そして落ちる音を聞いた
後ろ手に鍵を掛けるというのは、思った以上にやりにくいものだな、とどこか冷めた頭で考えていた。
当たり前の距離に意味がないと気付いたのは、紛らわせない寂しさからだった。だから俺はその距離を縮める決意をした。今更なにをと自嘲が浮かんだけれど、酷いことはしたくない。それでも、想像に描いた傷口のぶんだけ、彼と俺の距離は1ミリ近い。
酒か、薬か、両方が功を奏したのか、どちらにせよ獲物は深く眠っているようだった。薄手のセーターの上から掴んだ腕は空調のせいであたたかい。袖を捲って、見慣れた手首に錠を掛けて、片方はベッドの脚に繋げた。鈍い色にはだいろが反射して、いつの間にか荒れていた息を呑む。金属のにおいが肺に落ちていく。
これで彼は俺のものだ、という実感が生々しく背骨を伝う。震える手で髪に触れれば、彼はちいさく息をした。まだなにも知らないひとは安心しきった寝息をこぼしている。それが俺のせいで歪めばいい。気持ち悪いと吐き捨てて、蔑んだ眼でそれでも無理矢理俺に愛されていてほしい。
この行いが正しくないなんてことは自分でも解っていた。選び抜いた手錠を買った時、彼を家に呼ぶために受話器を取った時、粉にした睡眠薬を混ぜた料理を出した時、酒をすすめた時、眠っている頬を撫でた時、心が汚れていく度に、深い傷口を抉る快楽が俺を墜としていった。
再び頬に触れて、そのままてのひらまで手を落とす。持ち上げれば鎖が音を立てた。深爪の指を口に含んで、少し荒れた爪を舐めてから、指の付け根を強く噛めば彼は肩を震わせて、今度はまだ少し寝惚けている戸惑いを漏らした。
「……え、なに」
「ああ、おはようございます」
問いかけを無視して唇を離して、掴んだ手を見せつけるように持ち上げる。
「今日から、ずっと一緒にいましょうね」
「は……?おま、」
続くだろう言葉を遮って唇に貪りついた。拒絶されると思っていたのに思いの外はやく受け入れられた舌を巡らせれば薄くアルコールの味がした。
拒む手に応えて距離をあければ、はあはあと肩で息をする身体があった。俯いているせいで表情は解らないけれど、それが絶望にまみれてくれているよう願って瞬きをする。
その一瞬だった。
目を開けた先、その人は笑っていた。拒絶でも、諦めでもなく、ただいつもと変わらない笑顔に薄暗いなにかを潜めて、彼は笑っていた。
「、なんで……?」
目の前で惑う姿をみとめた彼がゆっくりと綿のように微笑んだ。瞳には、撃ち墜とされていく俺がいつまでも青褪めたまま映っていた。
「おそかったねえ……ずっと待ってたよ」