謎スキル『血糖値』のせいで王太子妃の座を奪われて側妃になりましたが、それなりに幸せです。
新作短編になります。
どうぞよろしくお願いします!
この世界にはギフトと呼ばれるものが存在する。
ギフトはその名前の通り、世界を創りたもうた神からの『贈り物』であるとされていた。
その種類は様々だ。【剣術】や【火魔法】などの戦闘に使用することができるものもあれば、【鍛冶】や【錬金術】のように物を生み出すことができるものもある。
そんな中で、その令嬢――侯爵令嬢にして王太子の婚約者であるミゼ・アローサイトが授かったのは何に使えるのかもわからない不思議な名称のギフトである。
そのギフトの名前は【血糖値】。
誰も授かったことのない、何の役にも立たない謎ギフトであった。
○ ○ ○
「ミゼ・アローサイト! お前との婚約を破棄する!」
「……はい?」
とある夜会で突如として放たれた婚約破棄宣言。
当事者であるその令嬢――ミゼ・アローサイトは瞳をパチクリとさせて固まった。
指を突きつけ、とんでもないことを言い放ったのはミゼの婚約者――レオナルド・ローウッドだった。
この国――ローウッド王国の王太子である男は憎々しげにミゼを睨みつけ、ビシリと人差し指を突きつけている。
「えっと……突然、何の話でしょうか? レオナルド殿下?」
「フンッ! 馴れ馴れしく名前を呼ぶのはやめてもらおうか! 今日で貴様は私の婚約者ではなくなるのだからな!」
「……失礼を。それでは説明をお願いできますか、王太子殿下?」
呼び方を改めて訊ねると、レオナルドは「フフンッ!」と得意げに鼻を鳴らした。
「貴様のような無能なギフトしか持っていない女は王妃にふさわしくない! 私はここにいるルミアを妃とする!」
言いながら、レオナルドが一人の令嬢を抱き寄せた。
ピンク色の不思議な色合いの髪を背中に伸ばした小柄な少女である。見るからに愛らしく、整った顔立ちをしていた。
ミゼは首をかしげ、その令嬢の名前を記憶から引っ張り出す。
「あなたは……メイロン男爵令嬢、で合っていたかしら?」
「まあ! ヒドイですわ、こんな大勢の前で男爵令嬢と侮辱するなんて! いくら侯爵令嬢だからって、そんなふうに私を見下さないでください!」
「いえ……別に見下しているわけではないですけど……」
ミゼは困惑した。
『男爵令嬢』という呼び名はもちろん、悪口ではない。男爵令嬢を男爵令嬢と呼ぶことの何が侮辱になるのだろう?
その令嬢――ルミア・メイロン男爵令嬢がショックを受けたように泣きまねをすると、レオナルドが表情を怒りにゆがめてミゼを怒鳴りつける。
「貴様、いい加減にしろ! 王太子妃にして次期王妃であるルミアを苛めるなど許さぬぞ! いつまで私の婚約者でいるつもりだ、恥を知れ!」
「…………」
いや、恥を知るべきなのはそちらのほうだ。
王家主催の夜会で騒ぎを起こして、公衆の面前で国王陛下が定めた婚約を破棄しようとしているのだから。
ミゼが困り果てて周囲を見回すと……夜会の参加者がそろって呆れた顔になっている。
(どうやら、私がおかしいわけではないようね。困ったわ、どうしたら良いのかしら?)
婚約破棄をするのは別に構わない。むしろ、馬鹿な王太子から解放されると思えば嬉しいくらいだ。
しかし、この婚姻は王家と侯爵家の間で結ばれたもの。それを破棄するのはミゼにもレオナルドにも許されていない。
(誰か助けてくれないかしら? 腐っても王太子であるこの男を止めることができるとすれば、それは……)
「静まれ、皆の者!」
「国王陛下くらいのものね……よかったわ、来てくれて」
「レオナルド! 貴様、そこで何をしている!?」
少し離れた場所で他国の来賓を相手にしていた国王が慌てて駆け寄ってくる。
父親である国王の問いにレオナルドが胸を張って答えた。
「王家に分不相応な女を婚約破棄しているのです! こんな何の役に立つのかもわからない無能なギフトの所有者は私の妻にふさわしくない!」
「なっ……貴様、正気か!?」
レオナルドの発言に国王が身体をのけぞらせる。
ギフトというのは名前の通りに神からの贈り物。どのような内容のものであれ、蔑まれることはない。ギフトを侮辱するということは、それを授けた神を侮辱することにも繋がってしまうからだ。
仮に【盗み】や【殺人】といった明らかに犯罪的な内容のギフトの所有者であったとしても、差別することは許されない。
頭の中で蔑むだけならば裁きようがないが……公の場で他者のギフトを無能呼ばわりするなど、正気の沙汰とは思えなかった。
「この女が【血糖値】などというわけのわからないギフトであるのに対して、ルミアは【美貌】という素晴らしいギフトを持っています! いくら年月を経ても美しい顔立ちを保つことができるという選ばれたギフトです! 彼女こそが王太子妃にふさわしい!」
「…………」
国王の顔が失望したものになる。周囲で様子を窺っている夜会の出席者も白い目になって王太子を見つめていた。
レオナルドの言い分を要約すると……ギフトが役に立たないからミゼと婚約破棄がしたい。そして、【美貌】というギフトを持っているから、つまり顔が気に入ったから男爵令嬢であるルミアと結婚したい。
そういうことになってしまう。
「……この話は後日、改めて話し合うものとする。王太子は疲れているようなので別室に連れて行くように」
「へ……父上、私は……」
「早くしろ! 衛兵!」
「はっ!」
「こ、コラ! 何をするか!? 父上、私の話はまだ終わっていませんぞ!?」
衛兵が王太子の両腕を掴み、引きずるようにして夜会の会場から連れ出していった。
