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誰にでも肩書きのある、職人の世界にて



---『何と愛らしいのだろう』



彼女は産まれたばかりの人の子に心奪われた


その理由はいたって単純

目が合ったから、それだけだ


しかし愛おしく思っても触れる事すら叶わない

どうにかしてその桃色の頬をこの手で優しく包みたいのに、届くはずの距離に居るのに、それが叶わない



「…悲しいのですか……?」



人の子は親よりも先に彼女に声を掛けた

その言葉に彼女は目を見開く


偶然目が合ったように見えた、ただそれだけだと思っていたからだ。



---『貴女は、』



そう問いかけたところで不審に思った親が子の顔を覗き込む。



「何が悲しいものか…女とて関係ない、この世は素晴らしい女神様に造られし世界だ」



---『ああ、そうか』



彼女は子の周りに居る青みがかった髪を持つ人々を見て目を細めた。



「我が壱気家へ生まれてきてくれてありがとう、峰」


「…峰?」



子供は彼女から自身の父と思しき男へと視線を移した


白髪の男は力強く頷く



「お前はいずれ山の頂へ辿り着く、そう願って付けた名だ」



彼女は完全に蚊帳の外に追いやられてしまった


確かに視れば子供の中には立派な職人の素質が青々と燃えていた



しかし、彼女はそれを恨めしく思ってしまった



---『私を見た、それこそが最大の奇跡だというのに…』



彼女は数歩よたよたと下がるとゆっくり腕を伸ばした

そして…、躊躇するように固まった



---『…いえ、だってそれは私が彼に与えた物…、貴女はもう、他の物を持っている、ならば』



そう思うとバッと腕を上げ、風を起こすように振り下ろした



「わ…っ!!」



子供も、それを取り巻く周りの人々も突風に目を瞑った



---『…………………………』



彼女は子供から青い炎が消えたのを確認すると、もう一度目を合わせようと近付き、覗き込んだ


そうするとまたもや子供は見つめ返す


そして彼女の黄色く、青く、不安定に変化する瞳の色を観察した



「……大丈夫ですよ」



それを聞いた彼女は自身が涙を零してしまっている事に気が付いた。



「大丈夫ですよ」



何も理解をしていない子供は愛らしく笑うと彼女に手を伸ばす



そして、彼女の涙を拭い、幼い子をあやすように頭を撫でた



初めて人に触れられた彼女は目を見開いて子供の手に自身のそれを重ねようとした


しかし、やはり叶わない



---『私は…、貴女から貰うばかりで、貴女から奪うばかりで…』


「大丈夫です、この世は素晴らしい女神様が造られた世界…それなら、貴女が涙を零す理由など無いはずなのです」



そう言われた女神は項垂れた



---『私は取り返しのつかない事を…』



視線を上げれば、子供は不審がる周りの大人ににこにこと笑顔を向けている



---『せめて…、これから捨てられるであろうこの子に…、』



女神はそう願うと目をぎゅっと瞑り、自身の中に意識を巡らせた



---『明るく、優しく、同じ目線で…、だがこの世界の価値観を持たない……そんな導いてくれる仲間を…』





産み落とされるより前からその才を強く期待される者はごく僅かだろう。

かつて私は、その僅かな部類に入る恵まれた血筋であった。

しかし、その期待が確固たる約束である保証は無いのだと、そんな事はどうしようもないのだと、それを余りにも早くに知ったのは恵まれたこの家に産まれたせいであった。



「気ノ弐肆峰、手を見せなさい」



最近増えた父のこの言葉。

いつもと異なる事は私の名を略さずに呼んだ事だろうか。


私は今日もまっさらで綺麗な掌を差し出す。

そうしながら自身の父を見つめた。



(綺麗…)



父の髪は真っ白に染まり、顔には皺が深く刻まれている。

もう五百年は生きた我が父は、神様がお造りになったという尊い始まりの人間であった。


その始まりの人間から産まれた我々の体は、五年前後で成熟する。

その後、歳を取るかは各々の職人の力にかかっていた。

良い技術を身に付け、良い仕事をすれば、それだけ見た目もゆるりと成長する。


我が壱気家は五百年も続き、父の子供も私で二十四人目。

しかし、子供達の髪はまだ青黒い者が八割といったところだ。


それ故に、自身の父親の姿は何度見ても惚れ惚れとしてしまうのだ。

成年後にどれだけ長い間、職人として成長してきたか一目で分かる気高い姿だった。



そんな父は私の掌を一瞥すると短く息を吐き、今度は私の瞳を真っ直ぐに見据えた。



「出て行きなさい」



迷いのない声音だった。

父はもうずっとそう考えていたのだろう。

しかし、私は違う。


この家に産まれた。

大気を作る、この名家に。


大気の職人を育てた師は皆、この壱気家の者だ。

その正当な血筋を持つ自分がこれ程までに早く見限られるなどあり得ない、ただまだ幼いから、それだけなのだと。


だって…、まだ自分は産まれ落ちてから一年と経っていない。



「と、父様、」

「お前の掌に空の胼胝(たこ)が出来ないのは、お前が大気に干渉出来る者でないからだ」



私は薄く開いて固まっていた口を閉じ、こくりと喉を鳴らした。

父はその様子を見てから自身の掌に視線を落とした。

その掌には胼胝が斑に散っている。



「お前の志の高さは知っている」



そう、私はこの血に胡座をかいていた訳ではない。きちんと努力はしていたのだ。

それならば、それならば…、あと少し待てば自分の掌にだって、



「だがな、峰」



低く静かな父の声にハッと視線を上げる。

父は厳しい目付きをしていたが、その奥にある桃色掛かった紅い色は優しさを隠しきれていなかった。


それも束の間。

その色は消え失せ、すぅっと黒い色が浮かぶ。

受け入れがたくとも強い決意と揺るがぬ気持ちが伝わって来る。


それを見た私は覚悟を決めざるを得なかった。



「産まれたばかりの赤ん坊でさえ、(くう)を捏ねるだけで小さな胼胝が出来る」


「峰、努力をしたから胼胝ができるのではない」



「ここに胼胝が出来る者が大気の職人なのだ」




もう一度自分の掌を見る。

女だから胼胝などない方が良いなど思った事すらない。

技術が、実力が物を言うこの世界で、これ程までの絶望があるだろうか。



「…父様、」



「父様、私は…失くし、なのでしょうか」




聞き慣れぬ弱々しい声音を聞いた父の瞳に淡い蒼が浮かぶ。



「……お前はまだ自身の肩書きを見つけていないだけだ、肩書き失くしなどではない」


「それに、壱気家の者が、お前が、それを見付けられない筈がないだろう」


「だが、ここに居ては肩書きが空のままだ、急がねばならんぞ」



その言葉に私は珍しく返事もせずに項垂れた。

父はそんな娘の姿に眉尻を下げ、スッと視線を逸らした。



「早く出立の用意を」



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