第2話 3階前の階段で
馬車の中はまるで生きた心地がしなかった
なにも言葉を発することのない親父が目の前におり、隣のルーナが今日の儀式の説明役としてその向かい側に俺と横並びに座っていた
エイデラントはその柔らかい椅子に座っていながらも震えが止まらなかった
馬車の揺れで動いておるのではなく彼自身がそれを行っていた
【足の震えが止まらねぇ…】
エイデラントは自らの脚を手で無理矢理押さえつけながら父親を見ないようにずっと木製の床を見つめていた
「落ち着いてください。別に緊張なんてする必要ないですよ?」
いや、そういうことじゃないんだと言いたかったが原因を目の前にして本当のことが言えるはずも無かった
「代替わりの儀式とは言っても私たちは小位貴族なので参列者は街の重役の方々の精々5名ほどです」
「会場もただの役所の一室で行うだけですからそんなに気負わないでください。」
ルーナはエイデラントの気持ちとは裏腹にそんな話を始めたが彼の頭にはなにも入ってこなかった
「ちゃんと聞いてますか?」
ずっと床を見つめている俺に疑念を持ったルーナが少し屈んで顔を覗いてきた
「え?あぁ、聞いてる聞いてる。」
そうしてようやく俺は顔を上げてルーナに反応した
「嘘ですね」
彼女が頬を膨らませながらムスッとしてきたので姿勢を正すとルーナはため息をつきながらまた話始めた
「もう一度話しますがちゃんと聞いててくださいね?」
「儀式の内容は簡単です。最初にヴェルダー様が部屋へと入場して祭壇の前に立ちます。そして次にエイデラント様が入場して同じ祭壇の前に立って向かい合います。」
「そしてヴェルダー様が宣言を始めるのでそれが終わりましたらエイデラント様は小位貴族の証である徽章をヴェルダー様から受け取り参列者の方々になにか一言言ってください。」
事務的に話し終えたルーナに俺は久しぶりにメイドらしい所見たなと思いつつも一つ疑問の残るところがあった
「なぁ、その参列者への一言ってなに言えばいいんだ?」
「それは、今後の意気込みとかでいいのではないでしょうか?」
「俺にそんな大層なものあると思うなよ?そもそも俺はなりたくてなるわけじゃ…」
ヤベと思った次の瞬間には頭に重たい拳骨が叩き込まれていた
「痛っ、!」
あまりの痛さにタンコブができてしまい、その頭を両手で確認していると目の前から親父の怒号が飛んできた
「お前は私の跡取りとなって家の名前を挙げるんだ!」
元々低い声なのにそんなに叫ぶ親父の勢いが強すぎて思わず気持ちが後ろに引いてしまった
すると2人いた御者の男の1人が馬を止めて降り、扉を軽く3度叩いた
ルーナが扉を開けると男はヴェルダーに向かって言った
「着きましたよ!当主様!」
「うむ。」
最初にヴェルダーが降りてそれに続いてエイデラント、そしてルーナが降りたことで馬車は待っている間の待機場所であるへと向かって行った
「ここは…?」
「エイデラント様は外に出ませんからねー、ここのことも忘れてしまいましたか?」
見覚えのない建物を物珍しそうに眺めているとルーナが隣に来た
「この建物はこの街の役所です。私たちが儀式を行うのはこの建物の3階、つまり最上階です。」
「ヴェルダー様はもう行ってしまわれたので私たちも急いでいきましょう!」
明るくエイデラントの背中を押して建物に入っていくルーナとは違い、彼は緊張していた
【あれ?さっきまでなんともなかったのに…】
【あ、そうか、親父が居ないからか!】
【さっきまでアイツが怖くてビクビクしてたからなー】
【いやいや、それよりも本当に俺が当主になるのか!?】
階段を登るにつれて現実なのだと少しずつ理解してきた
「ルーナ…」
その名を呼びながら止まるとルーナも一緒に階段で止まった、あと数段登れば俺たちは3階へ着く、3階の部屋はただ1つだけ、そう儀式の部屋のみ
「やっぱり帰ってもいい…?」
俺は帰りたかった、あの布団の温もりに包まれていたかった、ずっと、永遠に…
しかし彼女はそんな俺を許してはくれなかった
「なに言ってんの?ここまで来たんじゃない!」
最初はいつものように呆れながらそんなことを言った
「本気で言ってる。俺は帰りたい。」
そう言いながら後ろを振り向いて階段を降りようとすると腕を何者かに掴まれていた
「なに…?」
振り返ると俺の腕を力強く握りながら怒りマークを頭に乗せたルーナが静かに怒りながら立っていた
「いい加減にして…」
「え?」
ルーナは俺が今までに見たことのないようにただ静かに激怒していた
「あなたは、!、私の、!」
ボソッ「英雄だったのに…」
「え?なんて?」
最後の一言が小声すぎて上手く聞き取ることのできなかったエイデラントは一段登ってルーナに近づいた
その一歩の間合いが彼女にはまさに必要だった
ガバッ!
その一瞬、ルーナは目にも止まらぬ速さでエイデラントの襟を掴んで無理矢理引きずりながら階段をまた登り始めた
「ルーナ!お前この光景、今日2回目だぞ!?」
「その2回目をさせている原因はどこの誰でしたっけね!?」
ルーナは貼り付けたような笑みを見せながら階段を登り切った
「ほら着きましたよ。合図があるまでは扉の前で待機です。いいですね?」
「はぁ…」
いつかはこうなる、それがただ今日だっただけ
俺はそう思うことにした。一種の諦めだった…
「そろそろですよ。ボーッとしてないでください。」
「お前、公私の使い分けが上手いんだな。」
「どうしたのですか?急にそのようなこと…」
「いや、だって何もない時に2人でいる時はタメ口とか使ってくるのに。親父がいる時とか今日が初めてだけどこういう公的な場所では敬語だろ?」
「どうして2人きりの時はタメ語なんだ?」
「、!」
「そんなのどうだっていいでしょう、!」
「それよりも、ほら!合図が来ましたよ!」
彼女の目線の先を見ると入り口の扉の上にある灯りが継続的に点滅していた
「これが合図なのか?」
「もう!そんなこといいから!早く行きなさい!」
そう言いながらルーナは俺の背中を無理矢理押して扉の前へと来てそのドアの取っ手に手をかける
「ちょっ!まだ心の準備が…!」
彼女はエイデラントの言葉を蹴り飛ばすように扉を開けて彼の背中を思い切り叩いた
「そんな乙女みたいなこと言ってないで、はやく行く!」
「おっとと…ん?」
エイデラントはふと隣を見るとルーナも一緒についてきて横並びになっていた
【いやお前もついてくるんかーい!】
そして前を向くと祭壇の前にはヴェルダーが立っており、そこに続くまっすぐな道の横には8名ほどの参列者が座っていてこちらをまじまじと見ていた
【まぁそりゃ全員おっさんか…】
【だったら変に緊張する必要なんてないな、!】
そう思うことにしたエイデラントは祭壇まで続く赤いカーペットを一歩一歩踏み出していった