沈黙の編入生
2日後。
首都クエンティン、聖ホーリーウッド学園校門前。
定刻となり、学園付きの衛兵達二人が仰々しいゲートを開門する。ほどなくして学園に通う令息・令嬢たちが次々と通学路から現れ、門を潜り抜けていく。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
下は6歳から最上級生の18歳まで、宮廷デザイナーが立案した制服に身を包んだ貴族の子弟が、互いに優雅に挨拶を交わしながら登校するのを、衛兵達は無表情で見届ける。左肩には自動小銃をぶら下げて、胸元のポケットには無線機とマイク。この国の未来を担うセレブな生徒に万が一の事態が起こらぬよう、常に警戒は怠らない。
ほどなく始業15分前の鐘が鳴り、全ての生徒が校舎へ向かったのをみとめて、衛兵は互いに頷きを合わしゲート脇の管理棟へハンドサインで閉門の合図を送ろうとした。
その、矢先──。
もはや通行する者は居ないと思われたゲート前の並木道の彼方より、逆光を背負った人影がひとつ、こちらに向かって歩いてくる。
突風が吹き、木立がざわめく。枝木で朝の光を浴びていた鳥達が一斉に飛び立った。
シルエットから察するに女性である……多分。きっと。
こんな憶測めいた認識になってしまうのは、その人影があまりにいかつく逞しいのと、そのくせどうやら学園のブレザーを着用しているらしかいからだ。
だがその巨躯に見合うサイズが無かったのか、ジャケットはぱつんぱつんに張り詰めていて、かろうじて中に着込んだ開襟シャツはボタンで留まるのを完全に諦め、下部の裾を腹の辺りで蝶結びにしている。更にその下には極小の布地──いわゆるマイクロビキニで覆い、岩のような胸部をほぼ剥き出しに誇示している。右手に下げた学生鞄がチャチな封筒か何かにしか見えない。
タータンチェックのスカートもこれまた短く、ゴテゴテしたベルトで繋ぎ止めている様は鬼の腰巻さながらである。ぶっといおみ足には濃紺のニーハイ、焦茶のローファー。
地球で言うところの『アメスク』と呼ばれる、この実にセクシー&バイオレンスなコーディネートは、並の令嬢が行ったらならまず間違いなく『破廉恥』『けしからん』との叱責を受けるに違いない。が、今のしのしと凄まじい風格と漢気を放って歩いてくる彼女を相手に同じセリフを放つことは皇王陛下とて容易ではあるまい。何しろ本当に、怖い。
それでも衛兵には責務がある。この神聖なる学舎に、決して脅威は近づけてはいけない。
衛兵二人は顔を見合わせ頷き合うと、一人は小銃のボルトを引き、一人は無線機のスイッチを入れた。
「コントロール、こちら学園正門前。前方より不審な令嬢の接近を確認。尋問の許可求む」
『こちらコントロール。正門前、こちらでも監視カメラで確認した。尋問を許可する。抵抗するなら射殺して構わん』
「正門前、了解。あと1分で交接する」
いや増していく緊迫感。逆光が晴れ、いよいよ謎の令嬢が間近に迫る。
近くで見ると本当にデカい。その身に纏った剣呑な貫禄に口の中がカラカラに渇く。
本能が決して『触れるな』と喚き立てる──どれほど勇気と職務意識を振り絞っても、身体が凍りついたように動かない。
何か──何か言って止めなければ。
その想いも虚しく直立し、ダラダラと冷や汗を流し続ける衛兵の眼前に、ついにその令嬢が立ちはだかって言った。
「ごきげんよう」
激シブのイケボで挨拶され、衛兵二人はハッとした。頭ひとつ分高い場所から、猛獣じみた微笑が見下ろす。
「お二人とも顔色が優れなくてよ。朝食はしっかりお召し上がりになって?」
ゴロゴロと雷轟じみた喉奥での笑いに、自分達が今無礼られている事を二人は悟る。
なけなしの怒りが腹の底を突き上げ、衛兵は小銃を構えて言った。
「……見ない顔だな。学生証は持っているのか?」
「これは失礼を。わたくし本日より転入予定の、しがない一般令嬢ですわ」
漢らしい女生徒は鞄からするりと学生証を取り出し、向かって左手に立つ衛兵に放ってよこした。
満面の笑顔を浮かべた令嬢の顔写真の下に、その名がありありと刻まれている。
──キャサリン・レインバック。
衛兵はやや口調を改め、気に呑まれながらも丁寧に返した。
「レインバック。存じ上げないお名前ですが……」
「母方の姓ですの。何しろわたくし、火遊びで出来た不義の娘ですので」
