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「役者」

 僕は、雑貨店の軒先に立っていた。

 少し埃っぽい様な、しかし心地の良い、古びた匂いがする、そんな店の軒先。


「おい、何店前でつっ立ってやがんだぁ?」


 荒っぽい、老いた声。

 店の奥にあるカウンターの中から、中年の男に声を掛けられた。新聞を広げて、煙草を咥えている。

 ふぅーっと煙を吐き出しながら、決して良くはない人相で、僕を胡乱げに見つめている。


「僕、死にませんでしたっけ?」


「はぁぁ? お前さん頭おかしいんじゃねえの?」


 当然だ。彼は、何も間違っちゃいない。間違っていないが、僕だって、間違っていない。

 僕も、彼も、どっちも正解だ。

 僕が店の中に入っていくと、彼は嫌な顔をして、新聞を上げ、僕を見て見ぬふりをしようとした。

 まるで、頭のおかしい奴から身を隠すみたいじゃないか。

 

「えーっと――」


 更に奥へ進み、店員に声を掛けようとして、辞めた。

 彼より、ずっと目に付く奴らが居たからだ。それは、二人の、幼い――メイドさん。


 片方は、凄く凄く黒い。

 片方は、凄く凄く白い。


 白いのと、黒いのは、互いに日傘を差し合って、日の当たらない店内を、見回している。ぐるりと、一周。

 そして、こちらを向いた時、僕に気付いた。


『いやらしい目付きですね、変質者でしょうか』


 二人、口を揃えた。


「詳しいじゃないか、僕について」


 綺麗な二連撃、二人のメイドの回し蹴り。

 僕は、背を九十度後ろへ曲げて、余裕の回避。


「今の暴力の対価として、一つ、聞いても良いか? 此処って、雑貨店だよな?」


「ええ、雑貨店ですとも」


 と、白いほうが。


「ええ、雑貨店だったんですか?」


 と、黒いほうが。


「ええ? 雑貨店じゃないの?」


 と、僕が。

 

『まぁ、雑貨店なんですけどね』


 二人、口を揃えた。

 二人のメイドさんは、互いに顔を見合わせて、くすくす笑っている。


「所で、僕は今、迷子なんだよ。この辺りについて、何か教えてくれないか?」


「大変ですね、迷子は。ママとパパは一緒に来ましたか?」


 と、白い方が。


「ん? 僕が、そんな歳に見えるのか?」


「あら、てっきり私は、変質者さんですし、あの、えぇーと――ババみを求めてる方かと思いまして」


「僕は、熟女好きじゃない。 それを言うなら、バブみだ」


「あぁ、それですそれです。バブみです。 それで、マァマとパァパは、一緒でちゅか?」


「僕は断じて異常性癖者ではない!!」


 久しぶりに、こんな大きい声を出した。

 そして後ろから、店主の溜息が聞こえた。

 外で話す時は、声のボリュームを考えよう。常識だ。


「――ここを出て左側、坂道を登って行くと、教会があります。きっと、助けてくれる人が居ますよ」


 と、黒い方が。


「……教会? あぁ――そうか、分かった。 助かったよ。本当、ありがとうございます」


 まあ、そんな気はしていたから、別に驚かない。

 きっとここは――日本じゃない。それくらい、容易に想像できていたから。


「じゃあ、二人共、また何処かで」


 雑貨屋から出るとそこは――開けた、横一本の大通りだった。手前にも、奥にも、飴色の建物が並んでいる。僕は地理が壊滅的だが、何となく、ロンドン、とかに近い街並みだと思う。それも、現代のというより、少しだけ昔の。

 日は傾き、夕暮れ時。道路を走る古風な自動車も、向かい側の道を歩くスーツ姿の男も、地面に影を落としている。

 黒い方のメイドが言っていた、左側の道は、登りの斜面になっていた。急ではないが、しかし随分長くて、果ては良く見えない。

 登り始めようかと思ったが、落ち着いた街の雰囲気に当てられたせいか、どうにも心まで安らいでしまった様で、安らいだが故に、非日常と孤独から来る焦燥が、今更明瞭になってしまった。胃が、少し痛む。 

