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迷宮~新聞記者 津雲京介  作者: 村越 京三


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224/240

彷徨う出来事 No.115~一杯のコーヒー

今回のお話は激動の戦前から戦後を

生き抜いてきた、ある一人の女性の

物語です。その女性は日課のように

自宅から歩いて喫茶店に向かっていき到着するとドアを開けて入っていき、

マスターに【いつものお願いします】と注文を告げてからカウンター席の前に荷物を置いてから腰を下ろして座っていき、しばらくしてマスターから

【お待ちどおさまです】との声が

聞こえ、それが出てくるとゆっくりと飲みながら仲間とたわいのない話をして1日を過ごしていました。

その場所はお店の外からはまるで瞬間(とき)が止まっているかの様相の表情が垣間見えていました。そんな日々が続いていたある日の事です。

女性は感慨深い表情で店に入っていくとマスターに【コーヒーをいただけますか?】と注文したのです。

コーヒーは苦手だと話していたのに

何があったのだろうとみな騒然として、おもむろに聞こうとしたが

コーヒーの飲んでから話すわと

一言だけ応えて静かにその時を待っていたのでした。そしてマスターから【お待ちどおさまです】といつも通りに静かにコトリと音をたてながら置いていくと女性は静かにゆっくりと飲んでいくと一滴の涙がこぼれ落ちてきたのです。更に騒然とする店内ですが、その時女性がゆっくりと話してくれたのです。それはコーヒーは戦争に出征したまま行方が分からなくなっている夫との最後の夜に2人で飲んだ思い出である事、戦後に死亡宣告書が出ていないのにも関わらずに国が1959年

(昭和34年)に【未帰還者に関する

特別措置法】に基づき、特定の条件下で生死不明者を法律上死亡したものとみなす制度が設けるので提出するようにと言われましたが、それは出来ませんでした。まだどこかで生きているかも知れないシベリアで何年間も

勾留されても生きて帰還する人も

いらしたから余計に夫を待とうと

日々を過ごしてきました

私と夫は当時としてはかなり珍しい

恋愛結婚で周囲からも猛反対されましたけど、それをも気にせずに

結婚に踏み切って生活を共にして

きましたから

女手1つで2人の子供を育てるのは

並大抵の厳しさで大変でしたし、

再婚の話もありましたけど、

やはり夫が好きなのでしょうね

それも出来ませんでした。

しばらくして子供達も大人になり孫やひ孫の成長を見守る事が出来ました。

そんな時に体調を崩して病院で検査

してもらって先日結果が判明しましてもはや手の施しがない状態で

人生の終わりがすぐそこまで

迫ってきているそうです

そのため先程役所に向かい夫の死亡

宣告書を出してきた帰りなのです。

そう話を終えた女性の晴れ晴れと

スッキリした表情をしてから

コーヒーをゆっくりゆっくりと

人生の苦みと甘みを味わうように

飲んでいました。

その話を静かに聞いていた人々は

何言っているんですか、

まだまだ生きて

ご主人が見られなかった世の中を

伝えるために頑張らないと

みんな励ましながら

涙をこらえながら声をかけていました

それから数週間後女性は

夫の待つ世界へと旅に出ていきました

今頃あらゆる話をしながら

見守りながら楽しんでいる事でしょう




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