「ちょ、さわらないで下さい! 私は王太子殿下の婚約者ですよ!?」
男爵令嬢もまた衛兵によって連れ出されていく。
夜会に静寂が戻ってくる。国王が疲れきったように肩を落とす。
「……夜会を再開する。引き続き、楽しんでいくように」
「…………」
国王の宣言によって夜会が再開されたが……その場にいる誰もが、先ほどの出来事が気になって料理や音楽を楽しむどころではなかった。
「……私も失礼いたします。ちょっと眩暈がしてきたもので」
ミゼがそう言って会場を後にするのを、止める者は誰もいなかった。
○ ○ ○
後日、ミゼは父親であるアローサイト侯爵と一緒に王宮に呼び出された。
てっきり、夜会での謝罪と婚約破棄の手続きがなされるものと思っていたのだが……国王の口から放たれたのは意外な言葉である。
「どういうことですか……私と王太子殿下との婚約を継続したいとは? おまけに、私を側妃にして、あの男爵令嬢を王太子妃にしたいとは?」
「……仕方がないのだ」
ミゼが咎めるような視線を向けると、国王が気まずそうに視線を背けた。
隣に目を向けると、父親であるアローサイト侯爵も厳しい目になって玉座に座る王を睨んでいる。
「知っているだろう、レオナルドは私のただ一人の息子。いかに失態を犯したとはいえ、王位を継ぐ者はやつ以外にはおらぬ。そして、馬鹿な息子を支えることができる令嬢は才女であるミゼ嬢を除いて他にはいない。これは王家の混乱を避けるために仕方がない処置なのだ」
「だからといって、王太子殿下はお咎めなしですか? 夜会で、他国からの来賓もいる前であんな失態を犯したというのに?」
「……レオナルドにも罰は与えた。今は自室で謹慎させている」
国王が言い訳のように言った。
そういう問題ではないし、レオナルドがしでかしたことを考えると謹慎で済まされるわけがない。
(国王陛下が殿下に甘いことは知っていましたが……まさか、これほどとは……)
ミゼは深々と溜息を吐いた。
国王にとって王太子レオナルドは唯一の子であると同時に、愛する王妃の忘れ形見である。
王妃はレオナルドを出産した際に亡くなっていた。王妃を深く愛している国王は臣下がいくら勧めても新しい妃を娶ることなかった。
(平民であれば美談で済まされるのでしょうが……それが国王となれば、とたんに迷惑になりますね。他に王子を作っていればこんなことにはならなかったでしょうに)
国王は決して無能ではない。
真面目で国を愛し、誠実で他国からの評判も良い。
国民からは名君と讃えられているのだが……その唯一の欠点が王太子に甘いこと。
溺愛されて育ったレオナルドはすっかりワガママになってしまい、結果として夜会での婚約破棄騒動を招いてしまったのである。
(代えが聞かない王子が取り返しのつかない愚者に育っていることを、国王陛下はどこまで理解しているのでしょうね……)
「レオナルド殿下が失態を犯したのであれば、王弟殿下の御子を王太子とすれば良いでしょう。我が娘がレオナルド殿下の失態の責を受けるのは納得がいきませぬ」
厳かに口を開いたのはミゼの父親――アローサイト侯爵である。
人並みに自分の娘を可愛がっている侯爵にとって、国王の沙汰はとても許せるものではない。
普段は温厚な顔が怒りの色で染まっている。
「幸い、王弟殿下には二人の男子がおります。そのどちらかを陛下の養子としてもらいうけ、新しい王太子とするのはいかがでしょうか?」
「ぐっ……」
侯爵の言葉に国王が怯んだ。
その反応から、国王の本心が窺える。
(……結局、レオナルド殿下を見捨てたくないということね。殿下の立場を奪いたくなくて、私に無理を押し付けようとしている。なんて愚かなのかしら)
名君も家族の情に囚われたら、ここまで愚劣になってしまうのか。
ミゼの目から完全に敬意が消える。もはや目の前の男が玉座に座っているだけの愚者にしか見えなくなっていた。
ミゼが王に失望している間も、侯爵が国王に訴えている。
「百歩譲って……否、万歩譲ってレオナルド殿下と娘との婚姻を継続させるにせよ、どうして娘が側妃にならなくてはいけないのです? あの売女……ではなく、メイロン男爵の娘を王太子妃にする道理などないでしょう!」
「そ、それは……レオナルドがどうしても男爵令嬢と結婚したいと、側妃であればミゼ嬢を妃にしても良いと言っているから……」
「何だと!? あの男、娘を何だと思っている!?」
いよいよ怒りが抑えきれなくなったのか、アローサイト侯爵が声を荒げた。
親子そろって、どこまでもミゼのことを馬鹿にしている。
これまで王太子の婚約者として、ミゼがどれだけレオナルドに尽くしてきたと思っているのだろう。
(甘やかされたせいで勉学が不出来な殿下のために政務の一部を引き受け、亡き王妃様の代わりに王妃の職務を代行し……王家のためにと働いてきた結果がこれとは。さすがに泣きたくなりますわね……)
「父上、もう良いのです」
「ミゼ?」
ミゼは諦めたように首を振って、父親の腕を引いた。
「私は国王陛下の命を受け入れます。一度は婚約破棄をされた身ですが……王太子殿下の側妃になりましょう」
「なっ……本気で言っているのか!?」
娘の言葉に侯爵が目を剥いた。
「早まるんじゃない! お前があんな無能のために犠牲になることはない!」
「父上、冷静になってくださいませ…………わかっていますよね?」
「うぐっ……」
言い含めるような娘に侯爵が言葉を詰まらせる。
この国は王政国家。当然ながら、もっとも力を有しているのは国王であり王家だった。
