【No.01】
その日は、夕方から咳き込み、思い出せば、何かが、、、と言うか、歯車が噛み合わなくなる前兆だった。咳は翌日の朝まで、止まる事なく、倉掛那美を苦しめた。まさかこの出来事が、那美の人生を大きく変えるとは、その時は、想像だにしなかった。
2025年7月16日、倉掛那美は、肺炎を拗らせ、救急車で病院に運ばれた。と言っても、意識は朦朧としており、運ばれたらしいと言う表現が、正しいだろう。
「ああ、殺されるかも、、、」。
那美は、何度もうわ言を、繰り返していた。夫である翔太は、いつもの那美のジョークであろうと、その言葉については、何も反応を示す事はなかった。那美と翔太は、干渉しあわない、友達感覚夫婦である。この事が、那美の症状を、悪化へと導いた、最大の原因である。
前日の、15日から、那美の咳は止まらず、一睡もせずに、布団の中で、今日を迎えた。相変わらず酷い咳き込み様である。症状は更に悪化し、言葉も発せられない状態である。
翔太はと言うと、いつもの無関心、と言うか、マイペースで、のんびりと、朝のコーヒーをゆっくりと、飲んでいる。那美の苦しみには、全く気付いていない。




