episode8 ワッズの最後
草原を渡る風が巻き起こす草花の香りが鼻腔を刺激し、少年の目覚めを促した。
(ここは?)
リバスはゆっくりと上体を起こし、記憶をたどる。
(そうか。俺はオークたちとの戦闘のあと……)
思い出した瞬間、リバスはハッとした。
(俺はどれだけここで寝ていたんだ!? 父さんや母さん、ロネムが腹を空かせてる!!)
すぐさま立ち上がると集落に向けて全速力で疾走する。途中の森では野猿を狩っていく。ベデューによる修行と幾度かの実戦経験が狩りの成功率を飛躍的に高めていた。今も腹を空かせて待っている家族の元へ一刻も早く獲物を持って帰りたい。そんな気持ちがリバスの足をさらに加速させる。
◎
(父さん、母さん、ロネム!)
ようやく集落まで戻ってきたリバスは、集落のはずれにある自宅に向かってまっしぐらに進む。
「ただいま! ごめ……」
扉を乱暴に開けて中へと飛び込む。だが、中にはだれもいなかった。嫌な予感に胸騒ぎを覚え、村の中心部へと駆け出す。
こんなことは今までなかった。そもそもまともに動くことができないガネッツがどこかに移動するなど考えられない。
◎
「父さん! 母さん! ロネム!」
集落の中央広場にやってきたリバスは、三人の死体を発見する。
ガネッツは四肢を切断され、顔もほとんど原形をとどめてはいなかった。パライナとロネムは凌辱を受けた末に惨殺されている。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! いったい……いったいだれがこんなことをっ!!?」
深い悲しみと激しい憎悪に大声を張り上げ、止めどなく溢れ出る涙と鼻水で顔面がグシャグシャになる。
「クククククク……。そんなに知りたいなら教えてやろうか?」
背後からかけられた声にリバスは振り返る。そこにはワッズの姿があった。
「だれだ!? こんなことをしたやつはだれなんだぁっ!!?」
涙と鼻水で汚れた顔を隠しもせず訊いてくるリバスをワッズは鼻で嗤う。
「教えてやってもいいんだが……。まずは土下座して懇願しろよ」
下卑た笑みをこぼしながら見下した視線を向けるワッズに、リバスは躊躇いなく言われた通りのことをする。
「お願いします! 犯人を教えてください!!」
「ハーッハッハッハッハ!」
悦に入った様子で高笑いをするワッズ。
「いいだろう。そこまで言うなら教えてやるよ。犯人はなぁ……この俺様と集落の全員なんだよ!」
リバスはあまりに衝撃的な言葉に理解が追い付かずに茫然自失となる。ワッズはさらに続ける。
「俺様を含め、集落中の男全員でパライナとロネムをまわしてから、ガネッツを女・子供を含めてみんなでなぶり殺しにしてやったのさ!」
「なぜ…どうしてそんな事を!?……」
リバスは震える声で訊く。
「理由なんてあるかよ。強いて言えば俺様が気にくわなかったからだな! おまえにも見せてやりたかったぜぇ……。三人が哭きながら弄ばれ殺されていくさまをよぉ!! そんで……今度はおまえの番ってわけだ。オークどもに殺されたほうがマシだったかもなぁ?」
リバスは無言で立ち上がる。その周囲に武器を手にした集落の住人が集まってきた。
「魔王ゼンバラルの息子である俺様の命令は絶対なんだよ。おまえにも覚悟してもらう。おまえら、リバスを殺せ!」
下卑た笑みを顔面に張り付けてワッズが言い放つ。
「覚悟しろだと?……殺すだと?……笑わせるなよ……それは俺のセリフだ!!!」
リバスは背中のバスタード・ソードを抜き放ち、目にうつる全員を敵視する。
「うおぉぉっ!」
リバスは咆哮し、スキル《俊足》を使ってナタムとの間合いを詰める。ナタムには森での戦闘で勝利している。今度は本気で殺しにいくつもりだ。
ズブッ
肉を貫く音がし、バスタード・ソードがナタムの腹部を貫通する。
「ぎゃああああっ!!」
痛みに喚き立てるナタムにかまわず、リバスは長剣を水平に振り抜く。飛び散つた血飛沫を浴びながらリバスは次のターゲットを探す。
「おのれぇ! よくもうちの子をぉ!!」
一人息子を殺害され、復讐にもえたガズングが斧を振りかざして襲いかかる。一方、リバスは長剣を構え、その動きに目を光らせた。
ブンッ
低く、風を切る音がしてガズングは空振りする。攻撃を避けたリバスは間髪いれずにガズングを袈裟斬りに切り捨てた。
「リバスを殺せ! 殺せぇ!!」
集落の住人たちは激しく動揺した。落ちこぼれだったはずのリバスがなぜこれほどまでに強くなったのか。全く理解できない。しかし、リバスを殺さなければ自分たちが皆殺しにされるのだ。
「おらぁぁぁ!」
ベデューとの修行により段違いに強くなったリバスにとっては、もはや集落の連中など相手にもならない。まして、その中には普段は戦闘などとは無縁の女・子供もいる。だが、今のリバスには憎き敵にしかうつらなかった。