貴族の権益も決して弱くはないのだが……王と貴族が争えば、最終的に勝利するのは王のほうである。
仮にアローサイト侯爵が全力で道理を訴えたとしても、最終的には王の判断と王太子のワガママがまかり通ることだろう。
(となれば……ここでいたずらに国王と争うのは得策ではありません。下手をすれば、王への無礼を理由に父上のほうが処分されてしまう)
実際、アローサイト侯爵の発言はかなりグレーである。
国王を相手に声を荒げて、王太子を無能呼ばわりしていた。
今は国王が罪悪感に駆られているため処分を受けることがないだろうが……これ以上、問題が長引けば、国王はこれを口実に侯爵を処分して無理を通すはず。
(となると……私がやるべきことは抵抗することではない。これを機に王家の力を削ぎ、侯爵家の影響力を増すこと)
「国王陛下の申し出を謹んで受けさせていただきます。ただし……いくつか条件をつけさせてください」
「おお……やってくれるか! わかった、如何なる申し出も王の名の下に受け入れようぞ!」
国王が表情を輝かせる。
ミゼはそっと溜息をつき、いくつかの条件を口にするのであった。
○ ○ ○
その後、いくつかの条件と引き換えにミゼは側妃としてレオナルドに嫁ぐことになった。
国王に受け入れさせた条件は以下の通りである。
条件一
レオナルド・ローウッドとミゼ・アローサイトの婚姻は『白い結婚』とする。お互いに肉体関係を求めることは許されないものとする。
また、レオナルドはルミア・メイロン男爵令嬢を真実の愛の相手として、ミゼ以外の如何なる女性との婚姻を禁止する。妾を持つことも許されない。
条件二
ミゼは側妃ではあるが正妃と同等の権限を持つ。また、ルミア・メイロン男爵令嬢の代わりに王太子妃の職務を行うものとする。
また、レオナルドは王太子の職務を自分で行わなくてはならない。自分の仕事をミゼに押しつけることは許されない。
条件三
レオナルドとの婚姻中にミゼが病気または怪我、精神的な疾患を負った場合、過失の有無にかかわらず王家はアローサイト侯爵家に対して慰謝料および治療費を支払う義務を有する。
条件四
ミゼが側妃となることへの報酬、および公の場での婚約破棄の賠償として、王家はアローサイト侯爵家に対して領地の割譲をすること。割譲される領地はアローサイト侯爵家が選ぶ権利を有する。
条件五
レオナルドがこれらの条件に違反した場合、相応のペナルティを与えるものとする。
なお、ペナルティの内容については伯爵以上の貴族による合議によって決めること。
条件一と二は問題なく受け入れられた。
レオナルドは最初からミゼと肉体関係を持つつもりはなかったし、国王もルミアにはできないであろう王太子妃の職務をミゼに押しつけるつもりだったからだ。
レオナルドが自分の仕事を自分でやらなくてはいけないのは当然のこと。これまでミゼにやらせていたのが間違いなのだから、否定しようがなかった。
条件三も文句を言うことはなかった。この条件はレオナルドによって不当に傷つけられることを防ぐことが目的。すでに公衆の面前で婚約破棄をして辱めるという失態を犯している以上、安全処置は必要である。
問題となったのは条件四と五である。
条件四について、国王は渋々ながら受け入れることになった。ミゼに無理を押しつけていることは自覚していたため、強く拒むことはできなかったのだ。
アローサイト侯爵家は王家の直轄領だった交易都市を獲得して、影響力をさらに増すことになったのである。
条件五については最後まで揉めることになったのだが……アローサイト侯爵は他の貴族らを味方につけて、この条件を押し通した。
息子を溺愛している国王はレオナルドがペナルティを受けることを、おまけに罰則の内容を貴族らにゆだねることを不安がっていたのだが……「だったら、違反しないようにちゃんと見張ればいい」などと言われたら反論はできない。
最終的には、レオナルドの王としての才覚を疑っている宰相や大臣らに説得される形でこの条件を受け入れた。
かくして、侯爵令嬢であるミゼ・アローサイトは自分を嫌っている王太子のもとに側妃として嫁ぎ、男爵令嬢であるルミアの下に置かれることになった。
絶望と諦めを胸に王家に嫁ごうとしているミゼであったが……輿入れの前日、不思議な夢を見た。
夢の中でミゼはローウッド王国とは別の国に住んでおり、そこで『栄養士』という病人などの食事を管理する仕事についていた。
(これはまさか……私の前世の夢?)
前世などというと胡散臭く聞こえてしまうのだが……実のところ、この世界ではたびたび生まれる前の記憶を夢に見る人間が現れている。
そういった人間は決まって特殊なギフトを持っており、夢の内容はギフトにかかわるものが多いのだ。
夢の中で栄養士として働いていたミゼは、食事によって『血糖値』がどれだけ変動するかを気にしながらメニューを作っていた。
どうやら、『血糖値』というのは血液中に流れている『糖分』の量のことを指しているらしい。
食事や間食によって変動するそれは人間の健康に大きな影響を与えており、基準値より高くても低くても病気を発症する恐れがある。
その夢を通じて、ミゼはようやく自分が持っている【血糖値】という謎のギフトの使用方法を悟った。
同時に、これが人間の命をも左右する力であることも。
(やはり役に立たないギフトなどなかったのですね……この力、使い方によっては王族すらも殺すことができる……)
ミゼは戦慄を覚えながら目を覚ました。
前世の夢の内容は大部分が目覚めた時点で消し飛んでいるが、能力にかかわる知識などはしっかりと覚えている。
この力をどう使うべきだろうか?
