第159話「理由はねぇ、うちもうじき――――――」
おいでませ。
『さあさあさあさあさあさあさあ!
準決勝まで来ましたね! 両選手控え室からまだ出てきていませんが!』
両選手の内にオレも入るわけだけど、実況の言う通りにまだ控え室にいる。
その理由なのだが……。
「えっと……そろそろ行かないとまずいんじゃないかな?」
「うふふふふふふふふふふふふふ」
意図的に作られた笑顔。怖いほどの笑顔にオレは苦笑のまま固まってしまい。
固まるしかなかったのだ。だって、首にナイフを向けられているのだから。
「あの、先っぽが皮膚にチクチク当たってるんだけど……」
「うふふふふふふふふふふふふふ」
『天嬢選手、居られますか?
試合開始時刻が迫っています。フィールドへご入場ください』
「は、はい」
スピーカーから流れた呼び出しにオレは返事をする。ここのスピーカーは相互通信ができる仕組みだ。
「あのさ、聞いた通りだよ。行かなきゃ」
「だーめ」
首を可愛く傾けて、あまーい声を出す女の子。ロシア代表、確か名前はレティー=アーアー。
「……ここでオレをリタイアさせる気?」
「ううん」
「じゃあ何?」
「宵ちゃん」
「ちゃ――」
お姉ちゃん以外で久しぶりにちゃん付された。両親は宵って呼ぶしクラスメイトはしばらく会っていないし。
「うちに貴方の精子をちょうだい」
「……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………」
何言ったのこの子?
「うちに貴方の精子をちょうだい」
「聞こえなかったわけじゃないよ⁉」
これは――なんだ――お誘いと言う奴か? 乗らない。乗ってはダメだ。
などと思うオレの額からは肌に感じられるほどの汗が噴き出している。
「なんで?」
あ、声上擦った。
「うふふふふふ。『断る』じゃなくて理由を聞くのね」
「あ」
決してあげたいからではない。ちょっとしたパニックになっているから間違えただけだ。
「理由はねぇ、うちもうじき――――――」
「も、もうじき?」
「逮捕されちゃうから」
逮捕。捕まる。警察に。なぜに?
「彼氏、殺しちゃった」
「……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………」
汗が引いた。頭の中が真っ白になって、次いで浮かんできたのはハテナの山。
精子? 逮捕? 殺しちゃった? 何? 嘘? 本当? 首にナイフ? 殺られる?
『おお~い天嬢選手~』
スピーカーからの声。チャンス。
「す――」
「ヘルプったら殺しちゃうぞ」
耳元で囁かれてカチンと口が固まった。
『天嬢選手~』
「冷静に『今行きます』と」
「い、今行きます」
声が震えた。全然冷静に言えなかった。殺される?
「うちも今行きまーす」
『え? アーアー選手ですか?』
「そうでーす。知り合いなのでお邪魔してましたー」
しれっと嘘をつく。
『そうですか。ではお二人共お急ぎくださいね』
「はーい」
「はい……」
良かった、殺されはしなさそうだ。
ホッと胸をなでおろしたその時。
「バトル終わったらまた来るから逃げないでね?」
と再び囁かれたのだった。
気が重い。滅入っている。仮想災厄と戦った時よりもどんよりするとかどんだけ~。
レティー=アーアー。
彼女が本当に人を殺しているのならバトル前に警察が来てくれないものか。
「……あ」
正直向けたくなかった視線を対になっている向こう側の控えサークルに動かしてしまった。レティーがこっちに手を振っていた。それはもう美少女の微笑みを携えて。
うん。美少女――には間違いない。ただ狂気があると言うだけで。そこが問題なんだけど。
『さあバトルスタートまでもう僅か! フィールドを選定します!』
ルーレットが出現し、針がくるくると回り始めて――止まる。
『フィールド決定! 魔界!』
……よりにもよって気分が晴れないフィールドになってしまった。
『ナノマシン収斂開始!』
超微小の機械が重なり繋がって、まず岩だらけの大地ができた。岩のどれもこれもが尖っていて落ちたら串刺しになりそうだ。
次いで火山ができて、噴火を始める。流れ出るマグマが僅かに生えている草葉を燃やして火を上げる。
反対側には氷山ができて、流れる冷気が大地を凍らせていく。
その二つの大山の間には幾つも良くわからない巨木が乱立する。グラスのように上が平らになっている木だ。
昔の地球――或いはフィクションの異星、そんな光景。
『では両選手、フィールドへ足を』
控えサークルから出て尖った岩の広がる大地に足を下ろす。岩と岩の間にある僅かなスペース。そこもごつごつした石が転がっていてバランスが取りづらい。
レティーに目を向けると彼女も同じく岩と岩の間に足を下ろしていたが目線は上、巨木に向けられている。そこに飛び移るのだろう。確かに戦えるとしたら上以外にない。宙を飛べば勿論簡単に自分のエリアを確保できるがバトルフィールドを無視した戦い方はブーイングの的になるのでそれをやってしまうウォーリアは少ない。
『バトルスタートまで――11秒!
10
9
8
3
2
1
0! バトルスタート!』
「ん?」
スタートと同時に地震が起きた。否、違う理由でフィールドが揺れた。
巨大なナイフ――
が、大地に突き刺さったのだ。過度に装飾されているが刀身はサビでいっぱいでとてもではないが切れ味を維持できているとは思えない。
「宵ちゃーん」
「ん?」
聞いた声が宙に浮く大型モニター越しに入ってきた。
オレをちゃん付する人物は限られているし、何よりつい先程聞いた声だ。レティーで間違いない。
「その子がうちのパペット『凶刃』よ」
「……嫌な名前付けるね」
貴女はどんだけ殺意に満ちているんですか。
「でもって~」
「無視か」
話しかけてきたのそっちなのに。
「この子たちがー『刃子』でーす」
「――!」
眩しく輝いていた太陽の光が遮られた。フィールドの上空が何かに覆われたからだ。
「うっそ……」
何かとは。剣山――の如く出揃っているナイフの山。
舌に冷たいものが触れる感触がした。実際にナイフを舐めたわけでもないのに想像の感触があったのだ。
「『刃子』――うちのアイテムよ」
反則。この量は流石に反則だろう。
「せーの、っせ」
レティーのそんな軽い声でナイフの山が降り注ぐ。
「黒鱗!」
黒鱗は巨大な盾。その影に隠れてナイフをやり過ごす。だが。
「――⁉」
一つ二つとナイフを弾いて、一つ二つと黒鱗に突き刺さる。
刺さる? ただのナイフが今まであらゆる攻撃を防いで更に強化され続けているこの盾に⁉
「刃子ね、実は十層になってたりして」
十層? ナイフの上に更にナイフがあったのか!
つまりは黒鱗に突き刺さったナイフを上から押し込んで刺突の突破力を上澄みしていたと。
どこかで聞いた音がした。みしり……と。そう、あれは――クルミだ。クルミの殻を割る時の音に似ていた。
黒鱗の悲鳴だ。この強固な盾が突破されかけている。
ならば攻撃だ。黒鱗でナイフを薙いで咆哮で残りのナイフを消し飛ばす。
「――ぁ!」
重さのない盾を振って多くのナイフを吹き飛ばし、その隙に右腕を伸ばし、
「ほ――」
「ざーんねん」
「な⁉」
雨あられと振り続けていたナイフ、地上に突き刺さったナイフの全てがオレの方を向いた。
遠隔操作? それともまさか――
「そう、その子たちには簡単な殺人衝動があるのよね」
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