17.bothersome.神との対話
懐かしい香りがして、目を開けると、見慣れた日本家屋だった。足元を見ると畳の上にコタツが置かれていた。
コタツ机の上には木のお盆にスーパーで売ってるような簡単なお茶請け、それとコーヒーメーカーが置かれていて、辺りを見回すと古民家っぽい作りだ。じいちゃん家を思い出す懐かしい空気に、軒先まで歩いていく。
空には大きな入道雲が漂っていて、微かな香りに顔を向ければ金木犀の咲く庭で小さな池に鯉が一匹泳いでいる。
ほう、とため息をついた時、停止していた思考が一気に巡る。
突然の環境の変化に一瞬にして混乱がやってきた。
自分がどこにいるのか、まずは状況を把握しないと。
さっきまで、洞窟でシリカと・・・そう、洞窟にいた。それで・・・石碑だ、あれが光って・・・・・・
「やあ」
「うへああああ!!!!!」
思考に入り込んだとき、背後から突然明るく声をかけられて、心臓が縮み上がった。
ドクドクと跳ね回る心臓を押さえつけて、慌てて振り返る。
そこには紫の髪の和服を着た人物が腰を曲げて笑いながら立っていた。手にはマグカップを2つ持っている。
整った顔立ちだが、表情はけたけた笑いなせいでやけに子どもっぽく見えて、女とも男ともつかない。
「うへあって・・・クスクス。ケイくんは相変わらず面白いねぇ。」
「お、おお、お前誰だよ!! ここどこだよ!!」
洞窟から突然、古民家に転移して、ケイはパニックだ。
「ここは僕の家。いいでしょ。僕、ジャパニーズ好きなんだ。」
くるり、と回って見せるのは灰色の着流しだ。男物を着ているということは男なのだろう。
日本贔屓なのはありがたいことだが、奇怪な髪の色と顔の作りのせいで、似合ってない。せいぜいがコスプレだ。
「まあまあ、話の前にお茶でも飲もうよ」
ニコニコと笑いながら、驚いて声も出ないケイの後ろを回って、正面に移動し、ヨイショと呟きながらマグカップを置いてコタツに入るコスプレの人物。
色々と外見詐欺な気もするが、とりあえずケイもコタツに入る。
「お前、誰だよ?」
「僕はラファエル。三柱が神。ラファエルさんだよ〜〜」
コタツでデロッと伸びながら彼・・・ラファエルはそう言った。
まあ、神の石が光って転移したのなら目の前に神がいてもおかしくはない。
なのに違和感がすごいのは、きっと季節外れのコタツと金木犀。それとなぜか茶菓子とコーヒーメーカーが仲良く並んでるところだ。
全部がチグハグでやけにケイの神経を逆撫する。さらに言えば、コタツでくつろいでるこいつの頭がおかしいからだろう。
俺がおかしいわけじゃない・・・そう思いながらケイはため息をついた。
「・・・で、なんで着流し着てんの?」
「着やすくてぇ、楽なんだよ。すごいよね、この作り。考えた人に加護与えたいくらい好き。」
「・・・じゃあここはどこだ?」
「僕の家だよぉ。気に入ってくれると嬉しいなぁ。あ、池の鯉は三日月ちゃんだよ」
後ろでピチョン、と水の跳ねる音がした。
改めて「家」を眺める。
一般的な日本家屋で、なのに半分開いた磨りガラスの向こうはコンロや電子レンジがあって、まるで「和室のある一般家庭」だ。
「この世界はどう〜? 気に入ってくれたぁ?」
いちいち間延びした話し方でイライラするが、あまり短気になるのは良くないな。
ケイの表情で察したラファエルは、サッと手元に寄せたコーヒーメーカーをいじる。
「うん、とりあえずお茶でも飲もうか?」
ラファエルは慣れた手つきで茶筒から黒い粉をすくってフィルターに落として、スイッチをいれる。
コポポポ、と音がして、しばらくすると熱湯が注がれた。コーヒーの香りが強く漂う。
数回深呼吸してから、ケイは質問の続きをしてみた。聞きたいことはたくさんあるけど、まずはこれからだ。
「・・・この世界に俺を呼び出した理由が聞けると思っていいのか?」
