本当にありがちな怖くない幽霊の話
「凜ちゃん、あのね、ありがとう」
彼女は私にお礼を言ったのだ。その真意は全く分からなかったけれど。
何故か、その言葉はストンと私の中に落ちた。マーちゃんが私のことを考えていったのか、それとも本当に事故のことを言っているのか分からなかったが、視界が急激に開けたというか、そんな清々しさがある。
一つだけ、たったの一つお礼を言われただけで、こんなにも自分が救われるとは夢にも思わなかった。
「私はね。初めて会った時からずうっと凜ちゃんに助けてもらってたんだよ」
知らなかったでしょ。というように彼女ははにかんだ。
「私のね、初めての友達が凜ちゃんでよかった。皆がやっちゃいけないよ、っていうこと全部凜ちゃんに教わったの。それに私運動が苦手だったから、ずうっと凜ちゃんに憧れてた。まちばーにあったのだって凜ちゃんがいなきゃあできなかったんだよ」
マーちゃんの言葉のひとつひとつが私をほどいていくかのように心地いい。気恥ずかしい思いも後ろめたい思いも吹き飛ばして私は少し泣きそうになっていた。
「怖いことだって二人ならできた。私たちって最強だよ。絶対」
冗談などではない。昔は本当にそう思っていた。
「だから、私の未練もここに来た理由もこれ。凜ちゃんにね、ありがとうって伝えることだったんだ」
私たちは死んでいる。だから生者の世界に来るのに「遊びに来た」なんて理屈が通るわけもないのだ。きっと何かしらの理由があるはずなのだ。マーちゃんの場合はそれが私ただ一人だった。
そしてこれは、マーちゃんが私に示してくれた一つの答えなのである。何かを残すばかりが生き方ではないと。そう訴えかけてくるのだ。
そして私の未練とは死んだことへの後悔そのものである。その証拠に今、体中の感覚がなくなっているように感じる。
「私もさ、毎日マーちゃんに憧れてた。皆と仲良くするのも、どんなことも本当に楽しそうにやってるマーちゃんみたいになりたいなっていつも思ってた」
容姿のことは言わなかった。私だってちょっとは悔しいのだ。でもそれは本当のこと。
「そっか。じゃーお揃いだあ」
そう言ってはしゃぐ彼女を横目に私はあることを思いついていた。
「マーちゃん! 叫ぼ!」
未練である。一度でいいから村中に届くような声で叫んでみたいと話していたころがあった。マーちゃんは教育上そんなことは許されないし、大人からの嫌われものな私は何を言われるかわかったもんじゃない。今ならできる。そう思いついた瞬間、私は湖のほとりに走りだしていた。マーちゃんもニタリと笑ってついてくるのを肌で感じた
誰にも怒られることがない。きっと、村の誰にも届かないのだろう。私たちは声の限り叫び続けた。村への不満、友達への思い。両親への思い、死後についての不満、将来の夢。疲れることは無いし、叫びたいことを叫ぶと何か心の底から楽しいと思うようなものがある。特にマーちゃんがバーカとかアホオだとか言っているのは新鮮でとても可笑しかった。
ついに叫びたいこともなくなってしまったので、私たちはそのままそこに寝転んだ。これだっていつもなら服が汚れるからと村の人間に怒られるものだ。知ったことではない。
ただひたすらに話した。とりとめのないような、ばかばかしい話から楽しい話も、内容は関係なく時間を忘れて私たちは話し続けた。
「わたしね、やっぱりこの村が好きなんだと思う」
「えぇ。なんで? うるさい人ばっかじゃん」
「人っていうか、私、ここにきてから今までずっと村の天気とか風だけは感じてたの」
「それって私と一緒だ。最初とかずうっと暑かったね」
「お揃いだねぇ」「うん、お揃い」
そうこうしているうちにさっきまでうなだれていた父と母がやってきた。最初は聞いているだけだったのだが、やがてポツリポツリと喋りだすと私たちはとてもうれしくなるのだった。
「ねえ、お父さんそろそろお酒の量減らしなって」
「うん」
「それにお母さんも。私がいなくなってもお酒増やしちゃだめだよ。」
「わかった」
「マーちゃんも言っってらあね。元気でって。元気でいなきゃだめだよ。見てるからね!」
「気を付けるよ」
そのほとんどが生返事ばかりだが、私たちの話はちゃんと聞こえているようだ。
しばらくすると公園の電灯が消えた。広がったのは一面の星空である。きれーだねぇ、そうだねえなんて話していると、後ろのほうから足音が聞こえてきたので振り返ってみれば、そこには月明かりに照らされたまちばあが立っていた。
「まちばあ! どーしたんこんな夜中に」
「あんなに声が聞こえたんじゃあ眠れんからさあ。最後に会いに来たよ」
「まちばー私が朝いなくなるの知ってるん?」
「そういうこともあったってことだよ」
「ふうん」
まちばあも加えて、私たちはだらだらと会話を続けた。もはや私は体中の感覚を失いかけていたが不思議なことに口だけは動き続けていた。
「あーあ、せっかく生き返ったのに全然遊べなかった」
「しょうがないよ。だってまちばあと話してたんだもん」
「ずいぶん失礼なことを言う。親の顔が見てみたいもんだ」
「あいにく暗闇だから見えませんね」
「そうだな」
「でもまちばあ、ごめんね。来年は私も来れるかわからん」
「いいよ。そんなもん誰だってそうだ」
ゆっくりと時間が流れる。本当にゆっくりと。
ついに口がきけなくなっているのに気づいたときは少々焦りもしたが、みんなの声を聴くだけなのもまたよかった。何も考えずにただ耳を澄ませる。それだけで嬉しかった。
両親の声は微妙に震えていたし、マーちゃんの声はかぼそくてほとんど聞き取れない。それでもうれしいのだ。まるで体が地面と一緒になって沈んでいく感覚、うっすらと聞こえる声の中で私はいつの間にかその様子を俯瞰していた。皆で横一列になって倒れこんでいる三人の体はみんな私たちのいた場所に向いており、優しい顔をしていた。
私はこの一日のすべてのことに思いをはせた。そうして、それから湖のほとりに並んで寝転ぶ5人を見てみた。果たしてこれは何だろう。答えはすぐさま出てきた。
そうか「幸」か。
嘘偽りのない「幸せ」の中で私は暗い海の底へ深く深く意識を沈ませ、いつしかそれを見失った
以上です。ありがとうございました