第37話「りゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃ」「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ」
いらっしゃいませ。
朝十時にゲームがスタートして二十分。空の色は変わらず蒼穹色。まばらにある雲は綿あめのように小さく固まっている。
「ボ~と空を眺める私がいる。詩人の如く美しい」
「なに言ってんの涙月」
ホスピタルエリアに来て五分弱。かすり傷を水で洗って軽く消毒。予想よりもしみた傷に涙月はお酒を飲んだおっさんの如く「くぅ~」とうなる。
で今。ホスピタルエリアの客である他のユーザーを見ながらゲームが再開されるのを待っているところだ。
「…………」
「出しても良いんだぜ、よー君」
「誤解を生む発言を――げっぷ」
オレはもう自分の役目になっているツッコミを堂々と行う為に声を張り上げたのだが、直後に喉からこみ上げてきたゲップを堪えきれず一つついた。
「コークの一気飲みは喉に痛いっしょ?」
「それが心地良いんだよ。わからない?」
「わからぬ……儂はこちらよ」
と言って涙月が出してきたのは――『地獄の血沼。ストーリー2』。
「それ沸騰したトマトジュースだよね?」
「のん!」
首をブンブン振る涙月。髪が頬に当たって微妙に痛いんですけど。
「これをトマトジュースと呼ぶ奴は一般常識にとらわれた一般人だ!」
「一般人ですから」
「これを地獄の血沼と呼ぶ奴は愛しいバカやろうよ!」
『地獄の血沼~』
「そうだぜ小人ちゃ――うぉっとぉ!」
ひょっこりとオレの服から顔を出した小人を慌てて押し返すオレと涙月の二人。
他の場所に現れた別の小人は運営によって回収されているらしく、この子も放っておいたら回収されるだろう。勿論本来はそうするべきなのだろうが、何となく一度隠してしまった勢いでそのまま隠し続けていた。
「ここを離れ――」
『会場のクリア作業が続いております。参加者の皆さまはそのままでお待ちください』
――離れようと思ったのだが、アナウンスに制されてしまった。
「よー君よー君、お耳ぷりーず」
「うん?」
言われた通りに耳を寄せる。ほんのりとシャンプーの香りがした。
「この子たち集めて運営はどうすると思う?」
「……研究か、削除」
稀有な存在だから、扱い方はこの二通りだろう。
「だよね~。じゃ、行こうか」
「え? どこに?」
「他の子たちを助けに」
☆――☆
ガサ! トテテテテ! ダ! サササササ――ぼて!
背の高い草の陰から出て、別の草の陰まで背を縮めて走り、水たまりをジャンプで越え、草むらを走り、涙月がこけた。
「涙月お嬢さま!」
「OK問題ない」
彼女はがばっと砂だらけになった顔を持ち上げると、駆け寄ろうとしたオレを手で制し男勝りに再び走り出す。
『そこのカップル~、待機エリアにお戻りくださ~い』
「OKバレてない」
「いや思いっきりバレてるけど⁉」
「まじか!」
この子はどこまで本気なんだろう……。
肩をすくめるオレをよそに涙月は堂々と天に顔を向けて言った。
「アナウンサーのお姉さん! ちっこい子供をどうなさるおつもりですか⁉」
『大人の事情で言えませ~ん』
「ちぃ! 子供差別!」
『そこの彼女も戻ってくださ~い』
「「え?」」
オレたちを見て言ったのではない。小人が見つかったわけでもない。
実況アナウンサーの視線を追ってみると金髪の少女が困り顔で佇んでいた。腰まで伸ばした絹糸のような金の髪は陽の光を透け通す程に綺麗で、蒼い瞳とセットで愛らしい顔立ち。
タキシードのようでいてマジシャンでもあるかのような変わった衣装。そこそこ肌が出ているからオレはちょっと目をそらそうかとも思ったけど、相手の年齢が下に見えたから『意識したら逆に変か?』と思って見る道を選んだ。
「それを世の中ではスケベ目線と言う」
「ちょっと涙月ナレーションにボケないで」
決してスケベ目線ではない。
「ちょっくら行ってくるぜ」
「あ、待って、残ったら警戒されてるように思われるからオレも行くよ」
「あいよ」
オレは空に浮かぶアナウンサーさんに頭をちょっと下げて金髪少女に向けて駆け出した。金髪少女はと言うと自分に迫って来る涙月にびくついて、顔を左右に振って走るモーションに入った。
「ちょーと待って! 私ら味方だから!」
休憩中とは言えゲーム場で出会った参加者が味方かどうかはさておいて、涙月は元気に腕を振りながら味方アピール。それをされた金髪少女はと言うと両手を突き出して、その手の中には自分の体よりも太く大きい槌が握られていた。
「雷!」
「へ?」
金髪少女の放った言霊。それに合わせて槌の宝玉から光が迸った。
「……うわぁ~お」
涙月は自分のすぐ横を通り過ぎた雷撃に身を固め、なんとか一言だけを絞り出す。
「ちょっと待って! 今は休憩時間! バトルはストップだよ!」
オレは慌てて涙月の前に進み出て手を挙げる。それを見た金髪少女はぺこぺこと頭を下げながら「すみませんすみません」と繰り返した。
「OKOK、攻撃なし。OK?」
流石にもう迂闊に近づこうとしない涙月。彼女は足をジリジリと動かしつつ、金髪少女に近寄っていく。金髪少女は槌を背中の後ろに隠しながら涙月とは逆にジリジリと足を後ろに動かし続けている。
二人の間はなかなか縮まらず――
「うりゃー!」
「ふにゃー!」
と、しびれを切らした涙月が猫の如く飛びかかった。
「りゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃ」
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ」
涙月に頭をがっちりホールドされ、更にすりすりすりすりと顎で頭を愛撫される。未知の領域に足を踏み入れたその行動に金髪少女はされるがままに怯えきっていた。
「よー君、大変だ」
ぴたっと動きを止める涙月。なにか大問題でもあったのか、表情はテストを前にした時よりも神妙なもの。
「めっちゃ気持ち良い」
「うん相手の事も考えようね」
「何を言いますこの子の表情を見給え!」
目をまん丸く見開き、体はぐったりと力を失っているように見える。
「気持ちよすぎて昇天したのさ!」
「どこまでも真っ直ぐだね涙月」
オレは二人に近づくと金髪少女の頬を二・三回軽く叩いてみた。昇天はともかく激しい勢いに負けて半分気絶して見えたからだ。金髪少女ははっと目を見開くとホールド状態のまま頭を左右に動かし状況確認。涙月を見、オレを見、
ぐぅ~
とお腹の虫を鳴らした。
「お腹すいてるのかにゃ?」
「すみません朝抜いてきたので!」
あ、想像より可愛い声だ。
オレはちょっとアニメ寄りの声に一瞬呆気にとられたが、嫌いではない声だったから思わず親指を立てていた。いや、日本ではモテると思うよ、うん。
「そかそか。んじゃ休憩テントまで行こうか」
「涙月、オレたちは――」
「ちっちっちっ」
小人探しに行かないと、と言おうとしたのだが涙月は指を一本おっ立てて軽く左右に振る。
「目の前のヘルプに全力で応える。それを怠ったら徳が集まらず地獄行きですぜ」
「涙月もう死後を考えてるんだ」
いや徳を積むのは良い事だろうけど。
オレは服の内側に隠れている小人に向けて――
「ちょっと寄り道良い?」
『おっけぇ』
と小声で一つ確認した。
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