第143話「良いじゃないか。ペット人生それもありかもな」
おいでませ。
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ド―――――――――――――――――――――――――――――――――――!
突如飛来した巨大な獣の爪がめり込み、綺麗に舗装されていた道路にヒビが入った。
オルトロス――ケルベロスの兄弟犬で、二つの頭と七つの蛇の尻尾を持つギリシャ神話の伝説獣。その背にある王座に座っていた男が身軽に降り、ララに――ワタシに膝を折った。
「お下がりください、姫さま方」
顔を上げずに発せられた声はまだ若いもので、しかし体格はワタシよりも頭一つ抜きん出ている。
ワタシは一度大きく息を吐いて、
「リューズ、顔を上げなさい」
こう男に言った。しかし男は顔を上げない。
「リューズ」
「お許し下さい姫さま。姫さまのお顔を拝顔すれば私、トキメキます」
「う」
ワタシは一瞬顔を朱くしたが、直後に思い直して一歩引いた。
この人、リューズはいつもこんな調子だ。リューズの一家は中世の時代からワタシの一家に仕えてきた血筋で――……常に主に恋をしてきた。中には結ばれた者もいるがほとんどは使用人としての立場を維持し続けている。
「はぁ……それじゃ、後ろを向いて立ちなさい」
「は」
リューズは言葉一つで応えると目を閉じたまま立ち上がり、背後に振り返ってようやく目を開けた。
視界の中に一人の男が入っている。プラエスティギアトレス。人類救世プログラム。
「リューズ、君が【紬―つむぎ―】所有者だな?」
「そうだ」
「姫を餌にすれば釣れると思ったが思い通りになった」
酷薄な笑みを浮かべるプラエスティギアトレス。
「己が悪だと自覚している笑みだな」
「自分の性格が歪んでいるのは知っているさ。ただ、仮想災厄と言うだけで他の連中まで悪と思っているならそれは享受できないな」
「心配するな。人の中に一人悪がいても他が同じとは思わない。仮想災厄も然り。
だが、仮想災厄が人を殺すと言うのなら全て悪と断じるのも厭わない」
「殺す……ふむ」
プラエスティギアトレスは右手の折り曲げた人差し指を顎に当てる。リューズを見て、ワタシを見て、ゾーイを見る。
「確かに、人の常識ではそうなるかもな」
「自分たちの常識では違うと?」
ワタシは思う。リューズは普段こんなに言葉を発すタイプではない。となるとこれは、自分たちに少しでも多くの情報を渡す為の会話だ。
「違うなぁ。昇華――と言った感じだ。
仮想災厄の与えるプログラムはどれも人を超える為のものだ。堕天然り、侵入然り、置換然り。人種も性別も超えて人に革新を与える、それが仮想災厄の用意する十三の道。一つでも成功すれば俺たちにとってそれが悲願達成の瞬間。その為にアマリリスがいるが」
「……姫さま、アマリリスをどうなさいますか?」
「仮想災厄には渡さない」
「了解しました。
プラエスティギアトレス、アマリリスを奪うなら私はそれを阻止しよう」
額に手を当て、情けない息を吐くプラエスティギアトレス。軽く頭を振る。
「お前、自分の意思はないのか?」
「姫さまに従うのが私の意志だ」
「ふぅん、常識的な質問をするが、死ねと言われたら?」
「死のう」
「そうかい」
くっくっく、嗤うプラエスティギアトレス。口元を邪悪に歪めたままリューズを下から睨む。
「良いじゃないか。ペット人生それもありかもな。ただ、お前がペットを選ぶなら俺はお前を人とは思わない。家畜を狩るつもりで行く」
「やってみろ」
「やってやろう! パペット星座獣“合本”『ダークフロー“スキアー”』!」
「――⁉」
十二体の星座獣は顕現しなかった。現れたのは一体。これは星座獣の重なった姿、力の塊か。
「更に! 『ウォーリアネーム【おひつじ おうし そのつぎに ならぶは ふたご かにのやど くるえる しし と おとめご に かたむく てんびん はう さそり ゆみもつ いて に やぎ さけび みずがめ のみずに うお ぞすむ】』!」
同化。
瞬間強力な流動がリューズの体に掛かり、プラエスティギアトレスに向かって移動させられた。