復讐のために使用するべきか。それとも、王国の繁栄のために使用するべきか。
悶々と思い悩みながら……ミゼは結婚式すら挙げてもらうことはなく、王太子レオナルドに嫁いでいったのである。
〇 〇 〇
かくして、王太子レオナルドの側妃となったミゼであったが、その生活が劇的に変化したかと聞かれるとそうでもない。
ミゼは元々、亡き王妃に代わって執務を代行していた。これまでのように王太子の仕事を手伝わなくてよくなった分、むしろ自由に使える時間が増えたくらいだ。
正妃としてルミア・メイロン男爵令嬢を、側妃としてミゼ・アローサイトを娶ったレオナルドの方はあまり良い噂を聞かない。
レオナルドはミゼとは結婚式すら挙げなかったくせに、ルミアとは贅を尽くした盛大な式を挙げた。
侯爵令嬢をないがしろにして男爵令嬢を必要以上に優遇するレオナルドに貴族の大半が眉をひそめており、彼の元からは大勢の人間が去っていった。
これまでミゼに押しつけていた仕事を自分でやらなくてはいけないこともあり、かなり忙しくしているようだ。
何度か宮廷で顔を合わせた際、ミゼを憎々しげに睨みつけていたが……完全な逆恨みだとミゼは溜息をついたものである。
そうして王宮での新生活を始めたミゼであったが、目下最大の悩み事は仕事の妨害をしてくる『お邪魔虫』の存在だった。
「あら、側妃様じゃありませんか! 今日もお仕事だなんて大変ですねえ!」
「……また来たんですか、ルミア様」
わざわざ執務室に乗り込んできた女性――ルミアにミゼは深く溜息をついた。
側妃でありながら王妃や王太子妃の仕事をこなしているミゼには、専用の執務室を与えられている。
部屋に置かれた机について書類を片付けていたのだが……ノックすらすることなく、ルミアが乗り込んできた。
「私の代わりに仕事をしてくれる側妃様を労いにきたんじゃないですかー。どうして、そんな邪魔者みたいな言い方をするんです? やっぱり側妃様は性格が悪いですよねえ」
「…………」
実際に邪魔なのだからしょうがないだろう……そう言いたくなるミゼであったが、どうにか言葉を呑み込んだ。
正式に王太子妃になったルミアはたびたび、ミゼのところに冷やかしにやってきていた。
レオナルドが仕事が忙しくて構ってもらえない憂さ晴らしなのか、必要以上にミゼを『側妃』呼ばわりして、小馬鹿にするように笑いに来るのだ。
別に側妃呼ばわりされて傷つくことはないのだが……職務を邪魔されるのは困ったもの。
相手が自分よりも立場上は上ということもあり、嫌々ながらもミゼは相手をするしかなかった。
「側妃様ってー、どうしてそんな仕事ばかりしているんですかあ? レオナルド様が相手をしてくれないんですかあ?」
「……ええ、私はあくまでも仮の妻。王太子殿下とは白い結婚ですので。殿下に愛される役はルミア様にお任せいたしますよ」
「まあまあ! そんなに卑屈になっちゃうだなんて、名ばかりの妃様は本当に大変なんですねえ! 側妃様がどうしてもと言うのなら……私の方から、側妃様も可愛がってもらえるようにレオナルド様にお願いしてあげましょうかあ?」
「結構です」
嘲るように言ってくるルミアに辟易しながら、ミゼは机に視線を落とした。
机の上にはいまだ書類が山積みになっている。ルミアが邪魔してくれたせいで、今日も残業になってしまうだろう。
(仕方がないわね……これも正当防衛だと思ってちょうだい)
「そんなことよりも……ルミア様、最近、少し丸くなったのではないですか?」
「は……?」
ミゼの発した言葉にルミアは目を丸くするが……やがてカッと顔を赤くした。
「なっ……なんてことを言うんですか!? 私が太ったって言うんですか!?」
「いえ……少しドレスがきつそうに見えたもので。腰のあたりとか、ちょっと苦しくはないですか?」
「う……」
ルミアがわずかに怯む。
実際、ルミアが着ているドレスはボタンがパツパツになっており、今にも弾けそうだ。
胸が成長しているのならば女として嬉しいことのような気もするのだが……ルミアの場合、腰も手足も太くなっているように見える。
「こ、これは洗濯したら縮んでしまっただけで……わ、私が太ったなんてことが……」
「肥満には運動が最適ですよ。たまには外に出て、身体を動かしたら如何ですか?」
「っ……失礼するわ! 私も暇じゃないですからねっ!」
ルミアは悔しそうに表情を歪めて、執務室から出て行った。
引き留めることなくルミアの背中を見送り……ミゼはようやく、安堵に肩を落とす。
「何なんですか、あの人は! 侯爵令嬢であるミゼ様に本当に無礼ですね!」
怒りの声を上げたのは、執務室の隅に立っていたメイドの女性である。
ミゼが侯爵家から連れてきたメイドは不満そうに表情を歪めて、ルミアが出て行った扉を睨みつけた。
「王太子殿下の寵愛を笠に着てミゼ様にあんな態度をとるだなんて! 何もできないお飾りの王太子妃のくせに!」
「やめなさい、ルーシー。誰が聞いているかわからないわよ」
「聞かれたって構いませんよ! みんな、あの人のことは嫌っているんですからね!」
男爵令嬢のルミアが侯爵令嬢のミゼを退け、王太子妃の座についていることを不満に思っている人間は多い。
身分や爵位を重んじる高位貴族はもちろん、ルミアに直接仕えなくてはいけないメイドや執事も「どうして男爵令嬢ごときに……」と内心で不服に思っていた。
「それにしても……お嬢様の言うとおり、あの人、随分と太りましたよね? 『美貌』のギフトを持ってるんじゃなかったでしたっけ?」
「さあ? ギフトの力も万能ではないということかしらね?」
『美貌』のギフトによって得た美しさで王太子を射止めたルミアであったが……ここ最近、目に見えて太り始めていた。
その原因は運動不足や贅沢な食生活。
そして……ミゼの持っている【血糖値】というギフトの力だった。
(あの人が仕事の邪魔をするたびに腹いせで血糖値を上げていたのだけど……どうやら、効果が顕れたようね)
人間が食事で糖質を摂ると血糖値が上昇する。
すると、上昇した血糖値を下げるために『インスリン』と呼ばれるホルモンが分泌され、血中の糖分が脂肪に換えられて蓄えられることになる。
ミゼはルミアに嫌味を言われるたびに、仕事を邪魔されるたびに、ギフトを使って彼女の血糖値を上昇させて肥満になるよう促していたのである。
「わざわざ、嫌がらせをしに来る時間があるのなら運動すれば良いのにね。そうすれば、すぐに痩せるはずなのに」
「本当ですよねえ、お嬢様の言う通りです!」
