異変と真実
「二人とも勝手すぎるんだよ、ほんとうに」
何がちょっと聞いてみたくってだ。どうせ村のみんなに聞いて来いって言われたにきまってる。そりゃあ聞いてみたい気持ちも分かる。なんせ村のみんなで可愛がってきたのだ。どんな日々を過ごしているのか気になるところもあるのだろう。でもマーちゃんはそんなことを聞かれたいわけじゃないのはわかりきっている。私たちに会いに来てるのだ。死後の世界の話を執拗に聞いてどうするというのだ。
わが親ながら非常に情けない。食事を楽しむ気概もないような親だっただろうか。
「そんなことないよ。二人ともきっと本当に聞きたかったんだと思う」
「死後の世界を? ないない。あんだけ健康を顧みず酒を飲む大人がそんな訳ないって」
マーちゃんは少し困り眉をして逡巡したあと、
「そういうことじゃあないんだけどなぁ」
と妙に悲しげな顔をしてしまったので私は焦ってしまって
「ごめん、怒った?」
マーちゃんはごくたまにこういう表情をする。それは主に他人を貶める発言をした時であるが、今のに関してはマーちゃんにしても少々敏感すぎるような気もした。
「ううん。怒ってないよ。大丈夫だから」
そうはいっても困り眉のままなのだからいただけない。昼間から気になってはいたのだが、今日のマーちゃんはいつにも増して読み切れないところがある気がする。
「ごめんね」
そんなことを考えていたら、急にマーちゃんが謝ってきた。何が、と返すと
「何も言えなくて」
うん、そうだね、とはいわない。彼女が教えてくれないのは言わないんじゃなくてきっと言えないのだとしっている。
「言わなくていいよ」
言わないでほしかった。理由もなく、ただ何となく聞いてしまえば楽しい時間は消えてしまうとなぜだか思えてしまうのだ。
今日が終わってしまえば、明日にはもう消えてしまうのだろうか。マーちゃんにはまた会うことができるのだろうか。昔、小学校一年生の時にマーちゃんと出会ってからの10年近くが脳裏を駆け巡る。思えば彼女は出会ったころからどこか可憐さが可視化されているようであったので男女問わず人目を引いていた。その美しさに嫉妬も憧れもしたが、気づけばいつだって隣にいた。
「ねえ、マーちゃん。夜更かししよっか」
何故か眠りさえしなければ今日が終わらないような気がして、私はそんな提案をしていた。
「いいねー。もうずうっと夜更かししよう」
クスリと笑うと向こうも笑顔を返してくれたので、心の底から安心することができたし、彼女も同じ気持であったことが何よりもうれしい。
私たちはそれからしばらく毒にも薬にもならないような会話を続けたが、夜更かしをするのなら先にトイレを済ませておきたいとマーちゃんが言うので一階に降りることを余儀なくされた。
私の家の構造上、トイレに行くためには居間を通過しなければならない。先ほど両親から逃げてきた私にとっては不本意極まりなかったが、結局は背に腹は代えられない。
一階に降りると両親が大声でけんかをしていた。
「ねえ」
私が声をかけると両親がピタリと声を止めた。それはまるで息まで止めたかのような静まり方で、普通の人間なら何か不気味なものを感じるほどであろう。
しかし、私はそんなものを感じなかった。私は、その両親の顔を見てすべてを察してしまったから。
母は泣いていた。体中の水が一点から零れ落ちているような涙だった。なにかに怯えるようなその表情にはいつもの凛とした母はいなかった。
父も泣いていた。彼の顔は真っ赤に紅潮し、顔のパーツがぐちゃぐちゃになるほど顔を歪めて、恨みを込めるかのように歯をかみしめていた。
「ねえ。マーちゃん。トイレ、先に行っててよ」
振り向くとマーちゃんが本当に辛そうな顔で大きく首を振るので、私はもう耐えることができなくなって玄関に走りだした。
靴もいらない。ましてやトイレなんて行く必要もない。私は走った。足の裏の痛みなんて感じない。やがて体の熱さすらも何も感じなくなった。
夏だというのにやけに寒さを感じた。体の芯から体温が奪われていく感覚。まるで、そう。
死人のように。
「わかるよ……こんなの」
知っている。私はこういうのがうまい子供だった。自分の生傷も、腐った感情も何もかもに、私は気づかないふりをしてきたのだ。
後ろから三つほどの足音が聞こえた。気づけば近所の大きな公園の湖のほとりまで来ていたらしい。小さな波の音が心地よかった。
振り向くと、息一つ切らしていないマーちゃんが立っていた。
「相変わらず、足が速いねえ」
そういう彼女の姿は電灯に照らされて、まるで舞い降りた天使のようだった。
「ねえ、凜ちゃん、よく見て」
そういうとマーちゃんは服をひらひらさせながらその場で一回くるりと回った。察しがよいらしい私は、電灯の下彼女がうっすらと見えにくくなっていることに気づいた。
「たぶんね、朝日と一緒に消えるの」
なんとなくわかっているはずだった。これも気づかないふりをしていた。ずいぶん前からそうしていた。
「凜ちゃん、私はね、凜ちゃんに会いに来たんだ」
名前を呼ばれるたび、自分がいないものだという感覚が強くなる。名前を呼んでくれないことも気づいていた。
道すがらいつも声をかけてきてくれるおっちゃんがすれ違いざまに声をかけてこなかったことも。まちばあが死者といったとき私たち二人ともを見ていたこと。母が驚いていたのはマーちゃんではなく私の姿であること。味のしない総菜。汗をかかないからだ。
「ねえ凜ちゃん聞いて」
聞きたくない。言わないでほしい。そんなことばかりを考えて、ここまで逃げてしまった。
「私の起こした事故の日、凜ちゃんは私を助けようとして」
だから、これはきっとそれが許されると信じたことへの報いなのだろう。
「死んだの」