この癌を
この癌を、だれか殺してはくれないか。
何度熱で焼き殺そうとも、
気づくと転移して、
また別の場所を蝕むこの癌を。
「無気力」は最強の癌である。
三大欲という特効薬ですら、
この病に打ち勝つことができない。
自分だけでなく、周りも巻き込む。
まるで、ウィルス性の癌のようだ。
どこが痛いのかわからない。
きっと、心にも
「無痛」の
内蔵のような器官があって、
日々、小さな積み重ねでやられているのだ。
それが努力であったなら、
エベレストのような山になった「かも」。
「もし」かしたら、
だれかを救う結果を残したかもしれない。
「かも」「もし」と言ったところで、
タイムマシンが発明されなければ、
生産性のない後悔とするか、
明日への教訓とするか、
忘れるか、
人は選ぶことになるんだろう。
癌の形……というか、鬱を患っている人間のイメージを想像するとこうだ。
まず、猫背でぼんやりと立っているようにみえる人間と、
その数百メートル先でわいわいと騒ぎ、
笑いながら前を歩く大勢の人間たちがいる。
猫背はぼーっとその後ろ姿を見つめている。
しかし、ぼんやりと立っているようにみえて、
その人間、実は結構焦っていた。
なぜならその人間は、
ドラゴンボー◯や、
HUNTER◯HUNTERで、
修行として着用していたような、
重い服と、靴と、ついでにリストバンドが、
重力に逆らわないために持ち上がらなくて
猫背になってしまっている。
動けば動くほど、疲労し、困憊するのだ。
大勢の「普通の人たち」に目をやりながら、
おいていかれそうになるのを理解しながら、
自分の状況をもどかしく思っている。
そう、癌の正体とは
重いリストバンドのことなのだ。
服は無痛だ。
心に無痛の部分があるというより、
想像しやすい気がしてきた。
では、この服は一体どうして
期せずして着用してしまったのか?
着てしまったなら、どうすればいいのか?
ところで、「服は無痛だ」と言ったが、
逆に考えると、ただの服だと思ってしまえば、
話はいたってシンプルになる。
本物の癌とちがって、
その重たい服(無気力)は体の一部ではない。
脱げるのだ。
脱ぎかたをしらないだけで。
そのやり方は人によって様々かもしれない。
破いたり、火であぶったり、乱暴な方法で
服を壊す人もなかにはいるだろう。
でも、確実に言えるのは、
「癌」も「無気力」も、
人間に生まれもってついてきたものではない。
※悪さをするのは悪性の癌ですね
心臓ではないのだ。内蔵なんかでもないのだ。
他人の助けを借りて、取り除くこともできる。
あなたは「無気力」なんて言葉も
なにも知らないままで生まれてきた。
赤子はやる気をもって生まれてこない。
けれども、愛される。生きているだけで。
生まれて今まで生きてきた過程で、
いろんな経験を経て(服を着て、髪型を変えて)、
挑戦した分、期待した分、
ただ、自分、周囲への失望がたまり、
形となって心に現れたのだ。
どんな形であっても、生きていていい。
そう考えると、
私も息ができる気がする。