 数分立ち往生して、そして、諦めて、坂を登り始める。遠目で見ればあんまりだった斜面も、いざ登ると、足に来た。 


 最後の方は息切れして、ペースも下がってしまったが、なんとか登り切れはした。

 そこもまた、横一本の大通りで、登ってきた道も考えるなら、大きなT字路になっている。

 その突き当りに、教会は在った。荘厳で、重々しくて、威圧的で、それらを凌駕する程に――神聖な雰囲気。

 車通りがない事を確認してから、道路を渡り切り、教会の入口に立った。二枚の大きな、木製の扉が構えている。軽く押してみたが、まるで動かない。

 少しだけ扉から離れて、二回ジャンプして、勢いをつけて――突進。 してみたが、勢いよく、勢いそのまま、綺麗に反射されて、突き返された。

 重い、なんてもんじゃ無かった。向こう側から、施錠でもされてるんじゃないかってくらい、堅牢だった。だが、悲しいかな、扉は――僅かに開いている。拳一つにも満たない、ほんの僅かな隙間。いっその事、施錠されていて、鍵が必要、という方がマシだった。

 にしても、こんな重い扉が、締まった状態になっていて、本当に中に人は居るのだろうか。

 ともあれ突進攻撃は諦め、お次は――のしかかり。扉に全体重を乗せて、ぐいぐい押し込んでいく。扉は少しずづ動き、動き、動き――


「っぁあ!」


 急に、開いた。同時に、何かが崩れた様な、雪崩が起きた様な――音。

 掛けていた力が一斉に宛を失って、僕の身体は、前にすっ飛んだ。

 盛大に転けたが――痛みは無かった。寧ろ、何か温かいクッションに包まれているような、優しい感覚。とても湿っていて、鉄臭い、人肌の温度の、何か。


「んぁ?」


 ゆっくり、僕は立ち上がる。

 そして、目にする。

 足元に散乱する、無数の――死体を。

 クッションだと感じた何かも、それの一つだった。身体から、血が滴り落ちている。

 

 教会の床は、一面血の海。比喩でも何でも無く、何処までも血で満たされていて、所々に、僕の付近の物よりずっと酷い、体すら成していない、死体と呼ぶのも烏滸がましい――死の、残骸が浮かんでいる。

 そして、血に満ちた教会の最奥で、講壇の上に、ステンドグラスを背にして、一人の青年が座っている。彼は僕を見て、驚いた様に、 


「あれぇーっ?? 僕、バリケード作ってたよね? 壊しちゃったの?」


「――っ!」


 ――怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

 その瞬間、やっと、状況を飲み込めた。飲み込めてしまった。

 踵を返して、僕は走り出した。一刻も早く、ここから立ち去る為に。死体から目を逸らす為に。惨状を知らぬふりをする為に。

 慌てすぎて、バランスを崩して、転倒して、立ち上がろうとして、しかし死体で足がもつれて、躓いて、それでも、全て無理矢理に振り払って、全力で、必死で、半狂乱で、死に物狂いで、駆け出した――のに、肩を、掴まれてしまった。

 誰に? 

 どうして?

 

「残念、君の人生はここでお終い」


 振り返ったそこには、微笑む青年が居た。

 そして、視界がするりと落下する。

 僕は、声を出そうとして、でも、

 

「――かっぁ」


 あぁぁがぁぁっ?!?!いッッぁ!?


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 あれから、どれ程経っただろうか。

 慣れてしまった自分が、恐ろしい。この世の物とは思えない、想像を絶する激痛も、今はただの、脳への信号としか思えない。

 落ち着いて、ようやく分かったが、僕はあの時――首を落とされたらしい。

 最初はもう、思考をかき消す激痛のせいで、何も考えられはしなかった。でも、ある時気付いた。死して、正気を保てぬ程の激痛に晒されて、それでも尚、意識が、無くならないと。

 今は十分に、状況が分かる。あの青年は、もうこの教会に居ない。誰も居なくなった教会で、僕の頭は今、青年が座っていた最奥の講壇に置かれている。視界から、そうだと分かった。


 血の海に浮かぶ臓物の一片が、少し流れて、またもう一つの肉片にぶつかる様を、僕が凝視していた時――勢い良く、扉が蹴り開けられた。


「――ルスペル市警だッ!」


 突入して来た、数名の警官らしき装いの者達。だが、皆この様子に絶句し、足を止めてしまった。

 その中で一人、頭一つ抜けて若い娘が居た。高校生、くらいだろう。

 他の者が固まる中、その娘だけは血の海でぴょんぴょん跳ねて、泥んこ塗れの子供の様に、泥の変わりに血を浴びて、僕の方へ近付いてくる。本当に、一直線に、講壇へと。

 それから、僕の前に立ち、僕を眺め、恍惚とした表情を浮かべ、顔を寄せ、耳元に口を近付け、そして囁くように――


「君、生きてるでしょう?」

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

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