ツンデレパンデミックが起こっているのです!
「おはよう春人。もう朝よ」
「うん……?」
肩を突かれて目を開けると、母さんが隣で寝ていた。
ん? あれ? なんで母さんが僕のベッドに入って……?
「うわあああああ!?」
僕は慌てて立ち退こうとしてベッドから転がり落ちる。いてて、と痛む頭を押さえようとして気がついた。
高校生にもなって、母さんと一緒に寝るはずがないじゃないか。つまりさっきのは……、
「夢、か……」
「なに言ってるの? 夢なんかじゃないわよ」
「え?」
聴き慣れた声につられて振り向いてみると、ベッドでは母さんがエプロン姿のまま寝転がっていた。なにゆえ!?
「母さんなにやってんの!?」
「何って、見てわからないの?」
この状況で何がわかるというのか。
母さんはゆっくりとベッドから起き上がると、
「起こしに来てあげたんじゃない。ここまでしてあげてるのよ、ちゃんと母さんに感謝なさい」
「あ、ありがとう……じゃないでしょ!? なんで僕を起こすのにベッドに入り込む必要があるのさ!?」
ドヤ顔で胸を張る母さんに、たまらず声を上げる。
ていうか、なんかツンデレっぽいこと言ってるし、頭でもおかしくなったんじゃないの!?
「はあ。じゃあ、ちょっと着替えるから出てってよ」
シッシッ、と手で払って部屋から出て行くように促す。
母さんが変なことするせいでもう疲れたよ……。
しかし母さんは一歩も動こうとせず、むしろ不思議そうな表情で、
「もうこんな時間なのに、全然余裕そうね?」
「ん? それ、どういうこと?」
「どうも何も、もう八時過ぎよ?」
「えっ!?」
僕は慌てて机にあったスマホを確認する。
時間は……八時五分。
……。
「寝坊したあああああ!?」
もう遅刻寸前じゃん!? 皆勤賞もらえなくなったらどうしよう!?
てか、この母親は今の今まで起こさないで何やってたんだ!?
「母さん、なんで起こしてくれなかったの!?」
「だから起こしたじゃない。……さっき」
「それ意味ないよね!?」
ああ、もう!
僕は大急ぎで部屋から母さんを叩き出し、最低限の身支度を整えて玄関から飛び出した。
「行ってきます!」
「ちょっと待った! これ、お弁当よ」
母さんに呼び止められ、足を止める。
……母さんに呼び止められ、足を止める。
僕の起ベッド潜り込む前に作っておいてくれたのかな?
母さんのせいとはいえ、朝ごはんが食べれなかったからすごく助かる。
「ああ、母さんありがと……う?」
礼を言ってお弁当を受け取る……が、妙にふんわりとした触り心地。
見てみれば、渡されたのは一斤の食パンだった。
何にも包まれていない一斤丸出しの食パン。
これを持ってけと!?
「安心して。食パンの中には私の愛がたっぷり詰まってるわ」
「それのどこに安心する要素があるのさ!?」
むしろ安心できないからね!? って、こんなことしてる場合じゃなくて!
僕は渡されたお弁当(食パン)を母さんに押し付けて、
「とりあえず行ってきます!」
「べ、別に春人のために用意したわけじゃないけど、持ってってくれるなら持ってってくれても——」
母さんの言葉を遮り、扉を閉める。もうこれ以上母さんの奇行に付き合ってられるか……っ!
それにしても、母さんやけにツンデレみたいなことばっか口走ってた気がする。やっぱり、頭でもおかしくなったんだろうか?
っと、それより今は……。
「もう時間ないや。急がないと」
僕は一旦考えるのをやめて、全速力で学校へ向かった。
☆☆☆
「はああ、疲れたー」
昼休みのガヤガヤとした喧騒を耳に、僕は自分の机に突っ伏した。
あの後、全力ダッシュのかいあってか、なんとか滑り込む形で遅刻を免れた。つまり、僕の皆勤賞は守られたのだ!
