彷徨う出来事No.97~戦争と憲兵と婦人部達
昨今、テレビドラマや映画で戦前から戦中を経て戦後の物語が放送上映されている、その中で必ず悪役という訳ではないだろうが憎まれ役がいる、
それは憲兵と大国営婦人部の人達で
ある、戦後において断片的には
伝えられているが詳細な事は分かっていないため筆者はあらゆる方面から
取材をしていく事にした!
まずは憲兵と言えば戦時中に治安維持という名目を口実に戦争に行きたく
ない人達や刃向かう人達を暴行や拷問を連日繰り返し行い恐怖心を植えつけ隊員の心技体を蝕み洗脳してきた
組織といえよう、もう一方の大国営
婦人部は憲兵の活動を称賛し結成され【お国のために・贅沢は敵・婦人は
男の子を産めよ増やせよ・お国のために死んでいく事を誇りに思え】としてきた組織である、今ではとんでもない考えであるという事は間違いない!
そして1945年(昭和20年)8月6日早朝に広島・9日午前中に長崎に原爆が投下され町が焦土化され多くの死傷者が発生した、その情報が陸海軍部の幹部にもたらされ翌日から本土決戦をすべきという考えと終戦をするべきとの激しいやり取りが本格的では行われていた!そして終戦の前日の深夜一部の陸軍将校と師団によるクーデター未遂(別名:終戦反対事件)が発生したが天皇陛下が自ら国民へお言葉を述べると伝えこの動きは鎮静化した、そして1945年(昭和20年)8月15日早朝に新聞やラジオ放送を通じて正午に天皇による重大放送が発表されるとして聞くようにと周知され、終戦の詔書(玉音放送)がラジオで放送され国民に戦争終結が伝えられた、
ただしそのお言葉が難しく
電波状況も悪かったりしたため
なかなか聞き取り難く、新聞でその
意味を知りうる方々も多かったと
聞いている、ここではその言葉を
現代に分かりやすい様に示します
【私は、深く世界の情勢と日本の
現状について考え、局面を収拾するため帝国政府に対してアメリカ・
イギリス・中国・ソ連の4国に対して、
それらの共同宣言(ポツダム宣言)を
受諾すること(別名:無条件降伏)を
通告した事をここに国民の皆さんに お伝えします
その理由は交戦状態も既に4年を経過し、国民の懸命な働きや尽力してくれたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない状態です
それどころか、敵国は新たに残虐な
爆弾(原子爆弾)を使いむやみに
罪のない人々を殺傷し、
その悲惨な被害が及ぶ範囲は計り知れないまで事態にまで至っている
それなのにも関わらず
戦争を継続すれば、我が民族の滅亡を招くだけでなく人類の文明をも
破滅させる事態になりうるだろう
そのような事になれば、
私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊に詫びることができるでしょうか
日本国民であって戦場で没し、
職責の為に亡くなり、戦災で命を
失った人々とその遺族に思いを
寄せれば我が身が引き裂かれる
心境なのです
更に、戦傷を負い、戦禍を被り職業や財産を失った人々の生活の再建に
ついては、私は深く心を痛めている。
考えて見れば、今後日本の受けるで
あろう苦難は言うまでもなく並大抵のものではありません
国民の皆さんの気持ちも理解している
しかし、私は時の巡り合わせに従い、
堪え難くまた忍び難い思いを堪え、
永遠に続く未来の為に平和な世を
切り開こうと思う
私は、こうしてこの国の形を維持する事ができ、国民の真心を信頼して
皆さんと共に過ごす事ができます
感情の高ぶりから節度なく争い事を
繰り返したり、或いは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、
その為に人としての道を踏み外し、
世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒める所である
これからは国を挙げて一致団結して
子孫に受け継ぎ、日本が永遠に続いて行く事を固く信じて、決してその道
のりは果てしなく遠いと自覚し、
総力を将来のために傾け、
踏むべき人の道を外れず、
揺るぎない志をしっかりと持って、
必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない
国民の皆さんにおかれましては、
これら私の思いや考えをよく理解して行動して欲しい】
そして、戦後憲兵は国民への暴力や
虐待や拷問を繰り広げたとして
拘束され裁判にかけられ
【死罪や懲役刑】がの判決がほとんどではあるが、まれに無罪の判決が下された、まだ活動期間が日が浅い事が
理由とされている
その罪に問われた憲兵の数は判明している限りでは数十人から数万人と
言われているが正確な人数は判明しておらずこれからもそれは永遠に
分からないだろう
そして憲兵の家族は家から一歩外へ
出かければこれまでの報復と
いわんばかりの蔑む視線や村八分に
遭われた方々が多く辛い生活に
耐えきれず、家族を守る為に離縁した人達もそれなりにいたと
記録として残されている
一方婦人部の人達は戦後即座に活動を終了し解散したが同じ様な目に遭い
住まいや仕事を転々とした方々と
生命を終わらせる者と生き恥を
さらしても後世に伝えるとして
生き抜いた者と分けられている
戦後から数十年経過しようとしているが今日もあらゆる所で戦争が繰り広げられている、その大いなるツケは後世が被らなければならない悲惨な出来事であると同時に終わりなき壊れゆく街を見続けなければならない
それはその時代を生きている私達へ
課せられた使命とも言えるのです
そして、それをまかり通した私達の業界の汚点であり反省と後悔の始まりが
そこにあるのです