◎
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
息を乱したリバスが血の匂いが立ち込め、真っ赤に染まった広場に立っている。遂に集落の全ての住人たちを老若男女問わず殺害したのだ。戦うこともできず逃げ惑う者もいた。泣きながら許しを乞う者もいた。しかし、家族を辱しめられ、惨殺されたリバスにとっては敵以外の何者でもなかった。
その凄惨な光景をニヤニヤと笑いながら観賞していたワッズを凝視する。
「いやいや、驚いた! 落ちこぼれの貴様が短期間にこれだけの強さを身につけるとはなぁ! どうだ? 俺様専属の下僕として使ってやろうか?」
「言い残したい言葉はそれだけか?」
リバスは、愉快げに手を叩いているワッズに冷たく言って、バスタードソードに付着した血を振り払う。
「あん? おまえ、もしかしてこの俺様とやろうってのかよ? 魔王ゼンバラルの息子であるこの俺様と!?」
「だからなんだ? 俺には失うものは何もない。それから、我慢する必要もな」
ビチャ、ビチャ、ビチャ……
血だまりを一歩ずつ近づいてくるリバスに、ワッズから笑みが消えた。
「どうやら勘違いしてるようだなぁ? ガキのころから父上より手ほどきを受けてきた俺様に勝てるとでも思ってるのか? しかも、落ちこぼれのリバスちゃんがよぉ?」
鋭い視線を向けてくるワッズの対して僅かな恐れを抱くこともなく、リバスの歩みは止まらない。
「そうかよ……。だったら、俺様自ら処刑してやるしかないな!」
戦闘は避けられないと確信したワッズは槍を手に臨戦態勢をとる。それに対し、リバスは立ち止まってバスタードソードを構える。
緊迫した空気が張り詰めるなか、先に動いたのはワッズだ。
「氷塊系中位魔術!」
ワッズの魔力によって作り出された無数の氷の針が迫る。
リバスは横っ飛びにかわして地面を蹴る。勢いよく前進し、長剣を斬撃を数度くり出す。
キン! キン! キン!……
ワッズの槍とリバスのバスタードソードが激しくぶつかり合う。
「クククククク……。その程度かよ!」
ワッズは余裕を見せる。
(くっ…腐っても魔王の息子か!)
「そぉら、神風系中位魔術!」
ワッズの放った真空の刃がリバスの左頬、右肩、両脇腹、両足を切りつけていく。
「ぬぁぁぁぁぁ!」
リバスはバスタードソードを握る両手に力を込めて水平に一閃する。が、ワッズは軽やかに飛び退くと左手をかざす。
「火炎系下位魔術!」
放たれた火炎の球はリバスの左肩に命中した。
「うぅっ……」
熱さと痛みに堪えて、リバスは《俊足》を発動してワッズの横をすり抜け、身体を半回転させて長剣をワッズの首めがけて振りかざす。
「ちぃぃっ!」
ワッズは上体を反らし、寸前のところで回避すると後方へと異動してリバスから離れる。その表情からは焦りが見てとれた。首筋にそっと触れてみた掌には少量の血が付ている。
「てめぇ、落ちこぼれの分際で俺様を傷つけやがったな……」
怒りを顕にして睨めつけるワッズ。左手には既に魔力が練られている。
「雷撃系下位魔術!」
複数の雷の球が次々に襲ってきた。足を止めることなく走り続けるリバスが通り過ぎた地面に雷の矢が刺さっては消滅する。
(ちっ、すばしっこいやつめ!)
ワッズは苛立っていた。思いの外、リバスの戦闘能力が高かった。
(しかし、所詮は落ちこぼれ。放出系魔術が使えないことには変わりはない。ならば、遠距離から攻撃し続け、やつの体力が尽きるのを待てばいいだけだ!)
ワッズの勝利への自信は揺るがない。
(接近させないつもりか……だったら!)
リバスはワッズの考えに気付き、バスタードソードを構えて《俊足》で一気に間合いを詰める。
(ふん…。やはりそうくるよな!)
リバスの行動を予想していたワッズは真空刃魔術を撃つ。
「おぉぉぉぉっ!」
リバスは跳躍して吠え、長剣を掲げる。
(かかったな!)
ワッズが口角を上げた。
「火炎系下位魔術!」
空中に移動したことで動きが制限されると見たワッズは火炎の球を放つ。
「なに!?」
ワッズは驚愕した。
リバスはスキル《飛行》により空中を移動して火炎の矢をわかした。そこから使用スキルを《剛力》に切り替え、ワッズの頭上からバスタードソードを振り下ろす。
「ちぃぃぃぃっ!!」
受け止めることは不可能と判断したワッズは槍を使ってリバスの攻撃を受け流す。傍らの地面がバスタードソードによってえぐられる。
ワッズの頬を冷や汗が伝う。
(こいつ!)
ワッズは距離をとって身構える。
勝機を見いだし、リバスはバスタードソードによる斬撃を連続でくり出す。
幾度も繰り返される斬撃を愛用の槍で受けながら、ワッズは反撃の機を探す。
(ちっ、落ちこぼれのリバスの分際でいい気になりやがって! だが、所詮はエリートの俺様には勝てねぇことを教えてやる!!)