……代わりに、今日の体力が犠牲になったけどね。
「春人、体力なさすぎじゃないか? まだ昼休みだぞ?」
朝のことを思い出しながら一人ホクホクしていると、どこからか声をかけられる。軽くバカにしてくるような聞き覚えのある声。
顔を向けてみると、弁当を持った背の高い男が僕を見下ろしていた。
「なんだ、やっぱり総司か。朝から全速力で走るはめになったんだから、仕方ないでしょ」
彼の名前は市川総司。
青の強い藍色の髪に切れ長な目、鼻筋も通っており、その上高一にしては身長が高く百八十センチもあるという高スペックぶり。
その割には成績があまりよろしくないみたいだけど。
総司は空いていた前の席に座り、お弁当を広げると、
「それくらいで? お前、やっぱり体力なさすぎだろ」
「うるさいなー。朝ごはんも食べないで、だよ? そんなの誰でも疲れるって」
むしろこれで疲れない人がいるなら見てみたいくらいだよ。
さて僕も食べようかな、とカバンを開いたところで思い出した。
そういえば、今日お弁当置いてきたんだった……。
「仕方ない。ちょっと購買行って食べ物買ってくる」
「ん? 弁当忘れたのか?」
「うん、朝ちょっと色々あってさ」
思い出したくないことがね。
「ふーん、いってらー」
「はいはい、行ってきますよーっと」
と、立ち上がったところでガラリと扉が開いた。
見てみれば、入ってきたのは肩から金髪のサイドテールを垂らしたお嬢様だ。その少し大きな目に反し口と顔は小さく、どことなく幼さが残っている。
彼女は何かを探すようにきょろきょろと見回すと、
「私、隣のクラスの御神楽希という者ですが、綾橋くんはいらっしゃいますか?」
え、僕? な、何かしたっけ……?
見当がつかず戸惑っていると、総司が声を落として、
「おうおう。学校一の美少女様がこんなやつに何の用かねぇ?」
「こんなやつってなんだよ! ていうか、僕も心当たりなんてないんだけど」
御神楽さんといえば、学校一の美少女で有名なはず。たしか、どこかのお嬢様とかって噂も聞いたっけ。
なんて考えているうちに御神楽さんは僕のことに気がついたようで、静かにこちらへ歩いていた。
「こんな時間にごめんなさいね、綾橋くん」
「へ? は、はい」
「その、今日の朝方、綾橋くんが大変そうだと聞いたもので……」
そう言って、彼女は肩にかけていたカバンをごそごそとあさり、
「至急、こちらを取り寄せたの。よ、よかったら使ってもらえないかしら?」
プロテインを手渡してきた。
ずっしりと重く、見ただけでも高級なものだとわかる。てかこれ、多分一キロは軽く超えてる。
「わ、私の愛がたっぷり……あ、いえ! なんでもないわ!」
いや、何言ったかモロ聞こえてましたけど……。
とはいえ、こんな高価そうなものもらうわけにはいかないよね。
「あの、御神楽さん。さすがにこれもらえな——」
「ああ、先に言っておきますね。それ、綾橋くんのためだけに取り寄せたので、受け取ってくれなかったり他の人なんかにあげたりしたらこうなりますよ?」
彼女が茶目っ気たっぷりに言うと、ボトリと何かが落ちる音が聞こえた。なんだろう?
床を見てみると、クマのぬいぐるみだったであろうものの胴体が。恐るおそる顔を上げてみると、御神楽さんの手にはぬいぐるみの頭の部分が握りつぶされていて……。
「……アリガタクチョウダイイタシマス」
「それは良かった! それでは、また」
御神楽さんはにっこりと嬉しそうに破顔すると、ぺこりとお辞儀をして教室から出て行った。
……贈り物を返そうとしたら命の危機を感じるってどういうこと?
「み、御神楽って意外と怖いところあるんだな……」
先ほどまで黙りこくっていた総司が、引きつった顔で呟いた。
さっきから妙に静かだと思ったけど、理由はそれか。僕も命の危機を感じたけど。
「そうだね、ちょっと意外だったよ」
「ちょっとどころじゃないだろ……」
「あはは……。と、とりあえず購買行ってくるね。食べる時間なくなっちゃうし」
「さっきもらったプロテインで済ませれば?」
「いや、プロテインは家に持って帰るよ」
手放すことができないとはいえ、食べるのはちょっとはばかられるからね。それに普通にご飯食べたいし。
今度こそ購買へ向かうべく立ち上がると、再び扉が開く音が聞こえた。
あれえ? なんか嫌な予感がするぞう?
「綾橋君はおるかの? べ、別に何か用というわけではないのじゃが……」
今度は校長先生!? しかもまた僕!?
……いや、よく見てみたらその後ろにも何やら人影が。五……いや、少なくとも二桁はいる。
さっきの御神楽さんのこともあったし、ほんとに嫌な予感しかしないんですけど。
『ち、遅刻しそうと聞いたから様子を見に……ではなく! ストレスが溜まったからサンドバックが欲しくてな!』
『べ、別に心配とかじゃないけど、調子が悪いって聞いたから来てあげたのよ! 感謝しなさいよね!』
『キュキュ、キュッ!(俺を愛でる権利をくれてやろう! さあ、存分に愛でるが良い!)』
ゴリ先生が愛称の剛力先生に、最近来たばかりの教育実習生……って、ウサギの鳴き声も聞こえたんだけど。まさか、学校で飼ってるウサギのキーちゃんまでいるの!?
