【一章/二話】 シフ・ハスカー・フューズ
「それじゃあ、無知な僕に、教えてくれないか?」
なんだかんだ言って、僕は賢い方で、適応力も十分在るから、大して混乱はしていない。聞きたい事だって、そう多くはない。
どうして僕は死んだのに生きているのか、とか、異世界に来た理由は何なのか、とか、この世界では初対面の人間を蹴るのは普通なのか、とか、シフは僕を何故連れ帰ったのか、とか、何でお前はそんなに可愛いのか、とか――なんてのは、大体、大方、聞くまでもない、些細な問題に過ぎない。ということは、まあ無いのかも知れないけれど、でも、それら全てを差し置いても、僕が今聞くべきは――
「あの地獄は――何だ?」
地獄。
僕の経験したあれは、間違いなくそう呼ぶに相応しい。
教会という神聖な場所において、ああも悲惨な景色、在ってはならない。ならない、はずだった。ならないと、思いたかった。
でも、事実一度は――見てしまった。見てしまったのだから、知ってしまったのだから、その地獄の一部にすら成ってしまったのだから、目を背ける事はできない。忘れる事も許されない。
「答えないよ、何も」
だが、彼女はそう言った。朱色の瞳を僕に真っ直ぐ向けて。
正直、言葉に詰まった。あまりにも端的な回答で、考え直してくれる余地など、用意されていないように思えて、どうにも――乞いようが無かった。
「どうしても、僕が何をしても、か?」
「そう。どうしても。君が何をしても」
なら、
「分かった。なら僕は、もう失礼するよ。 それと、できればこの服を買い取りたい。代金は暫く、待って欲しい。本当に悪いが、いつかこの恩を返しに来る時、必ず一緒に」
「――え?」
僕に向いていた朱色の瞳は、急に厳格さを失って、真ん丸になった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。私はそんなに、良い人じゃないよ?」
「え、いや、僕服もなければ、一文無しなんだけど……マジで言ってる?」
「そういう事じゃないって。別に私良い人じゃないから、着せた恩に対して、その分相応の対価だけ貰って――満足なんてしないよ?」
もしかすると僕は、内臓やら何やらを売り飛ばされるのだろうか。
下手をすると、明日の朝日を拝めない可能性が出てきたぞ。
「どうか、見逃して頂けないでしょうか」
椅子を降りて、彼女の席の横に行き、フローリングに頭を付けた。
格好悪いかも知れないが、僕は割と命を大事にするタイプだ。
それこそ、大事があれば、大事にせず、投げ出す事も厭わないが、しかし大事件の被害者になるつもりはない。
「落ち着いてよ、全く早計だなぁ」
「え、もしかして、命は――助けて貰えるの?」
シフの顔を見上げると、彼女は不敵に笑っていた。
怖い。やっぱりもうダメかも。
「大丈夫だって。少し君の身体を切り刻んで、滅茶苦茶にして、原型を残さないだけだから」
ダメでした。僕は、これから死にます。
「全く、そんな顔しないでよ。言葉の意味そのまんまだから、安心してちょうだい」
「え……っと、あぁー、ん?」
今何処かに、安心できる要素在ったか?
いや、無かったな。多分。
「だって君、首がなくても、というか、首だけしか無くても――生きてたじゃん」
「――あ。 いや――」
一瞬納得しかけたが、すぐ気付いた。
死なないかも知れないで、なら殺そうとは――ならない。
「だから、心配しないで? 君は怖いかも知れないけど、十中八九大丈夫だし、なにより私は楽しいから」
愉快犯だった。
ていうかコイツ今、十中八九って言わなかったか?
僕、十中一二死ぬの?
四字熟語風だと危険度が分かり難いか。
目の前に五つ錠剤が在るとしよう。内一つが即死の劇毒だ。――そして僕は今、それを無理やり飲まされようとしている。こんな理不尽、在ってはいけない。
「なあ、明日にしないか? 今日はもう結構遅いだろ? だから、明日朝早く起きて、身も心もさっぱりした状態でやるんだ」
勿論僕は、夜間に逃亡するが。
「うーん、ダメ」
考えもせず、即答だった。
それからのシフは、恐ろしいほどの手際で、本当に初犯か疑うレベルの速度で――あれよあれよと言う間に準備を進めた。
僕の身体はダイニングテーブルの上に縄で固定され、両手両足の自由もまた、縄によって奪われた。
「えっと――僕は一体、何で切られるんだ?」
「それはねぇ、これとぉ、これとぉ、あとこれと、これぇ!」
メス。ナイフ。包丁。ノコギリ。
シフの手から、急に出てきた。マジックショーかと思った。
そしてシフは僕の服を捲り、メスを腹部に突きたてた。
「じゃぁもう良い?! 大丈夫だよね!」
「…………」
彼女は無邪気に笑って、勢い良く――僕を裂いた。
腹から、血が吹き出る。痛い。凄く痛い。が、想像は絶しない。
シフは血飛沫なんて気に留めず、自由気ままに、優雅に、全身くまなく、刃物を進めていく。
身体がバラけてくると、内蔵を持ち上げて、宙に放ってみたり。肉片を取り上げて、それを舐めてみたり。
「あはっ! 凄い凄い! 私何しても良いんだよ! 怒られないんだよっ! 凄くない?!」
上ずった声色からは、シフの純粋な喜びしか感じない。
そしてあろうことか、僕の血肉を被って恍惚とする彼女を――僕は、美しいとさえ、思ってしまった。
「ねぇ、これ、明日の朝までやろうっ!? ね!」
「…………」
きっと肺が切られていなければ、僕は「そうだな」と、答えてしまっていたかも知れない。それ程に、今僕は彼女に惹かれている。
いや、そっと微笑んで、僕は暗に承諾したのだから――大して、変わらないな。
今はただ、彼女が思うままの、おもちゃで――居てやりたい。
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「【ベルィ,ディウ】」
朝日だけが照らす、薄暗い部屋の中――僕はダイニングテーブルに立っていた。
シフは魔法で僕を直してすぐ、床で崩れ落ちた。
辺り一帯、数刻前の惨事を思わせない綺麗さ。すっかり何もかも元通りで、何処にも血痕はない。彼女の使った魔法は、飛び散った部品を集めて、修復する魔法なのだろう。
床に落ちていた、所々が切れた紺色の寝間着。それを着てから、僕はこの家の部屋を全て回った。始めに入った部屋は――トイレ。次は――風呂。そして最後に――寝室を見つけた。
ダイニングまで戻り、倒れているシフを両手で抱えて、寝室まで運んで、紺色のシングルベッドにゆっくり乗せる。上から布団だけ掛けて、僕は早々に部屋を出た。
「――あぁ、どうしよ、これから」
昨日、僕は本当に――どうかしていた。