彷徨う出来事No.91~メディアとブンヤの本音
今年4月、日読テレビで“恋は闇”
テレビ赤坂では“キャスター”という
タイトルのドラマが放送された!
メディアに携わる人間模様と
そこで起こる様々な出来事について
メディアとブンヤの視点で
描かれていた(恋愛の部分については
割愛させていただきます)
そのドラマの台詞の中で気になる
言葉があった【メディアは物事を忘れさせないために大衆を煽動し続けなければならない】率直に言えば一理あるだろう、ただしそれは己の私利私欲でネット用語でいう“私刑”と言う名のエゴとも言えよう!そこの土俵にわざわざ上がるとは何とも情けない限りであり
業界内の本音を示したのだと
感じざるはいられない!
スクープのためにはメディアスクラム(過剰報道)なんて当たり前と言わん
ばかりで無法地帯そのものである
その結果として人の人生を狂わせて
命を脅かす事もいとも簡単に出来て
しまいます!過去を振り返ってみれば
1995年(平成7年)3月20日に発生した
地下鉄サリン事件で被害に遭われた方を犯人と決めつけ、自宅の前に待ち伏せ
して吊しあげて真相が判明した後も
上辺だけの謝罪のみで直接の謝罪や
検証をした媒体はごく僅かであった
皮肉を込めて述べれば
【人の命を奪いたければこの世界に
携われ、表現・報道・取材・言論の
自由を盾にすればどうとでもなる】という完全犯罪を可能とする事のできる
枯葉の重さもない命を持った
忘八達の巣窟と言えるだろう
今では、週刊誌のスクープという名目の写真や記事が掲載されているが、内容は【盗撮した写真で相手に脅しを
かけて強引に許可を取り付け、
金銭を煽りせびっているのだ】
いわば自らの犯罪を正当化して
いるのに他ならないだろう
そして、それを乗じて報じている
媒体もそれをネットや配信で見ている人間も共犯者と言えよう
やましい点がなく、この記事の掲載には1点の曇りもなければ取材した
記者やカメラマンの顔写真を掲載する事がプライバシー保護の観点を
考えずとも出来るはずである
それが出来ないのであれば、
それはデマを拡散させた犯罪者と指摘され揶揄されても仕方がないのだ
私達の世界は日々あらゆる出来事に
翻弄されて完全なる記事を書く事は
出来ず批判され非難され場合によれば
SNSでブンヤの顔が晒される事も
あります!それを覚悟して時には
自身や家族の命の危険が迫る事も
肝に命じなけばなりません!
逆にスクープのために
情報提供を求める事もあります
(SNSの場合はデマや私見であったり
金銭を求められたり取材が来た事を
投稿される事もありますが)
それを充てにして番組で話しているのはテレビ番組くらいでしょう、
よくSNSではこんな意見もと
取り上げられる時には
身元が分からない事を流さなければ
間が持たないのだなと感じて下さい、その時には参考にはするけれども
信用はしないで下さい
昨今では65歳以上の高齢者の3割が
日常ネット配信を見ているという
結果が公表された
ブンヤに携わる人間が述べては
いけないかも知れませんが、
それが今の私達の現状と言えるのです