第3話:連鎖する不調、深まる疑惑
太子・玄宗の容態は、翠燕が調合した解毒薬のおかげで、目に見えて回復していった。しかし、翠燕の無表情な顔には、依然として安堵の色は浮かばない。彼女の視線は、常に宮中の隅々にまで向けられ、何かを探しているようだった。
その予感は、すぐに現実となる。
数日後、今度は玄宗の乳母であり、長年宮中に仕えてきた老女官が、原因不明の体調不良を訴えた。症状は、激しい目眩と吐き気、そして全身の倦怠感。医官たちは、老齢によるものと診断したが、翠燕は、その症状に既視感を覚えた。
「これは、太子殿下が患われた病の初期症状に似ています」
翠燕は、老女官の脈を取りながら、淡々と李桂に告げた。李桂の冷徹な顔に、わずかな動揺が走る。
「まさか……同じ毒だと?」
「可能性はあります。太子殿下の場合よりも、摂取量が少ないか、毒の組み合わせが異なるのかもしれません」
翠燕は、老女官の部屋を隅々まで調べ始めた。医官たちが「清潔である」と断じた部屋の片隅で、翠燕は再び、ごく小さな葉の破片を見つけた。それは、以前、太子宮で見つけたものと酷似していた。
「やはり、同じ薬草の組み合わせが使われているようです」
翠燕は、その葉を李桂に見せた。李桂は、その小さな葉から、宮中に潜む巨大な影を感じ取った。
「一体、誰が、何のために……」
李桂は、静かに呟いた。彼の視線は、翠燕の無表情な顔に注がれる。この娘は、まるで何もかも見透かしているかのように、淡々と真実を告げる。
「この毒は、摂取する者の体質によって、症状の出方が異なります。太子殿下と老女官の体質は大きく異なるため、症状も異なるように見えますが、毒の根源は同じです」
翠燕は、まるで推理小説を読み解くように、論理的に説明した。彼女の言葉は、医官たちの常識を覆すものだったが、彼らはもはや反論することができなかった。翠燕の診断が、次々と的を射ていたからだ。
李桂は、翠燕の聡明さに、改めて感嘆の念を抱いた。同時に、彼女の無感情な態度の裏に、何か深い理由があるのではないかと、漠然とした疑問を抱き始めていた。
その日の夜、翠燕は老女官の解毒薬を調合するため、再び薬庫にこもっていた。李桂は、彼女の隣で、静かにその作業を見守っていた。翠燕の指先は、正確に薬草を選び、すり鉢で丁寧に粉砕していく。その一連の動作には、一切の無駄がない。
「翠燕殿は、なぜ薬師に?」
李桂は、ふと、尋ねた。翠燕の手が、一瞬だけ止まった。
「……病で、大切な人を失いました」
翠燕の声は、いつもと同じように淡々としていたが、その言葉の奥に、微かな、しかし確かな悲しみが宿っているように感じられた。李桂は、その言葉に、翠燕の無表情の理由の一端を見た気がした。
「その病は、治せなかったのか」
李桂の問いに、翠燕は首を横に振った。
「その時の私には、薬の知識も力もありませんでした。だから、二度と、同じ過ちを繰り返さないために、薬学を学びました」
翠燕の瞳は、遠い過去を見つめているようだった。その瞳の奥に、李桂は、彼女が抱える深い孤独と、そして、その孤独を埋めるかのような、薬学への並々ならぬ情熱を見た。
「今回の毒は、誰が、何のために……」
李桂は、再び事件の核心に迫ろうとした。翠燕は、薬草をすり鉢に入れながら、静かに答えた。
「太子殿下と老女官。二人の共通点は、太子宮に深く関わっていることです。そして、この毒は、時間をかけて徐々に体を蝕む。つまり、すぐに命を奪うことを目的としているわけではないです」
翠燕の言葉は、李桂の頭の中で、新たなパズルを組み立てていく。
「では、目的は……」
「宮中の秩序を乱し、太子殿下の権威を失墜させること。そして、老女官を病に伏せさせることで、太子宮の管理体制に不信感を抱かせること。おそらく、太子宮の内部に、協力者がいるでしょう」
翠燕の推理は、あまりにも的確で、李桂は思わず息を呑んだ。この娘は、ただ病を治すだけでなく、その病の裏に潜む人間の思惑までをも見抜いている。
李桂の冷徹な顔に、わずかながらも、翠燕に対する尊敬と、そして、彼女の心を深く知りたいという、新たな感情が芽生え始めていた。宮中の闇は、深く、複雑に絡み合っている。しかし、翠燕という存在が、その闇に光を当て、真実を暴き出していく。そして、その過程で、李桂自身の心にも、これまで感じたことのない、奇妙な変化が訪れ始めていた。