「それじゃあ、仕事を再開しましょう。ルーシー、お茶を淹れてくれないかしら?」
「はい、ただいま!」
元気良く返事をするメイドがティーポットを手に取るのを横目に、ミゼは机に置かれた書類仕事を再開させた。
その後もちょくちょくルミアが嫌味を言いに来たのだが、結婚から半年が経ったころから急に顔を見なくなった。
彼女が太り過ぎを恥じて部屋から出てこなくなったと聞いたのは、さらに一カ月後のことである。
〇 〇 〇
「クソッ! ルミアめ……あんなにブクブクと太りやがって! あれじゃあ、夜会でエスコートもできやしない!」
その日、王太子であるレオナルドは苛立っていた。
少し前から、正妃として結婚したルミアが太り始めていたのだ。
できるだけ気づかないふりをしていたのだが……身体を重ねるたびに重くなっていく妻に内心で困惑していた。
目に見えて肥満が身体に顕れ始めると、仕事に打ち込むふりをして会わないようにしていたのだが……昨晩、久しぶりに顔を合わせたルミアの体重は100キロを超えていた。
ご無沙汰だからと激しく求め、身体にのしかかってくる妻に押しつぶされそうになり、レオナルドは本気で焦ったものである。
「【美貌】のギフトを持っているくせに、あんなに醜く太るだなんて……いったい、何が起こっているんだ?」
ルミアが所有している【美貌】のギフトであったが、その力は絶対的な美を保証するものではない。
目鼻や唇などの顔立ちが整ったものになりやすく、かつ年齢による衰えが表面に現れづらくなる……せいぜい、その程度の効果しかない。
ルミアは血糖値を上げられたことが原因で肥満になっており、太った容姿が原因で部屋に閉じこもるようになっていた。おまけに外出できないストレスが食欲に向かった結果、朝から晩まで贅沢な料理やスイーツを食べてばかりになっている。
運動不足と大量の糖質摂取。両方が合わさった結果として、とうとう体重が100キロを超えてしまったのだ。
「あんな女は俺にふさわしくない……まったく、どうしてあんな女を王太子妃にしてしまったんだ!」
自分のワガママを棚に上げて、王太子は身勝手なことを口にする。
ブツブツと苛立ちをつぶやきながら王宮の中を歩いている王太子に、臣下や使用人も距離を取っていた。
男爵令嬢を妻にしたことで貴族の大半から見限られ、王宮内での味方は急速に減っている。以前、仕えてくれていた側近も自ら職を辞してしまい、おかげで仕事は忙しくなる一方だった。
そんな中で、唯一の癒しであるはずの可愛い妻までグングンと太っていく。
レオナルドの苛立ちは増していくばかりである。
「む……?」
乱暴な足取りで王宮を歩いているレオナルドであったが……ふと庭園の一角に置かれたテーブルでティーカップを傾けている女性を発見した。
それは仕事の合間にティータイムをとっていたミゼである。
「ミゼ……」
側妃である彼女の姿を目にして、レオナルドがゴクリと唾を飲む。
久しぶりに見る側妃であったが……彼女の容姿がレオナルドにはひどく整っているように見えた。
全盛期のルミア・メイロンには敵わないものの、ミゼもまた十分に美女と呼んでよい容貌の持ち主である。
少なくとも、太ったルミアよりもずっと美女に見えた。
「…………」
レオナルドの脚が自然とミゼの方に向かっていく。
メイドが淹れた紅茶を飲んでいたミゼが近づいてくる王太子に気がつき、怪訝な顔で振り返る。
「あら……お久しぶりですわね、王太子殿下」
「み、ミゼ……」
「私に何か御用ですか? 貴方から話しかけてくるだなんて珍しい」
「うぐっ……」
冷たいミゼの視線にレオナルドがたじろぐ。
愛らしいルミアとは対照的に、ミゼはクールな顔立ちの美女である。
相手を馬鹿にするような冷徹な目が気に入らず、かつては婚約破棄を突きつけたのだが……改めてその目を向けられると、不思議と背中がざわついてきた。
「……用事がないのなら、これで失礼しますわ。まだ仕事が残っていますので」
「ま、待て!」
黙り込んだ王太子を見かねて去っていこうとするミゼであったが、レオナルドが慌てたように呼び止める。
「そ、その……なんだ、お前は相変わらず、顔と身体だけは悪くないな!」
「はあ?」
「いや、美しかった頃のルミアにはとても敵わないが、お前もなかなか悪くない顔をしている! 以前、私にふさわしくないと言ったのは撤回してやろう。嬉しいだろう!?」
「…………」
急に何を言い出すのだと、ミゼは眉をひそめた。
褒めているのか馬鹿にしているのか、よくわからない言葉である。
まるで珍獣でも見るような目になったミゼの変化に気がつくことなく、王太子はペラペラと言葉を重ねていく。
「それに比べて、最近のルミアはなっておらん! 聞いているかもしれないが……アイツはどんどん醜く肥えている。【美貌】の加護によって得た美しさだけが取り柄だったというのに、ベッドの上でのしかかってくると重くて潰れそうになるのだ! まったく、アレが王太子妃であるなどと信じがたいことだ!」
「……そうですか、それは大変ですこと」
「うむ、大変なのだ!」
レオナルドが腕を組んでうんうんと頷く。ミゼはますます眉をひそめる。
結局、何が言いたいのかまったくわからない。たいした用事がないのなら呼び止めないで欲しいものである。
「……殿下、公務があるのでもう行っても構わないでしょうか? 私に用事があるのでしたら、秘書官を通じて書類で送ってくださいませ」
「い、いや、そうではなくて……その、仕事の話ではないのだが……」
「だったら、何の話でしょうか? ハッキリ言ってくれないとわかりませんわ」
「う、ぐ……それは……」
正論を突きつけられたレオナルドがたじろいだ。
何故だか悔しそうに顔をしかめ、上目遣いになってミゼのことを睨みつけてくる。
しばし沈黙していたレオナルドであったが……やがて、意を決したように口を開く。
「その……お前は役に立たないギフトしか持っていない女だが、最近は随分と公務を頑張っているようではないか! その働きに免じて……私の寵愛を受けることを許してやろう!」
「は……?」
「頭をたれて謝罪するのであれば、これまでの無礼を許してやる! 名ばかりではない、本物の妃として寵愛をくれてやるから感謝するがいい!」
「…………」
ミゼは呆れて言葉を失った。
何が言いたいのかと思ったら……どうやら、レオナルドは今さらになってミゼのことを口説いているらしい。
(謝るなら愛してやるって……最悪の口説き文句ね。それで女が喜ぶと思っているのかしら?)
