第108話「人のせいに――すんな!」
おいでませ。
よっ、と言いながらテンタトレスはベッドから降りて硬直している蓼丸姉妹に近寄っていく。
テンタトレス・マリゲニー――髪の色が半分ピンクで半分ブルー。背は百六十と言ったところで幼い顔立ち、手足は細く白い。
その指が電子体になっていた蓼丸姉妹の腕を這う。
「やっぱり当面の敵は【紬―つむぎ―】所有者かぁ!」
その目がゆっくりカードスロットに挿入されている【紬―つむぎ―】に向く。オレは咄嗟に【紬―つむぎ―】に手を伸ばし、
「あっ!」
手の甲が細い針に射抜かれた。仮想ではない本物の血が針についている。けれど針はただの針ではない。内部から光るそれはパペットと同じ性質を持ちながら実体を持っていた。
「ボクらはどっちにも干渉できるから!」
「知っている」
「お⁉」
燦さんのスピアがテンタトレスの胸を穿つ。
倒した?
いや――
「実体側に存在確率を上げれば電子のスピアは効かない! 悪い一撃じゃなかったけどね!」
「ならば!」
「――!」
集ったシスターが実体の銃と仮想の武器で同時にテンタトレスに攻撃を加える。しかしその先端が届くより一歩早くテンタトレスは宙を舞って、
「惜しい!」
『領域』を広げた。
「何だ⁉」
光でも闇でもない不思議な色の球体が施設全体を包みこんでいる。テンタトレスが広げたものだ。
【紬―つむぎ―】を!
オレは【紬―つむぎ―】をスロットから抜き取って一枚を涙月に投げる。
「皆変わろう!」
テンタトレスの表情に広がる喜色。そして『領域』に漂い始める光の粉。粉がこちら側の物や人に付着し始める。
「いけない!」
「かしら!」
『領域』内の全てが電子体に置換されて――
「――あれ?」
机に足を下ろしたテンタトレスが目を瞠る。全て置換したはずだった。なのに。
「その手、なんで無事?」
【紬―つむぎ―】を握るオレの右手と【紬―つむぎ―】を挟み受け取った涙月の両手だけが置換されずに残っていて。
「【紬―つむぎ―】! 【紬―つむぎ―】か! ホントに邪魔だねそれ!」
「例え電子体になろうとも!」
「うん⁉」
「お前に干渉できるならこちらが優位!」
雪崩のように攻撃を仕掛けるシスターたち。けれどテンタトレスは常識外れの速度で体を動かし全てを捌ききる。
「普通の人間と同じスペックとは思わない事だね!」
「「「それなら!」」」
電撃の力を数人のシスターが放つ。
「ムダだって! だって今の君らはボクの影響下にあるんだから!」
電撃が、吸収された。
オレは【紬―つむぎ―】を耳に着ける。
「おっと!」
吸収した電撃をオレに向けて放つテンタトレス。オレは黒い鱗を顕現してそれを防御する。
『一刺し必中!』
「――!」
クラウンジュエルの体ごと打ち出されたランスがテンタトレスの喉に命中。
「うわ……」
仕掛けた涙月が思わず目を塞ぎ、テンタトレスの首が転がった。
「う~ん、こっちの吸収を上回る一撃だったよ!」
にっこりと、転がる顔が笑った。その異様の不気味さときたら。
「君を優先して招待してあげるよ涙月!」
「え?」
『領域』の色が濃くなった。光でも闇でもない不思議な色が視界を塞ぎ、晴れた時に目に映ったものは――
「宇宙?」
常識では考えられない距離に惑星が集っている宇宙。当然本物の宇宙空間に飛ばされたわけではないだろう。
「うん! ボクら仮想災厄は宇宙に関する力を持ってる! アエリアエがそうだったでしょ!
それにしても――」
体を取り戻したテンタトレス。目を細めて視線を一周させ一人一人を睨め上げる。
「ここに来れたのは、君らだけだったか」
オレと、涙月、コリス、燦さん。この四人だけだ。
「でも四人来れただけでも見事かな! ただ二人は【紬―つむぎ―】すら持ってないわけだけど!」
言われてみればそうだ。【紬―つむぎ―】なしで仮想災厄にダメージを負わせ倒せるのだろうか?
