マルちゃん赤いきつね緑のたぬき 前編
地上には生息し得ぬモンスターがはびこり、俗にダンジョン資源とも呼ばれる貴重な品々が眠る地――ダンジョン。
その中でも、遺跡エリアと呼ばれる区画はまさに花形であるが、危険度の高さでは他エリアの追随を許さぬのもこの区画である。
地上に存在するいくつもの古代文明をデタラメに混ぜ合わせたかのような様式の迷宮は、複雑にして怪奇な造りであり……。
内部は闇に閉ざされ、『暗視』のスキルか照明器具がなければ十メートル先を見通すこともおぼつかない。
生息するモンスターの凶悪さ、狡猾さも他エリアと一線を画しており、これに各種トラップも加わってくるのだから、手に負えない。
しかも、地下十層から先は、定期的に内部の造りが組み替わり、アガルタに保管された過去のデータも参考程度にしか役立たなくなるのだ。
逆に言うならば、地下十層から先の探索を許可された探索者は、アガルタにおいてもエースと目される存在であると言えるだろう。
まして、それが単独での探索ならば尚のこと……。
単独で地下十一層にまで潜入し、今また徒党を組んで現れたゴブリンニンジャの集団をことごとく日本刀で切り伏せた村松葵は、若干十九歳にしてそれを許された、若きエースと呼ばれる探索者である。
またの呼び名は、美少女すぎる探索者……。
艶やかな黒髪は腰の辺りまで伸ばされており、もう一ヶ月近くも迷宮に潜りっぱなしであるというのに、枝毛の一つも見当たらない。
サファリジャケットや野戦服にも似たデザインの探索服は分厚い布地を使っているのだが、それでなお女性らしさを感じるのだから、抜群のプロポーションを誇っているのがうかがえる。
「ふう……」
その、美少女すぎる探索者が日本刀に付いた血糊を振り払いながら、軽く溜め息をついた。
足元にはドロップしたクナイが転がっているが、これを魔フォンのインベントリに収容するのも億劫である。
ダンジョンにおいて、最大の敵……。
それは、モンスターでもトラップでもない。
――疲労。
美少女探索者を今蝕んでいるのは、まさにそれであった。
何しろ、ここへ来るまでに一ヶ月以上もの時間を費やしているのだ。
しかも、ただそれだけの時間をかけているわけではない……。
スキルによる補助があるとはいえ、二十四時間常にモンスターの襲撃を警戒せねばならず……。
広大にして複雑怪奇な遺跡エリアは方向感覚を惑わせ、その上、各種のトラップも警戒しなければならなかった。
探索者の中には、同じ階層までわずか一週間ほどで到達する猛者もいる。
どれだけメディアが持ち上げてくれようと、自分はまだまだということだ。
「そろそろ、引き返し時かな」
魔フォンを取り出し、潜入前に提出したスニーク・プランを確認しながらそうつぶやく。
例えば、自衛官が戦闘機を飛ばす際は事前に緻密なフライト・プランを作成するものであるが、探索者のダンジョン潜入もそれに準ずる。
そして、アオイが今回提出したプランによれば、この辺りで引き返す手はずとなっていた。
「今回は、あんまり収穫なかったな……」
散らばったクナイを魔フォンのインベントリに収容し、ついでに、ここまでの成果物を確認する。
ボウズとまではいかない……。
しかし、シケと嘆いても罰は当たらぬ程度の戦果でしかない。
と、その時だ。
――くう。
……という音がお腹から響き、アオイは他に誰もいないダンジョン内であるというのに顔を赤らめることになった。
どうやら、中身が情けないことになっているのはインベントリだけではないらしい……。
ひとまず、ブロック食品でも口にしようかと魔フォンを操作していたが……。
――ズズン!
……今度は、少女の腹の音どころではない。
この地下十一層全域にまで響きそうな轟音と衝撃とが、すぐ近くで発生したのである。
「……これは」
魔フォンをしまい、日本刀を手にしながら警戒態勢を取った。
この地下十一層において、これほどの衝撃を発生させるモンスターはいないはずだが、果たして……。
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「――くそっ!」
迷宮の壁に叩き込んだ拳を引き抜きながら、毒づく。
分厚い壁はクレーター状にへこんでおり、頭上からはパラパラと石の粒が落ちてきている。
何かに八つ当たりしたくて、たまらなかった。
もし、この場へ不幸なモンスターたちが姿を現していたら、俺はそいつらに鉄拳を見舞っていたことだろう。
「選べ……ねえ……!」
両目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
なんという、情けなさであろうか……。
何がトップ探索者だ……!
何が、アガルタのエースだ……!
俺は……俺は……こんなにも……。
「俺は……よええ……っ!」
歯ぎしりしながら、そう吐き出す。
足元には、俺をこんなにも悩ませる存在が転がっている……。
一つは、いかにも分厚そうな油揚げが乗ったうどんの写真と、古めかしい商品名のフォントが力強さを感じさせる赤いパッケージ……。
――赤いきつね。
もう一つは、真ん丸なかき揚げの乗ったそばの写真と、同じく古めかしさを感じる商品名のフォントが頼もしい緑のパッケージ……。
――緑のたぬき。
赤か……それとも緑か……。
こんなにも悩んだのは、子供時代に大流行したゲームボーイのソフトをサンタさんにお願いした時以来である。
「マルちゃん……俺を導いてくれ……!」
どれだけ願っても、それぞれのパッケージに描かれたマルちゃんマークは答えを返してくれない。