おそらく、最近になって醜く肥えている男爵令嬢に愛想をつかしたのだろう。
今さらになってミゼの外見も十分に整っていることに気がつき、関係の改善を図ろうとしているのだ。
「はあ……私は殿下の寵愛など求めてはいません。これまで通り、名ばかりの妃として扱ってくださいませ」
「なっ……」
「すでに国王陛下からも承認いただけたように……私達は白い結婚。お互いに肉体関係を求めないように契約を結んでいます。愛を語り合うのは王太子妃様となさいませ」
「き、貴様……私が下手に出てやっているというのに、何という無礼な! 私は王太子だぞ!?」
いったい、いつ下手に出たというのだろう。
最初から最後まで身勝手なことを叫んで、威張り散らしているだけだったような気がするのだが?
「王太子である私が可愛がってやろうといっているのだ! 貴様は涙を流して喜び、おとなしく頭を下げればいい! どうしてその程度のこともできぬのだ、この役立たずの無能者め!」
「その無能者の力を借りねば、誰が王妃の仕事をするのですか? 私は殿下の寵愛を求めない。殿下も許可なく私の身体に触れないというのが結婚前にかわした条件でございます」
「このっ……!」
レオナルドが手を伸ばしてミゼの腕を掴もうとするが……メイドが盾になって立ちふさがる。
「お嬢様への無礼は許しません!」
「メイドごときが私の前に立つな! 退け!」
「王太子殿下、少し周りを見てはいかがですか?」
喚き散らしているレオナルドに、ミゼが冷静な口調で忠告する。
「ここは王宮の真ん中。多くの人目があります。そんな中で私に暴力を振るうおつもりですか?」
「ぐっ……!」
ただでさえ、婚約破棄の一件からレオナルドの評価は下がっている。
この期に及んでミゼに暴力を振るったりしたら、本格的に問題になるだろう。
「お、覚えていろよ! この無礼は忘れないからな!」
謎の捨て台詞を吐いて、レオナルドがそそくさと去っていった。
「何なのかしら、本当に……」
ミゼは正体不明の嫌な予感に襲われながら、呆れたように首を振るのであった。
〇 〇 〇
庭園での騒動により、レオナルドの評判はますます落ちていくことになった。
女を見る目のない浮気者であり、太っていく妃を冷遇している薄情者。一度は婚約破棄したミゼに縋りつき、復縁を迫っている情けない男。
そこにメイドに暴力を振るおうとした粗暴者という評価が加われば、もはやレオナルドの評価は底辺である。
レオナルドを溺愛している国王はどうにか取り繕おうとしているが……貴族の中には、王太子の変更を訴えるものは少なくなかった。
レオナルドもまた自分の評価が落ちていくのを感じているのだろう。
焦りからミゼとどうにか接触しようとしているが……ミゼの方はもちろん、そんな気はない。仕事を口実としてできる限りレオナルドのことを避けていた。
だが……そんな中で、とうとう取り返しのつかない事件が勃発した。
レオナルドがミゼの寝泊まりしている離宮に不法侵入してきたのである。
「ミゼ……!」
「…………!?」
真夜中。いつものように仕事に疲れて熟睡していたミゼであったが、この場にいるはずのない男の声で目を覚ました。
ランプが生み出した薄明かりの中、すぐ目の前に自分を捨てて他の女を選んだ王太子――レオナルドの顔がある。
「きゃあっ!? なんなのっ!?」
突然の事態にミゼはベッドからは飛び起きようとした。
しかし、身体が動かない。レオナルドがベッドに横になったミゼの身体に馬乗りになっており、両手を押さえて身動きを封じていたのである。
「ッ……!?」
ミゼは激しい恐怖と混乱に叫び出しそうになるが……どうにか心を鎮めて冷静になる。
この状況で理性を欠いてしまってはろくなことにならない。まずは落ち着いて、状況を把握しなくては。
「……これはどういうことでしょう。王太子殿下」
「昔のように『レオ』と呼んではくれないんだな……やはり君は変わってしまった」
「……お互いさまではないでしょうか。他の女性に心変わりして、私を捨てたのは貴方の方ではありませんか」
「違う! 私は騙されただけだ! あの女に……ルミアに騙されただけだ!」
レオナルドが噛みつくように叫んだ。
ランプの明かりに浮かび上がる両目は濁っており、色濃い狂気の色に染まっているように見えた。
「あの女……美しい自分の方が王妃にふさわしい。私のことを喜ばせることができるなどとほざいておきながら、結婚した途端にブクブクと太ってやがる! 一人じゃベッドからも起き上がれないような女をパーティーでエスコートできるものか! あれで、どうやって王妃が務まるというのだ!? 食って寝ているだけじゃないか!?」
「……彼女が王妃にふさわしくないのは王妃教育の段階からわかっていたはずです。体型のことはともかくとして、今さら言うことではないでしょう」
ミゼは淡々とした口調で語った。
どんどん太っている原因は贅沢で堕落した生活が半分、ミゼの仕返しが半分である。ミゼがどうのと口出しをできるわけもない。
だが……体型や外見以前に、王太子妃として最低限の仕事をできていないことの方が問題である。
ミゼが側妃として職務を代行しなければならない時点で、ルミアは王太子妃として及第点にも達していない。
「彼女を王太子妃に選んだのは殿下ではありませんか。少しばかり太ったくらいで真実の愛を捨てるおつもりですか?」
