1話
ダンジョンの中を一人の青年が歩いている。
男性平均より頭ひとつ飛び出たくらいの身長に、スマートながらに鍛えた筋肉質な身体。
肌の色は白く、ほりの深い顔で鼻も高く、周りの女性がほっとくことができない美青年。
さらっとした金髪に、瞳の色はオリーブ色。
その青年は、オリバー・ナイジェル。
勇者パーティー『オリーフロード』のリーダーで、予言によって選ばれた勇者である。
とある村の裕福な家で育てられ、剣の腕を磨いてきた。
国の占い師が、その村にいる少年が勇者であると予言し、模擬戦で勝利したところを見初められ、勇者となった。
それから数年間修行を続け、14歳のときには村から出て、王都にあるギルドに所属する冒険者となり、パーティーを結成した。
もうすぐ20歳になる現在は、ダンジョンに潜ったり、クエストをこなしたりと、いつか復活するかもしれない魔王に備えて、レベルを上げている。
そんなオリバーだが、今は満身創痍である。
射抜かれた左足を引きずり、左腕からは血を流している。
セットした髪はボサボサで、整った顔も泥だらけであった。
そんな悲惨な状況にも関わらず、周りには他のパーティーメンバーはいない。
ただひたすらに歩き続けている。
「あいつら、もうダンジョンの外に出たか?」
こうなった原因は、クエストの失敗にある。
ダンジョンにしかいないモンスターの素材集めであった。
初めて行くところではあるが、普段の『オリーフロード』なら、余裕で最下層まで行けるレベルのダンジョンであった。
しかし、少しの油断で、強くなったと感じるモンスターに襲われ、パーティーメンバー皆怪我を負い、逃げるために方々に散らばった。
殿を務めていたオリバーだけが残されてしまったのだった。
「俺も、無事に地上に戻れるかね」
見上げて、地上に思いを馳せる。
廊下をしばらく歩き続けている。
今のところ、モンスターは出てきていない。
しかし、目の前に広間が開けて見えてきた。
今日はそこまで深い層には降りていないが、低レベルであるはずのモンスターにやられてしまったため、油断はできない。
背中に背負っていた剣を構える。
広間に入っていく。
「何もいない?」
広間には必ずいるはずのモンスターの姿が見えない。
「そんなはずは…」
どこかに隠れているのではないかと、辺りを見回す。
そして、オリバーの視界に、横たわっている人が入る。
「大丈夫か!?」
こんなモンスターだらけのダンジョンでぐっすり寝られる訳がない。
それならば、モンスターにやられて動けなくなっているか、最悪もう死んでいるか。
ボロボロで痛む体で無理矢理走って向かっていく。
倒れていたのは、女性であった。
真っ白な肌に、透き通るような腰まで届く長い金髪。
目は閉じられていても、顔の造形が整った美女であることが分かる。
オリバーとは違い、泥や血で汚れておらず、怪我も負っていない。
まるで寝ているだけのように見える。
「何でこんなところで…」
口に手を掲げてみると、呼吸はしているようだ。
「よかった…」
安堵して、ほっと一息をつく。
しかし、安心したオリバーは、背後から何者かが近寄るのに気づかなかった。
その隙に黒く鋭利なものがオリバーの腰を突き刺した。
「ぐはっ」
オリバーは吐血し、倒れこむ。
「な、何だ…」
後ろを振り返ると、オリバーの2倍をゆうに超えるほどの大きさの巨大クモがいた。
「何で浅い層にこんな高いレベルのモンスターが…」
必ずモンスターが出る広間とはいえ、浅い層には人が対峙できるほどの大きさのモンスターしか出てこないはずであった。
このような巨大クモなど、最下層にいてもおかしくないレベルである。
「何にしろこいつをどうにかしないと、ここからは出られないようだな」
女性の近くに置いていた剣を拾って、巨大クモに向ける。
後ろにいる女性に目を向ける。
彼女を無傷で早く地上に連れ帰らないといけない。
そう気をクモから逸らした一瞬で、クモは口から糸を吐き出す。
その糸はオリバーの剣を奪い取った。
「な…」
瞬く間に、剣はクモの口に入り、バキゴキと噛み砕く音が周りにこだまし、響いている。
その音が、次は自分がこうなる番だと、恐怖を掻き立てる。
顔を恐怖で引き攣らせる。
今すぐに逃げ出したい。
でも、彼女を置いていく訳にはいかない。
巨大クモの長く黒い脚が素早く動き、オリバーの体を突き刺していく。
先ほどのスピードで糸を出せば、怪我を負ったオリバーは逃げ出すこともできないのに。
たくさんある赤い目はぎらりと光り、人のように動く口角はないのに、三日月のようにニヤリと上がったように見える。
なぶり殺すのが目的で、それなりの頭脳は持ち合わせているようだった。
体の至る所から出血し、生命力もだんだんと弱っていく。
もう立つことすらできずに、地面を這うことしかできない。
それでも、彼女をなんとか守ろうと覆いかぶさる。
そのとき、彼女の下から黄金に輝く魔方陣が浮かび上がる。
その光にクモはすくんで、動きが止まる。
でも、オリバーは意識が薄れていき、動くことができない。
「向こう光っているよ!」
人の足音と声が聞こえる。
ダンジョンから出たパーティーメンバーが助けを呼んでくれたのか。
これでこの女性だけは助かる。
そう安心して、最期にオリバーは笑みを浮かべる。
「オリバー!」
神様は親切なのか、意地悪なのか分からない。
「しっかりしろ、オリバー!」
死の間際にこんな幻聴を聞かせるのだから。
「誰かポーションくれ!」
だって、あいつが俺をこんなに心配してくれるわけないだろ。
「早く蘇生魔法使わないと」
でも、最期に一目会いたかった。
「リーフ…」
「生きてくれ、オリバー!」
オリバーが最期に見上げた先にいたのは、涙を浮かべた一人の青年だった。