やや恥じらう様子の令嬢……キャサリンの様子に、二人の衛兵は得心した。
学園の子弟には、大別して2種類の令息・令嬢が存在する。一つは貴族の正式な嫡出子、もう一つは庶民との間に出来たいわゆる庶子である。
後者は前者と区別するため、俗に一般令嬢とも呼ばれている。今話題の『聖女』こと、エミー・グラムもその一人だ。
だが、そう言う素性なら尚のことやすやすとは通せない。過去数回、令息・令嬢を騙った庶民による学園凸が試みられており、その度に学園内ですわ『革命か』とパニックが起こったからだ。
今日では一般令嬢の通学には貴族からの推薦状が必須であり、それが提示されない以上は庶民と同じ射殺対象でしかない。
「編入には紹介状が必須です。そちらは持参されていますか?」
「ジャケットの内ポケットに入っていますわ。取り出しお見せても?」
「いえ、我々で確認いたします。そのまま動かないで」
キャサリンは鷹揚に頷いて応じ、両腕をホールドアップして検査に応じる。
衛兵二人は淑女の身体に恐る恐る触れて周り(とっても逞しかった)、目当ての便箋を発見すると、二人で肩を寄せ合ってその中身を暴いてギョッとした。
「学園長のご紹介!? バカな、あの方は一般令嬢排斥派のはず!?」
「……と言うことは偽物!? おい貴様、庶民の偽証は重罪だぞ!!」
「信じるも信じないものあなた方の自由。ですがこ無体を働こうというのでしたら……」
「でしたらどうなんだ、あ!?」
「沈黙らせるのみですわ」
問答無用でキャサリンが動いた。破城槌さながらの右の前蹴り。左手に立つ衛兵の土手っ腹がくの字に折れながら真っ直ぐに吹き飛び、校門のゲートに叩きつけられる。
残った衛兵がすかさず小銃を構えるものの、銃口が狙いを定めるより早くキャサリンの左掌がマズルを下から跳ね上げる。銃撃は虚しく空に放たれ、隙を晒してのけぞった股間にローファーの爪先が突き刺さった。
「おぅングッ!?」
キャサリンは呻いてくずおれる衛兵から、スリングごとライフルを奪い取り、すかさずマガジンを取り外してボルトを引く。薬室の弾を廃莢するや銃身を半回転、銃床をまず顔面に叩き込み、続いて顎へとアッパースイング。
鈍い音を立てて衛兵の顎が割れ、大の字になって失神。
僅か3秒足らずの凄まじい早業は実に流麗にして華麗──武というより舞。
「なんだァ……テメェ……」
吹き飛ばされた衛兵が苦悶しながら吐き捨てる。
その眼前にのしのしと歩み寄り、キャサリンは衛兵の手から紹介状を奪い返した。
「あぁ、ごめんあそばせって奴だなこれは。だが余りしつこいのも考えものだ。もうすぐ授業が始まっちまうし、出来ればそれまでに手続きを済ませたいんだ。初日から遅刻は全くエレガントじゃない、そうだろ? そもそもこのわたくしが、そんじょそこらの気品のないド庶民に見えるってのか? ん?」
バリトンで捲し立てられ、すっかり気を呑まれた衛兵は無言で首を振るしかない。キャサリンはそんな彼の腕を強引に手に取り起き上がらせる。
「さぁ立て、立つんだ、ほら早く。お遊戯は終わり、仕事の時間だ。お友達を起こしてさっさと校舎に案内してくれ。その後に慰謝料を払おう。向こうしばらく飲んだくれていい女を連れ回せるぐらいにはな」
「その辺にしておきたまえ」
穏やかに割って入るのは、いつの間にか門脇に現れていた禿頭の壮年だった。片眼鏡をかけていて、古式ゆかしい宮廷式のローブを纏っている。誰あろうその男こそ、くだんの学園長その人である。
学園長はひどい有り様の校門と衛兵とキャサリンとを等分に眺め、片眼鏡を弄りながら呆れて言った。
「レインバック君。わしが迎えに行くまで大人しくしているはずではなかったかね?」
「失礼。お二方があまりに問答無用でしたので、つい故郷のお作法が」
「……庶民相手の乱痴気だ。校外での出来事のゆえ不問にするが、中では相応に振る舞うように。さっきのようなイかれたお国言葉も、学園内では差し控えたまえよ」
「仰せのままに、学園長」
鋼鉄で出来た薔薇のようにキャサリンが恬然と応じる。彼女は鞄からハンカチを取り出すと、その中にゴツい指輪を包み、すっかりと萎縮した衛兵に握らせて慰める様に肩を叩いた。
衛兵は相棒を助け起こすのも忘れ、そのまま立ち去っていく二人を呆然と眺める。
遠ざかって行く令嬢の、覇気まみれに背中に、彼は半年前までこの学園を総べていた女傑の姿を思い浮かべていた。