「違う! 違う違う違う違う! 私は悪くない、悪くないんだ! 真実の愛が間違っていた。あの女に騙された……! そうだ、私は悪くないんだ。それなのに、みんなみんな私の悪口ばかり言いやがって! 大臣は小言ばかり。昔から仕えてくれていた側近も辞めてしまうし、あの女は『自分が太ったのは貴方の愛が足りないせいだ』とか騒ぎやがる! どいつもこいつも私の足を引っ張りやがって!」
レオナルドがミゼを睨みつけ……ニチャリと粘着質な笑みを浮かべた。
「そうだ……間違いは正さなくちゃいけない。あの女と離縁して、ミゼを正妃にしたら全部、元通りじゃないか。元の鞘に収まるだけでみんなが幸せになれる!」
「……その『みんな』に私は入っていないようですね。殿下の失態を尻拭いするなど、ハッキリ言って迷惑なのですが」
「五月蠅い! お前は俺の側妃なんだから、言うとおりにすればいいんだよ!」
「ッ……!」
バチンと音が弾けた。
頬から伝わってくるジンジンとした熱。
遅れて、ミゼは自分が殴られたことを悟った。
「殿下……!」
「王太子である私に抱かれるなんて、こんな光栄なことはないだろうが! 黙って私に従え!」
「…………」
怒鳴り散らすレオナルドに組み臥されたまま、ミゼは目を細めた。
もう何も言わない。どうせ何を口にしたところでこの男の耳には届かない。
「落ちなさい」
「くあ……!?」
代わりに、ギフトの力を発動させる。
レオナルドの身体がくらりと傾いで、そのまま白目を剥いて昏倒した。
「重っ……まったく、無能なくせに身体は一丁前に大きいんだから」
ミゼはのしかかってきたレオナルドを苦労してどかす。
そのままベッドから蹴り落としてやるが……レオナルドは目を覚まさない。完全に気を失っていた。
ミゼがレオナルドに対してやったのはルミアに対する嫌がらせの逆。血中の糖分を急激に下げたのである。
「低血糖症状による意識障害……ざまあないわね」
人間の脳は活動のために一定値以上の糖分を必要とする。
必要最低限の糖分が与えられなければ脳は十分な活動をすることができず、吐き気や発汗、動悸、けいれん、意識障害などの症状を引き起こしてしまう。
ミゼはギフトの力でレオナルドの血糖値を操作することにより、強制的に低血糖症状をもたらしたのである。
「お嬢様! 何事ですか!?」
「ルーシー、来てくれたのね」
騒ぎを聞きつけたのか、メイドが寝室に飛び込んできた。
今さら遅いなどとは思わない。寝間着姿のメイドの髪はぐちゃぐちゃに乱れており、急いで駆けつけたことがわかる。
「この人は……王太子殿下!? こんなところで何をしているんですかっ!?」
「どうやら、夜這いをかけに来たみたいよ。私を手籠めにして王太子妃にして、これまでの失態を取り戻そうとしたんじゃないかしら?」
「そんな……どれだけ身勝手なんですか、この馬鹿王子は!」
メイドが暴言をぶちまける。
いつもであればミゼが窘める場面だが、さすがに今日は擁護する気になれなかった。
「それで……殺しちゃったんですか? お庭に穴を掘って……いや、井戸に落としちゃいますか?」
「死んでないわよ。ちゃんとギリギリで生かしているわ」
「そうですか……」
「……どうして残念そうなのよ。殺しちゃうのはいくら何でも不味いでしょうが」
ガッカリした様子のメイドに肩を落とし、王太子の頭にシーツを被せる。
身体が冷えないように……などと配慮したわけではない。寝間着から着替えたかったのである。
「気絶しているとはいえ……この男のそばで服を脱ぐのは抵抗があるわね。ルーシー、貴女も着替えてきなさい」
「そんな……お嬢様を一人にするわけには……」
「コレは絶対に目を覚まさないから大丈夫よ。そんなことよりも、やって欲しいことがあるのよ。パジャマ姿じゃ差し支えるわ」
ミゼは洋服ダンスから服を取り出しながら、メイドに指示をする。
「この離宮にいる人間を全員、起こしてきて頂戴。王太子殿下が夜這いをかけようとして返り討ちに遭ったと、一人でも多くの人に聞かせるのよ」
朝になって国王が騒ぎを聞いたら、可愛い息子の醜聞を揉み消そうとするだろう。
なかったことになんてさせない。揉み消すことができないように、一人でも多くの人間の耳に入れてやる。
「朝が来るまでが勝負よ! 離宮の人間、全員に伝えたら……今度は外の貴族らにも知らせるの。お父様にも手紙を書くから、届ける手はずを整えていて頂戴!」
「わかりました! それで……衛兵はどうしましょう? 呼んできますか?」
「今日の警備の人間は信用できないわね……この男の侵入を許したということは、買収されている恐れがあるわ。侯爵家から連れてきた兵士を呼びなさい。彼らだったら信用できるわ」
「わかりました! すぐに行ってきます!」
バタバタと足音を鳴らしてメイドが部屋から出て行った。
この調子なら、部屋まで起こしに行かずとも目を覚ましてきそうである。
「さて……ようやく、貴方ともお別れですね。王太子殿下」
気を失ったレオナルドを見下ろし、ミゼは冷たい口調で語りかける。
「私を恨むのなら筋違いですよ。先に裏切ったのは貴方です。あの男爵令嬢も同罪。先にケンカを売ってきたのはそちらなんですから」
未来の王妃になるべく必死に勉強してきたというのに、他の女と浮気されて王太子妃の地位を奪われた。
婚約破棄されてそれで終わりかと思いきや、側妃として浮気相手の仕事を代行するように命じられ、男爵令嬢の下で働かされた。
