしてくれているから、安心してお任せできますわ」
︙
︙
「引きこもりって、一体、何があったのです?」
「大変申し訳ございません! どうやら先日のパーティーで何かがあったようなのですがよく分からず。……でも、自分の内面を磨きたいから家庭教師を増やしてほしいと頼まれまして」
「……ふむ。では、教師は我が家で手配しよう」
「ですが、それではあまりにもクロフォード家に失礼では? まだ、婚約も整っておりませんし」
「なに。少し早い花嫁修業だと思えば何ということもない。エリオットも馬鹿ではない。ステラ嬢を待つと決めたのなら、彼女自身にそれだけの価値があると見ているのだろう」
「そうね。それに、どう見てもお互いのことしか見えていないようですし。エリオットがごめんなさいね? 頻繁に通っているせいで、婚約者だと噂が立ってしまったでしょう?」
「こちらこそ、本当はただの引きこもりですのに」
(ステラ十六歳・両家)
「さあ! 今日は無礼講で飲みましょう!」
「いや、本当に良かった! ここまで長引くとはなぁ」
「エリオットの我慢強さを侮っていたわ。まさか、三年も待つなんて」
「いえいえ、娘の方こそ三年もこじらせるとは」
「何はともあれ、乾杯!」
End.




