【零章/零話】 小学生の時は皆、ありがとうと言える
こいつら全員、どうかしている。頭がおかしいんじゃないか。
高校の教室の、一番端っこで寝た振りをして、机の一部を陽キャに椅子代わりにされながら、僕はそう思った。
あぁ、いやいや、落ち着いてくれよ。きっと皆は今、僕が陰キャ過ぎて、クラスの陽キャに歯向かえないから、心の中で文句を言ってると、そう思っているんだろう?
違う違う。全然、全く以ってそうじゃない。
「うい、授業始まるからそこどいてくれっ」
「あー、すまんすまん」
陽キャは、そそくさ自分の席へ戻った。
ほらな、問題は無いだろう? 僕が今真に問題としているのは、横の席の女子、田口さんだ。
あぁ、ちょっとちょっと、落ち着いてくれって。きっと皆は今、僕が彼女に対して何らかの恋愛感情を抱いていて、それに纏わる問題が発生しているのだと、そう思っているんだろう?
違う違う。全然、全く以ってそうじゃないから。
問題はただ一つ。
僕は彼女に、シャー芯を上げたのに――彼女は、僕に「ありがとうございます」を言っていないのだ。
え? そんなの大した問題じゃないって? 大問題に決まっているだろう、痴れ者が。
少なくとも、二時間目の数学から、現在五時間目の休み時間に至るまで、僕の機嫌は最悪だ。まあ、当然、それを態度に出しては居ないがな。
そもそも、シャー芯を上げるという行為は、それ単体で僕にメリットが発生する事はない。それなのに、僕が彼女にシャー芯をくれてやった理由は、ただ「感謝」して欲しかったからだ。
僕は感謝が大好きだし、謝意が大好きだし、謝礼が大好きだし、ありがとうが大好きだ。その為に生きてると、そう言っていい。
つまり彼女は、僕という人間の生きがいそのものを、平然と踏みにじったのだ。だが、僕がそれを注意してみろ。
「あの、田口さん。人からシャー芯貰っておいて、なんでちゃんとありがとうも言えないのかな?」
「え、あ、いや、え……? あぁ……もしかして、結構前に借りたやつ?」
「そうだよ、二時間目の数学の途中、僕は貸してやっただろう」
「そっか……ありがとう、ね。なんか、ごめん」
見ろ、これだ。この結末だ。
おかしいのは僕だと思うか? いや、僕ではない。断じて、僕ではない。
しかし、この一連の流れを横の席から聞いていた、さっきの陽キャ君を見てみよう。
ほら、うわぁーって顔してるよ。結構引いてないと、こんな顔にはなんないよ。ふざけやがって。
そして、冒頭の話に戻るわけだ。冒頭の僕は、この結末を全て見越した上で、あんな暴言を吐いていた訳だ。
――本当に、どうかしている。何もかも。 僕はただ、感謝されて、気持ちよくなりたいだけなのに。ありがとうが、欲しいだけなのに。
結局、その日はいつも通りに終わった。その後も、いつも通り。いつも通り淡々と下校路を歩き続けている。
放課後の掃除当番も変わってやったが、やはり「お、まじ? ざぁーっす」と言われただけだった。
ちゃんと「ありがとうございます」も言えねえのよ、糞っ垂れが。
事が起きたのは、横断歩道に差し掛かった時。
赤信号だというのに、ボールを追いかけて飛び出す子供が一人。横からは、それ目掛けて突っ込む、スピードを落とさないトラック。
僕は――奇跡が起きたと思った。
迷いはなかった。微塵もだ。
そして、僕は子供を押し飛ばして――身代わりになった。
衝撃。激痛。
幸いにも、トラックは僕を少しだけ引いて、止まってくれた。子供は、無事だった。
地面の血溜まりと、トラックにへばりついた、僕の何か。
意識が揺れる。思考が崩れる。
それでも、立っていなくてはいけない。平然と、堂々と、飄々と、待たねばならない。
「ねぇ! 君さ、何か言う事あるだろうッッ!! 学校で、習っただろう?!」
飄々と、ってのは無理だった。
それでも、僕は目を見開いて、ランドセルを背負った彼に、懇願する。
命を掛けても欲しかった……掛けてこそ得られる……最大級の、最高級の、最上級の――
「あ、あ、ありがとう、ございます……?」
感謝を。
その日、西月一朗太は――微笑みながら死亡した。