王太子とは幼い頃からの付き合いだったが……さすがにここまでされて、許す気にはなれない。徹底的に叩いてやらなければ気が済まなかった。
「『無能なギフトしか持っていない女は王妃にふさわしくない』でしたね? その無能なギフトに足をすくわれるとは間抜けなことですこと」
肩をすくめて、ミゼは着替えを再開させた。
ミゼの狙い通り、一晩のうちに王太子の蛮行は王宮中に知られてしまった。
国王が騒ぎの鎮静に動き出したときにはすでに遅い。口止めできないほど大勢の人間に醜聞が知れ渡っていたのである。
〇 〇 〇
その後の顛末。
夜這い事件がきっかけとなり、レオナルドは正式に処罰されることになった。
貴族らによって開かれた会議によって満場一致で決議され、王太子から廃嫡されることになったのである。
レオナルドとミゼの婚姻は白い結婚。お互いに肉体関係を求めないことを書面で契約していたのにもかかわらず、それを力ずくで破ろうとしたのだから当然だ。
国王はどうにかして庇おうとしたのだが……残念ながら、ミゼが側妃になる際に交わした契約については誰もが知っている。
重要な直轄地を侯爵家への賠償金として譲っており、王家の影響力が落ちていたことも大きかった。
国王の力をもってしても王太子を庇いきることができず、レオナルドの廃嫡は決定したのである。
廃嫡されたレオナルドは伯爵の地位と小さな領地を与えられることになったのだが……ミゼの支え無しでは王太子の仕事も満足にできていなかった男に、領地経営などできるわけもない。
王族として贅沢をしていたレオナルドは廃嫡となった後も贅沢な生活を続け、結局、一年ほどで爵位と領地を売りに出すことになる。
地位も金も失ったレオナルドがどうなったかは不明。誰からも忘れ去られ、路地裏で行き倒れにでもなったのだろう。
真実の愛の相手……ルミアはレオナルドが廃嫡になるや、離縁して実家に戻っていた。
レオナルドという後ろ盾を失ったことでメイロン男爵家は没落しており、実家暮らしはかなり貧しいものになったらしい。
そのおかげで王宮生活でついた脂肪はすっかり落ちて、元通りの美女に戻ったのは不幸中の幸い。
美女に戻ったルミアはとある富豪の後妻として再婚して、まあまあ良い生活をしているとのことである。
「収まるところに収まったわけだけど……本当に良いのかしら。私が王妃になって?」
「どうしたの? 急におかしなことを言い出したりして?」
ミゼの言葉に隣にいる青年が首を傾げた。
ミゼよりも三つほど年下である青年の名前はローランド。
国王の甥にあたり、数日前まで公爵家の次男坊だった人物である。
唯一の王子であるレオナルドが廃嫡となり、代わりに王太子となったのはローランドだった。
王家の血を引いており、実家の大公家からの後ろ盾もあるとなれば、文句を言う人間がいるはずもない。
ローランドはレオナルドに代わって正式に王太子となった。
現・国王がレオナルドの廃嫡以来、廃人のように呆けてしまったこともあり……引継ぎが終わり次第、新たな国王として君臨することになる。
(それは良いのだけど……どうして、私が妃になるのかしら?)
元・王太子の側妃であったミゼはレオナルドの廃嫡と同時にお役御免となり、実家に帰るものだとばかり考えていたのだが……何故だか、そのままローランドの妻になることが決定した。
今から新しい妃を教育する時間がなかったとはいえ……二人の王太子への連続結婚は前例のない稀有なケースである。
「いいんじゃない? 白い結婚であることは証明されているんだから。それに……ミゼ姉さんがいないと王宮も回らないでしょう?」
新しい夫――王太子ローランドがのほほんとした顔で首を傾げた。
ローランドは傲慢極まりなかったレオナルドの従弟とは思えないほど温厚な人物であり、野心や権力欲とも無縁な人物である。
従兄の婚約者だったミゼのことを姉のように慕っており、結婚してからも「姉さん」と呼んでいた。
「僕だって、本当は画家になってのんびりと暮らしていくつもりだったんだけど……まあ、ミゼ姉さんが奥さんになってくれるなら王様でもいいかなー、と思って王太子になったわけだからね」
「……その理屈で言うと、ローランド様が私のことを好きだったというふうに聞こえてしまいますよ?」
「そう言ってるんだけど? 僕、昔から姉さんのこと好きだったよ?」
「は……?」
「僕はこんな性格だからねー。姉さんみたいなしっかりもので真面目な人は素直に尊敬できるよ。僕を王太子にするって話が来た時も、『ミゼ姉さんをお妃さまにしていいのなら』って条件付きで引き受けたんだ」
「……貴方のせいだったんですか。私がまた妃に選ばれたのは」
「あれ、嫌だった? 僕じゃあ姉さんにふさわしくないかな?」
ローランドが不安そうに表情を曇らせた。
年下の青年にこんな顔をさせるわけにはいかない。ミゼはゆっくりと首を振って、口を開いた。
「嫌ではありませんよ。その代わり……健康管理はちゃんとしてくださいね?」
「うん! 一緒に長生きしようね!」
困ったような笑顔になるミゼに、ローランドはすぐに頷いたのであった。
おわり
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本作の医療知識はかなり適当です。現実とは違うという批判はご勘弁ください。
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