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Memories

作者: 玉響



 幾千万の雨粒が僕を取り囲む。けれどそれらは刹那、地面に叩きつけられてアスファルトの染みと化してしまう。そしてやがてそう時間のたたないうちに干上がってしまうのだ。






 「・・・大丈夫?」


 僕は気遣わし気な、それでいて柔らかな声にふと我に返った。声の主は病院のベッドに横たわった老齢の女性。隣には僕をう胡散臭さそうな目つきで見ている旦那さん。今回の依頼主はこの老夫婦の孫娘だった。


 「すいません、ボーっとしてしまって。」


 曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すと、僕は依頼内容を確認するためにスマホを開いた。


 「今回の御依頼は秋田から北海道への旅一連の記憶ということで承りました。五日分の記憶なので料金は五万円と旅費です。」


 僕が簡潔な説明をしている間、奥さんは孫を慈しむような表情をしていたが、事務的な僕の口調イライラしたのか旦那さんはずっと貧乏ゆすりをし続けている。


 「阿漕な商売しやがって・・・。」


 ついに旦那さんの口の端に悪態がこぼれるが僕は気にせずに説明を続ける。


 「明細はこちらですので受け渡しの後に現金でお支払い下さい。よろしいでしょうか?」


 「えぇ。分かったわ。よろしくお願いするわね。」


 手書きの明細書を渡して奥さんの了承の得ると、シャーペンが挟まれたページと開いたメモ帳をベッド脇の机に置いた。


 「それでは始めます。僕の手を握ってください。」


 僕が手を差し出すと、奥さんは皺だらけの手をそっと僕の手に重ねた。


 僕は目をつむると深呼吸を繰り返して、記憶のデータベースへアクセスをかける。呼吸を繰り返すにつれて僕は病室からだだんだんと離れて記憶の海にたどり着くのだ。


 富良野、ラベンダー畑、フェリー、ソフトクリーム・・・カギとなる言葉を順番に検索をかける。そうして今までの記憶を散らばる海の中から五日間のピースを探し出して嵌め込むように完成させていく。


 秋田の田舎町、地元住民しか使わないような無人駅の時刻表。電車に揺られながら食べた冷めたおりぎり。すれ違った親子が持っていた傘の柄。フェリー乗り場の喧騒。船べりにひっついた名前もわからない虫の脚。地平線から威風堂々と現れた太陽。ふ船着き場に停めてあった古いワゴン車のナンバー。銭湯で隣のオジサンが顔を拭いた回数。旅館のシーツの匂い。無言で見つめた星々の色。借りた自転車の錆の位置。何にも邪魔されない青空に浮かぶ雲。ラベンダーの紫の味。


 五日間のうちにあったすべての記憶が恐ろしく鮮明に同時に僕の頭で再生され、脳の酷使から引き起こされた激しい頭痛と吐き気がそれを邪魔する。


 記憶で霞む視界の中で足元に用意しておいたごみ袋に一度胃の中身をぶちまけると幾分か楽になる。しかしそれも一瞬のこことですぐに脳の血管が破裂しそうな痛みが襲ってくる。


 それでも僕は握った手を離さない。


 やがて意識の舟がだんだんとゆっくりと海を離れてくると、痛みが去り、僕は朦朧としながら病室へ戻ってくる。


 誰かが背中をさすってくれている。しかしそれが誰だかわからない。体がえらく怠い。数分間は嫌な汗をかいたまま目を閉じたままじっとしていた。


 「乙森さん、乙森さん。」


 名前を呼ばれながら握っていた手を引かれて僕はようやく目を開けた。奥さんが僕の手て手を握ったまま不安そうにこちらをのぞき込んでいた。


 「坊主、お前・・・。」


 背後からの声に振り替えると、不器用な手つきでまだ背中をさすってくれていたのは旦那さんだった。


 「すげぇ顔色だぞ?休んだ方が・・・。」


 「いえ、もう終わりました。醜態を晒してすみません。」


 短く謝ると僕は奥さんの方に向き直る。そして脇に置いてあったメモ帳を確認して最終確認を始める。


 「これで記憶の譲渡は修了しました。僕が決めたキーワードを口にすればいつでも記憶を引き出すことができます。」


 「キーワード?言うだけでいいのね?」


 「はい。ただし強く心の中で念じたり、他の方が口にしたりししても強制的にフラッシュバックが起こります。」


 強制的に、と聞いて後ろで旦那さんがまた貧乏ゆすりを始める。


 「分かったわ。そのキーワードを教えて頂戴。」


 「キーワードは・・・ラベンダー畑。」






 僕は現金の入った茶封筒と「20××/9/1ラベンダー畑」と記されたメモ帳を手に病院を後にした。


 「ラベンダー畑・・・うちのトイレの芳香剤の匂いしかわかんないなぁ・・・。」

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