「宵、涙月、わたしとコリスのパペットを取り込め」
「は?」
燦さんの言葉にオレたちは目を大きくして驚いた。
「パペットのレベルをはね上げて一息に倒せ。どうせ【紬―つむぎ―】を持たないわたしたちは役に立たない。良いなコリス?」
「お預けしまっす!」
手を挙げて元気に同意するコリス。
「成程成程。でもそう言う打ち合わせは事前にするべきだった――ん? あ、邪魔者だ」
「え?」
惑星が――土星が輝いてテンタトレスの額に星の紋章が輝いた。
「皆動かないでよ!」
テンタトレスが叫び、土の群れがオレたちの頭上を覆った。瞬間何かが『領域』に侵入してきて、爆発。
「な、なに⁉」
「電子爆弾だよ! 領域ごとボクを消し飛ばすつもりだったみたいだね! だけど! ムダ!」
土が爆発を押し返し、炸裂の威力を包み込む。
「返すよ!」
炸裂エネルギーを内包した土塊がどこかに飛んでいく。
「何した⁉」
「逆流させたんだよ! 撃ったところに戻るように!」
「それじゃ――!」
「街一つくらいの電子機器はダメになるだろうね! でもボクらに対抗するってのはそう言う事さ!」
冗談ではない。以前アマリリスのパペットが出現した際どれだけ混乱したか。
「アエル!」
「甘いって!」
「――⁉」
火星が輝き、アエルが真っ赤な業火に包まれた。
しかし。
「『泉王』!」
時間が逆戻りして火が消える。
「時間を操るって厄介だね! けどでもしかし!」
『領域』が肥大化した。周囲が闇だから実感はあまりないけれど街一つ飲み込んでいる可能性がある。
「街の全てを電子化した! 勿論人間だって! これ全部君らの責任だから! 【紬―つむぎ―】を壊したいだけだから!」
「人のせいに――すんな!」
オレは手を開き、アエルの牙の威力だけを顕現して、
「コリス!」
「あい!」
ツィオーネの力を上乗せして、
「お⁉」
テンタトレスの顔面を殴りつけた。吹き飛ぶテンタトレスの全身に噛み付かれた痕が浮かぶ。
「殴るとか乱暴な!」
『領域』がたわみ、テンタトレスの着地の衝撃をやわらげる。
「もうひと噛み!」
「この群衆なら⁉」
どこから現れたのか、人型のノイズがオレとテンタトレスの間に現れた。その数――数え切れない程。
「まさか――」
「そう! 電子化した人間だよ! そして!」
ノイズのブロックが上空に現れて、無数の戦車となった。
「こいつは電子化した建造物の塊だよ! 強度は推して知るべし! てね!」
電子の人間が戦車に乗り込み、砲をこちらに向ける。
まず……。
「撃て!」
ド――――――――――――――――――――! 凄まじい音を立てて鋼鉄の砲弾が撃ち出される。
「よー君前に倒れて!」
叫ぶ涙月の方を振り返る時間も惜しんで、オレは言われた通りに体を前に倒した。
『一刺し必中!』
燦さんのパペットの力を吸収したクラウンジュエルの一撃が飛んでくる砲弾を弾き飛ばし、それでも幾つかはこちらに到達する。
「――っつ!」
「直撃は⁉」
「ありません!」
即座に次の砲弾が組み込まれる。
「涙月! もう一撃行ける⁉」
「いやー今のでクラウンの右腕逝っちまった」
見ると、クラウンジュエルのランスを持った右腕が滅茶苦茶な方向に折れ曲がっていた。
「涙月! クラウンの力もアエルに渡すんだ!」
「あ、あいよ!」
燦さんの言葉にオレはアエルを顕現して、クラウンジュエルがその首筋に触れて力を流し込む。
「アエル!」
八頭分の鱗の力がオレの左腕に宿り、
「撃て!」
盾を以て砲弾を薙ぎ払う。
「テンタトレス!」
「星獣!」
惑星全て輝き、八つの頭を持つドラゴンに。
「な――⁉」
「宵を噛み砕け!」
巨大な顎が迫って来る。
オレは右に左に上に下にと移動しながらそれをかわすが、迫る圧倒的な力に体が恐怖に震える。今更ながらにアエルと言う巨獣に攻撃される側の心境が良くわかった。
「だけど!」
ドラゴンの一つの首を落とし、更に一つ落とし、
「なら!」
ドラゴンが力の塊になってテンタトレスの右腕に集中する。
「この――猿真似!」
「牙対牙ならどうかな⁉」
オレの右手と、テンタトレスの右手が強く撃ち合う。
「「おおおおおお!」」
迸る光。それが触れる空間が壊れていく。
踏ん張れ! この牙にはアエルだけの力じゃない皆の力が込められている!
「――⁉」
テンタトレスの腕にひびが入る。
「それならば!」
電子化された人たちがテンタトレスの牙に吸収されていく。
「「無理でも――押し通す!」」
雷光の如き光の奔流。『領域』が壊れていく。
「よー君がんばれ!」
「もち――ろん!」
よくよく考えてみると地面がないのに足が踏ん張っている。オレはジリジリとその足を進めていき、
「――ァ!」
テンタトレスの右腕を砕いた。オレはもう一度牙を振り上げ顔面を撃とう――と思った。だが。
冷気が首筋を触った。
「――⁉」
言いようのない恐怖。寒気。絶望感。
「母さん」
人影がテンタトレスの背後に現れて、彼の首筋に腕を絡める。
母さん? だって?
「――わかったよ」
テンタトレスが後ろに飛んで距離を取る。オレはまだ足が竦んでいて追撃できなかった。
「残念! けどこの右腕! 定番な台詞を口にするけどさ! 借りは返すからね!」
そう言い残してテンタトレスは『領域』ごと姿を消した。
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