ワッズはリバスのバスタードソードを弾き、すかさず槍の穂先を突きだした。
「ぐぁっ!」
リバスは短く声を洩らす。ワッズの槍はリバスの左胸をとらえていた。滴り落ちた血が地面に赤く染める。だが、傷口は浅い。リバスは魔力によって肉体を硬化させていたのだった。
「ちっ…身体硬化魔術かよ!」
ワッズは、思ったほどのダメージを与えられずに苛立ちをあらわにする。
「いつまでも前の俺だと思うな!」
リバスは叫び、左拳をワッズの腹に打ち込んだ。さらに、よろめいたところに回し蹴りをヒットさせる。
「がはっ」
蹴り飛ばされたワッズは空中で体制を立て直し、着地に成功した。すぐに左手をかざす。
「火炎系下位魔術!!」
ワッズの魔力によって作り出された火炎の球がリバスに迫る。長剣を一閃して火炎の矢を打ち払ったリバスは《俊足》で間合いを詰め、バスタードソードの切先を突きだす。
リバスが放った突きがワッズの肩をかすめる。
「調子にのってんじゃねぇぞ!」
ワッズは魔力を練り上げる。
「爆発系下位魔術!!」
練り上げた魔力を爆発したことでリバスは吹っ飛ばされて地面に激しくバウンドした。
「うぅ……」
全身に感じる痛みに表情がゆがめながらも立ち上がったリバスにワッズの槍が突き刺さった。
「うぁぁぁぁっ!」
悲鳴をあげるリバスの左肩に槍が深々と刺さっていた。
「火炎系下位魔術!」
ワッズは決着をつけるべく攻撃魔術を放つ。
「ちっ!」
ワッズは舌打ちをした。放たれた火炎系下位魔術に、リバスは魔力で対魔術盾を作り出して対抗した。
長剣による斬撃と槍による刺突攻撃の応酬が始まった。互いの攻撃は相手に浅い傷を負わせるのみで決定的な一撃とはならない。
「雷撃系下位魔術!」
ワッズはリバスから離れ、雷球を放つ。
リバスは《飛行》で上空に移動し、バスタードソードを構え、ワッズ目掛けて急降下する。
「神風系中位魔術!!」
ワッズは真空の刃を作り出して迎撃する。ワッズに真っ直ぐ向かっていたリバスは咄嗟に左から回り込むように進路を変更し、回避する。
(あの野郎、反応しやがった!?)
ワッズは驚愕したことで行動が一瞬遅れる。その好きにリバスはワッズの背後へと移動し、バスタードソードを振るう。
「ぐわぁぁぁっ!!」
ワッズの絶叫が辺りに響く。リバスのバスタードソードがワッズの背中を深く斬りつけたのだ。
ワッズは激痛に地面をのたうち回る。リバスはそれを足で押さえつけ、長剣の切先を喉元に突きつけた。
「うぐっ……」
ワッズは言葉を詰まらせ、憎悪に満ちた視線をぶつける。が、もはや勝負は決していた。少しでも抵抗する素振りを見せれば、リバスは容赦なくとどめを刺すだろう。
「…た、助けてくれ! もう、おまえをバカにしたりしない! いや、これだけの実力があるなら父上に頼んで、将軍にしてもらってやろう!!」
「言いたいことはそれだけか?」
出世をちらつかせて命乞いするワッズにリバスは冷ややかに言う。その瞬間、ワッズは血の気が引くような思いがした。
「待て! おまえの家族のことはすまなかった。俺はどうかしてたんだ! もちろん反省もしてる! それに、よく考えてみろ。おまえの家族は敵討ちなんて望むような連中じゃないだろう? それよりもおまえが出世することを望んでるんじゃないか? 俺にはその権力がある。ガネッツの息子なら父上も喜んで受け入れてくれるはずだ」
ワッズは懸命に説得を試みる。
「……そうだな。父さんも母さんもロネムも復讐なんて望んでないかもな……」
「ああ、間違いない!」
リバスがポツリと呟いた言葉をワッズは強く肯定する。
(ククク……。バカめが! 城に戻ればすぐにでも処刑してやる! しかも楽には死なせんからな!!)
ワッズは言葉とは裏腹に内心ではリバスへの復讐心が渦巻いている。
「……けど、俺は違う。俺はおまえを絶対に赦さない!」
「ひぃっ!! ま、ま、待て! 俺をだれだと思っているんだ!? 魔王ゼンバラルの息子だぞ!? 俺を殺すってことは魔王ゼンバラルの怒りを買うことになるんだぞ!!?」
リバスの瞳に宿る憤怒を感じとり、目前に迫る死への恐怖がワッズを支配した。
「今度は脅しか? 残念だったな。そんなもん、今の俺には通用しない。失う物は何もない。魔王ゼンバラルと戦うのもいいさ。その結果、死んだとしても悔いはない……」
「やめろ! やめてください! 助…………」
懸命に命乞いを続けるワッズだったが、遂に首にバスタードソードを突き刺され絶命した。