「うん。 まずは、あの草原からの帰還おめでとう〜。尊敬しちゃうよぉ」
「なんで!!!置き去りにしたのはっ!!」
バンと机を叩いて立ち上がる。急転直下。いきなり怒りが沸点に達した。
「ごめんねぇ、わざとじゃないんだ、あそこしか君を安全にこの世界に呼べなかったんだよ」
「だからって1人置き去りにするこたねぇだろ!!」
「でもあの子と出会った。」
急にラファエルの口調が改まる。
あの子、というのはスライムだろう。それがなんの関係がある。
「あの子はこの先とても役に立つよ、なんてたって・・・いや、まだ秘密にしておこうか。」
言葉を濁して、にへらっと笑うと、彼はマグカップを差し出してきた。
「さあ、飲みなよ。神様の入れた茶なんてここでしか飲めないよ」
「茶じゃねえだろ・・・」
訝しみながらも、覗き込んだマグカップからは強く香ばしい香りがして、とても懐かしくて、頭が冷えていく。
「ケイくん、お願いがあるんだ。」
「エルフの里で聞いたよ。聞きたくなくても聞かないといけないんだろ?」
「聞かなくてもいいよ。 ただ、そうなるとまた別の人を呼んで世界を巻き戻さなきゃいけなくなる。
それはちょっと避けたいから、聞いてくれると嬉しいな」
下手に出る神様に少し調子が出ない。
マグカップを傾けて、「あちちっ」なんて間抜けな声を出しながら、ラファエルは笑った。
「それを聞いたら俺はどうなるんだ?」
「願いを叶えてあげる。」
マグカップを手にして、懐かしい香りと味にケイはほっと息をついた。
そういえば、エルフの里ではコーヒーが出なかったな。この世界にはないのだろうか。
「・・・何をすればいいんだ?」
「僕の母を救って欲しい。」
「・・・・・・は?」
「僕の母上はライゼアと言ってねぇ、父上にとっても溺愛されてるんだけど、実体を持って顕現した時に、母上のあまりの美しさに他の世界の神様に横恋慕されちゃって。」
まるで親を自慢する子供のようにラファエルは続ける。
「いや、僕を見てわかるように、父上も最高にかっこいいよ? ラブラブすぎてこっちもうんざりするくらいだったんだけど、でも二人とも無知でねぇ、隙を見せたらなんとやら・・・ってやつなの。」
「いや、しらねぇ。ジェイドの方がイケメンだわ」
「でねぇ、その他所の神様が母を寝取っていこうとしてるのを必死に止めてるところなんだよ。」
「無視? ・・・・で、その神ってのは面倒なのか?」
日本では飲み物なんてほとんど飲まなかったのに、こっちにきてから飲み物ばかり飲んでるなぁ。と思いながら、ケイは先を促す。
「神様同士の戦いなら決着の是非はどうにしろ簡単なんだけど、気づいたらだいぶ世界に侵食されててねぇ、僕だけの力じゃもうどうにもできないんだぁ。」
「つまり、世界の危機ってこと?」
「だ〜いせぇか〜い」
呑気に茶をしばきながら言うことなのだろうか。
まあ茶じゃないけど。と、ケイもコーヒーを飲みながら言ってやる。
「あはは。まあ、母上を取られたら世界が崩壊するから、どうしても渡すわけにいかなくてね。
まあ、母上を諦めるなんて、そんなこと言ったら父上がとんでもなく怒るから冗談でも言えないけど。」
面倒なことを押しつけられちゃった、と呑気に笑うラファエル。
「その神を倒せって?」
「いやぁ、そこまで望まないよぉ。僕の力がこの世界をちゃんと守護できるように世界を回って結界を張ってほしいんだ。」
「他には?」
「神の力は、僕には感知できないんだよ。それってつまり、何も見えないところに敵か両親のどちらかがいるってことだよね。
とりあえず僕の加護を与えた御子が君の他にもいて、その子のおかげで父と母の存在は確認できてるけど、まだ肝心の他の神様からの干渉の対策ができてないんだ。邪神への妨害と結界の設営を君にお願いしたい。」
「なるほどなぁ・・・自分だけじゃ手の届かないところの世話をしろってことか。」