首を掴まれるリューズ。その顔面をプラエスティギアトレスが殴打する。
「ぐっ!」
一撃が重い。たった一撃で口の中を切ってリューズが血を吐いた。
「そらそらそらそら!」
普通なら飛ばされていてもおかしくないはずの連撃を受けてもリューズの体は離れていかない。
『がぁ!』
オルトロスが駆けつけてプラエスティギアトレスに襲いかかる。だが流動によって上に飛ばされ、素早く落とされた。
「おっと!」
突如飛来してきた黄金の槍をオルトロスの体を操って盾にする。しかしオルトロスに刺さる直前に槍は軌道を修正しプラエスティギアトレスに狙いをつける。それをかわすも槍はまた軌道を修正してプラエスティギアトレスを襲う。
「『スキアー』ジョーカー発動」
黄金の槍の姿が消えた。
「――⁉」
その槍は射った本人であるワタシの体に現れて。
「レア!」
「姫さま!」
体の前に、ではない。体を貫いた状態で現れたのだ。ちょうどヘソのあたりを貫かれてワタシは血を吹きながら倒れかけ、ゾーイに支えられる。
ちょ……かなりまずいかも……。
「すぐに治す」
黄金の炎を発する槍が消えて、ゾーイはパペットを顕現する。
パペット『吟子』。医師のパペットだ。
「ジョーカー、一、ナート」
吟子がゾーイに応えて治療を開始し、ゾーイはリューズに向けて首を一つ縦に振った。
しかし、リューズの頭が硬い地面に叩きつけられる。
「安心したか? 俺に捕まっている状態で」
「はっ……」
「息も絶え絶えだな。それで姫君を守れるか?」
「護るとも!」
眼光鋭く放つリューズ。それでもプラエスティギアトレスの邪悪な嗤いは消えず。
「『スキアー』」
ジョーカー発動。リューズの右腕の神経が転送されてプラエスティギアトレスの口内に現れた。
「があああああああああああああああああああああああ!」
「どうだ? 神経を引きちぎられる痛みは?」
リューズの神経を咀嚼し、ごくんと飲み込む。
「成程。まずいな」
喉を突こうとリューズが手を伸ばすが、スキアーの力で横に流される。
「『パペット』――実に良いプログラムだ。父はプログラムのテストとして大会に参加までしているが、アマリリスに標識をつけた者がこの程度ならばテストの必要も感じないな。
では、【紬―つむぎ―】を貰うぞ」
瞬間、地面が盛り上がった。
オルトロス『ディクロニア』ジョーカー。
「土の操作か」
スキアーの力で土を押し込む。はずだったが、抑えきれずに土が爆発する。
「力任せで来るか!」
「『ウォーリアネーム! 【大地に育む荒物の】!』」
ディクロニアと同化したその姿は――
「半人半獣とは!」
最低限の人の形をとった翼持つ獣の姿。放つ気配も人から獣に変わった。
「だが右腕が使えない状態で満足に獣の力を操れるか⁉」
「オアアアアアアアアアアアアア!」
「――⁉」
獣人の左腕がぶれた。そう思った瞬間プラエスティギアトレスの顔面に拳が叩き込まれていた。
「――ぶはぁ!」
スキアーの力すら振り切られて後方に飛ばされるプラエスティギアトレス。追撃する獣人。プラエスティギアトレスの飛ばされる体に馬乗りになって地面に縫い付ける。文字通り土を操って体を埋め込んだのだ。そして顔面に殴打の連撃を叩き込む。ストレート、アッパー、ジャブ。あらゆる殴打を受けてプラエスティギアトレスの顔が左右に上下にと揺さぶられる。
ピタッと獣の腕が止まった。顔の正面でだ。
「アイテム――発動」
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
獣の腕から雷撃の掌底が放たれた。雷のグローブ。それこそがリューズのアイテム。しかし――
「――⁉」
にやりと、プラエスティギアトレスの口角が邪悪に歪んだ。それを認めたリューズは嫌な気配をかき消す為に雷の掌底を放ち続ける。
効いているはずだ。雷は筋肉を走り、血管を走り、神経を走り、脳にまで達するはずだ。
なのになぜ――嗤う?
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