第204話「兄の仇と慣れ合う気は私にはない」
ごゆっくりどうぞ。
☆――☆
水色。水色の壁と水色の通路。
どこからか流れ出ている透明な水。水は両側の壁から流れ出ているけれど一切の音がない。水飛沫もない。これは本物の水ではなくここに流れ込んでくる『情報』なのだ。
そんな中でとん、とんと靴底の音がする。オレの足音だ。
何となく冷気を感じる気がするけれど実際の温度は二十度に設定されているから水が視神経を通って脳に錯覚を引き起こしているのだろう。
ネットの最奥――“メル”。
世界中の削除データを一時保管・精査される場所。【覇―はたがしら―】の機能によって体ごとネットに入り込めるようになったからこそオレはここにいる。
とん、とん。
暫く無言で進みお目当ての場所にたどり着いた。
「久しぶり――ユメ」
黒色。黒色の拘束衣に全身を包まれ、下半身を壁の中に呑みこまれ、上半身をキリストの如く壁に張り付けられた彼の前にオレは立っている。
オレのあいさつに帰ってくる言葉はない。全身の体機能と能力をブロックされているのだから当然か。そうでなければブロックを造った人たちが困ってしまう。
が、今はちゃんと許可をとってきているから話は別。
「ユメ、会話の許可を貰って来た。君の耳と口のブロックを一時解くよ」
コンソールを表示してバイオメトリクス認証。キーワードを入力すると――パンッ! と軽い音をたててユメの耳と口を覆っていた拘束衣が消えた。
「ユメ、オレだ。わかる?」
「やあ宵。わかるよ。久しぶりだね」
一年以上もこうしていると感覚が鈍っていそうなものだけどそんな様子は微塵も感じない。仮想災厄だからか単純にスペックが高いのか。
「聞きたいのは死因アプリについてかな」
「――! 何で知って?」
「ここは“メル”だよ? あらゆる情報を孕む場所。死因アプリの失敗作だって流れてくる」
流れてくる――としてもだ。その情報をこの状態でどうやって得た?
「……ユメ、まだオレに見せていない機能があるね?」
「勿論」
事もなげに言われた。仮想災厄の大半は倒したとは言えそれは『理解した』とはならない。それはわかっていたつもりだったが本当に『つもり』の領域を出ていないらしい。
オレは大きく息を吸って、吐いて動揺した心を落ち着ける。
――良し。
「死因アプリ『デス・ペナルティ』について教えてほしい」
「それには君がどこまで知っているか教えてもらう必要があるね」
「うん、わかっている。……や、それはわかっているのだけど肝心のアプリについては解析を始めたばかりで何もわかっていないのが正直なところなんだ」
頬をかく。何とも情けない話である。
「そう恥じなくても良いよ。人脈ってのは有効活用してこそ意味があるんだから。あ、人脈の利用とコネの乱用は別だからね」
それは、仕事をしていると良くわかる。だからオレはこう言葉を継いだ。
「そうだね。誰かが実力を認められて星冠にスカウトされるのは良いけど実力を伴わない人がコネで入ってくるのはむかつくかな」
「そうそうその通り。だから君の後ろをついてきている連中は所謂招かざる相手なわけだ」
後ろ。オレに万が一があった場合ユメを捕縛する為についてきている人たち。
「いやあの人たちちゃんと実力で職に就いた人たちだから」
「それと僕に会えるかはまた別の話だよ。
宵、君はOK、後ろはNG」
「……わかったよ。
――と言うわけなんで!」
顔だけ振り向かせて叫ぶ。しかし人の気配は全く動かない。【覇―はたがしら―】で検知してみると熱源も心拍も確認できる。
困った。向こうは向こうで職に忠実なだけで悪さなど何もしていないのだから退く必要などないのだ。
う~ん、どっちかに折れて貰わなければ。
「えっと、ユメ?」
「僕産まれてからの年月考えるとまだ子供なんだよね」
大人が退けと。
「……あの!」
後ろの気配はやはり動かない。子供がナマ言うなと。
間に挟まれるオレの気持ちを察して欲しいものである。
と、オレが一つ汗を流していると、カツン、と言う音がした。靴――ヒールの音だ。
「邪魔して良いかな? 宵君」
背後にあった気配から一人が分離、こちらにゆっくりと歩いてくる。
オレより背が高く、真っ白なコートで首元から足までを隠した黒髪の女性だ。確か年齢は二十歳だったと思う。
猫に似て大きく鋭い緑色の目がオレを見据える。
「どうやらユメには優しさが足りないようだね」
オレに言わないでください。
「これで長だったとは恐れ入る」
ユメ怒っているかな? と視線を向けてみると口元には以前見ていたものと同じ微笑みが。
「君は相変わらず怒りの沸点が低いね、糸未ちゃん」
「ちゃん付で呼ぶな」
だから、糸未さんはなぜオレを見ながら言うのですか。
「兄の仇と慣れ合う気は私にはない」
糸未さんのお兄さんはかつて仮想災厄と戦った時に亡くなっている。アンチウィルスプログラムの一人だった。
ユメがここに拘束されてから常駐して見張る隊『パトリオット』が組織されたのだが糸未さんはその一人であり隊長でもある。彼女からしてみればすぐにでも首を斬ってしまいたいだろう。
「全く、仮想災厄こそかの監獄に閉じ込めれば良いのに……さっさと『デス・ペナルティ』について知っている内容を話せ」
「言ったよ。君らが消えたら話すと」
目を合わせない睨み合い。もーどうしろと。
ん?
「……そうか」
ある点に思い至り、オレはぽつりと零した。
「うん?」
「ユメ、君が知っているならここを精査すれば見つかるんだね?」
「「あ」」
ユメと糸未さん両方が口を開ける。
次いで糸未さんが口元を弓なりに曲げた。
「そうだな、そうだ。宵君、君は賢いな。どこぞの阿呆など必要なかった」
……挑発しないでくださいます?
「宵、今なんて?」
「聞こえなかったフリ!」
「さ、宵君。さっさとユメの口と耳をブロックしよう」
糸未さん実に愉快そうだ。
「えっと……ごめんユメ」
「良いよ。横の女に気を付けてね」
「ふん。さあ、宵君」
と言いながらオレの腰に手を回してくる。あ、ユメの口角がひきつった。
糸未さんはオレの手に自分の手を添えるとコンソールに持っていきユメを再び封じてしまう。……オレを使わなくても糸未さんなら権限持っているはずなんだけど……。
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