「そぉ。結界を張って世界さえ救えたら、両親には大人しくしててもらうよ。どうせ、世界ができたのも僕が産まれたのも、ただの結果で、彼らはもともと二人しか目に入らない人達だから、ね。」
マグカップを傾けながらそう言ったラファエルはなんだか悲しそうで、不思議な親近感を覚えた。
「もちろん、君に対して褒美も用意するよ。」
「・・・・・・どんな?」
意識して動かさないようにしていた表情がぴくりと動く。
ラファエルがこちらを覗き込むように腕を組んで、ニヤッと笑った。
「なんでもいいよ。
元の世界に戻りたいでも。 ハーレムを作りたいでも。国を作りたいでも。
僕は神だからね、この家を見てもらった通り、アースの神とも親しい。すでに終わった命を元に戻すのだって訳はない。
なぁんでもいい。」
「・・・お前の、世界を救ったら・・・・・・地球の人間でも生き返らせられるのか?」
「そりゃ、神だからねぇ。君が失敗しても世界はやり直せるけど、ケイくんの魂はこの世界のものじゃないから・・・。
君はそのまま死ぬ。セーブもロードもないけど、ゲーム感覚でやってみない?」
へらり、と笑ったラファエルにケイは顔を歪ませて睨む。
「それで、俺が力を貸すとでも思ってんの?」
「思ったから、君を選んだ。」
うってかわった真剣な眼差しに、ケイはぐっと息を詰めた。
この男は自分のことをどこまで知ってるのだろうか。
不快感で嫌な汗が出る。
「君の人生のことなら、なんでも知ってるよ。
あの人とどんな風に心を通わせていたかも見てきた。」
にこり、と笑う。その笑みは嫌に神様然としていて、嫌だった。
「他人に分かってもらおうなんて思ったことはない。不愉快だ。」
睨んだけれど、ラファエルは優しく微笑んだまま、続きを口にした。
「あの日の後から君がどんな風に心を閉したかも、それから歩んできた日々も、僕は見てきたよ」
聞きたくないと思った。それでもなお続く言葉を遮りたかった。
「他人に感情を見られるほど表に出したつもりはない!!」
「死にたいと思っても絶望に浸る暇がないほど君は懸命に生きてきたね。」
目を固く瞑って、ラファエルの言葉を閉ざすように頭を抱え込む。
「世界はなんて非情なんだろうね。生に繋がれるにはあまりに弱くて、捨てるには惜しいほどの希望があった。」
頭の中に流れるのは優しいあの人の笑う声だ。左目の端から涙がこぼれた。
「捨てたくても捨てられない、たった二つの選択肢すら選ぶことができない弱い人間。それが君だ。」
ケイは神の言葉を遮るためにもう一度聞いた。
「やり遂げたら、願いを叶えられるのか・・・?」
「叶えよう、なんだって。」
悠然と神様らしくラファエルは笑った。
結界を張る。
それだけで世界が救われるなら、やってみる価値はあるだろう。
どうせ、とっくの昔に捨てたつもりの命だ。
望むことすら許されなかった望みのためなら、この命をもう一度やり直したって惜しくないだろう。
「やってやるよ」
ケイは断りもせず机の煎餅を手に取ってかじった。懐かしい味だ。この演出さえ、狙っていたのだろうか。
あの庭の金木犀も、コーヒーに合わない茶菓子も、ケイにとってはずっと慣れ親しんだものだった。
「辛いかも知れないよ」
「・・・いいよ。どうせ老後だと思って生きてきた命だし。人の役に立つのも悪くない。やり遂げたら願いも叶うし。」
「そっか。じゃあ、よろしくね」
失敗しても、結果は変わらない。利用されてやろう、利用してやろう。
あの人を取り戻せる機会がやってきた。
それだけで、ケイには生きる理由になるし、闘う理由も十分だった。
心が擦り切れるほどの絶望を抱えながら、それでもクソみたいな世界を捨てられずに生きてきた。
ずっと、叶わない願いを願っていた。
こんな腐り切った命でも、捨てなくてよかったと産まれて初めて思えた。