これもう異常事態どころじゃないよね!?
待って待って待って、ちょーっと待って。
まさかとは思うけど、あの人たち全員の対応をするの? ははははは、冗談でしょ?
なんて現実逃避しているうちに、先ほどの集団がぞろぞろと僕の方へ向かってくる。
どうしようどうしようどうしよう……。
苦し紛れに、先ほどまで一緒に話していた総司に、助けてくれと視線を送ってみると、
「はいはーい、綾橋くんの席はこちらでーす。並んで、順番にどうぞー」
「求めたのはそれじゃない!!」
「……(グッ)」
「いや、グッドラック……みたいにサムズアップしないでくれる!?」
ちくしょう、総司なんかに頼った僕がバカだった!
このままじゃ、昼ごはんどころかこの集団の相手するだけで昼休みが終わっちゃう……!
どうにか回避できないかと考えを巡らせているうちに、ぐんぐんと彼らは近づいてくる。
そして今にも僕に話しかけようとした、そのとき。
——ピンポンパンポーン
『一年D組の綾橋春人君。至急化学室に来るように。繰り返します。一年D組の——』
校内放送か! 誰だかわからないけど助かった! たとえ向かった先で叱られるとしても、この集団の相手をするより百万倍マシだ!
「じ、じゃあ呼び出しがあったので僕はこれで……」
「ぬ。わしらより呼び出しを優先するというのか?」
いや、当たり前でしょ。何が嫌でこんな面倒なこと——
「わし、校長なのに……」
露骨に肩を落とし、しょんぼりと呟く校長先生。
こ、ここは聞こえなかったことにしよう! スルーだ! スルースキルを使うのだ!
「まあよい。急いで向かうが良い。け、決して! 綾橋君の評価を気にしているわけではないからの! 決してじゃ!」
なんでそのセリフを普通にいえないんだろう。
思わず引きつりそうな顔を隠しつつ、僕は一目散に教室から抜け出した。そのまま化学室へ向かって足を進める。
あんな未練がましい視線を送られて、居心地の悪い場所になんかいられるか!
『……帰ってきたらサンドバックじゃ済まさないからな(ぐすん)』
『せっかく百万円持ってきてあげたのに……』
『キュ……(けっ、使えない野郎だぜ。べ、別に悲しくなんかねーけどな!)』
ふはは! 残念だったな! そんな声を出したって意味なんて——って、ちょっと待った。今、百万円と聞こえたような……?
「……」
い、いやきっと聴き間違えだろう。そうに違いない。べ、別に今から戻ってもカッコ悪いから、とか思ってるわけじゃないけどね!
それにしても、今日は一体どうしたんだろうか? みんなの僕に対する態度、どうにも不可解だ。
総司……は例外として、母さんに御神楽さん。校長先生やキーちゃんだってそうだ。
母親、友人、教師。それに動物?
僕たちの関係はごく普通だったはずだ。間違っても、あんなツンデレみたいな言動をされる間柄じゃない。
何かあったんだろうか?
しかし、いくら考えても原因などわかるはずもなく。気づけば、目の前には化学室の扉が。
ひとまず考えるのは後だ。まずはこの呼び出しを済ませてしまおう。
こんこんとノックをして中へ入る。
「失礼しまーす」
入ってすぐ目に入ったのは、百二十センチくらいの髪の長い幼女。純白の白衣を着て椅子の上に立っているが、サイズが大きいのか白衣の裾が地面についている。
そして、一際目を引くのは顔につけている奇妙な仮面。のっぺりとした真っ白い仮面に、亀甲縛りの柄が描かれている。
こんなに小さいのにSMが趣味なんだろうか? ……冗談でしょ?
「よぉーくきてくれましたね、春人さん!」
どういうことだ? 状況がわからない。
ひとまず整理しよう。
呼び出しがあったから、行ってみるとそこには明らかにうちの生徒じゃないであろう幼女がいて、これはつまり……、
「迷子か……」
「ち、ちがわい! 私はここの生徒だ!」
って、ほんとだ。仮面に気を取られて気付かなかったけど、うちの制服を着てる。普通のサイズより小さいけど。
「それで。お嬢ちゃん、お名前は?」
「こ、子供扱いするなあ!」
顔はわからないけど、ぷりぷり怒っているのは伝わってくる。だって、体にめっちゃ出てるし。
やがて落ち着いたのか、彼女はこほんと咳払いをして、
「わたしの名前は……そうですね。ミスXとでもしておきましょう!」
「はあ……ミスXちゃん?」
ふふん、と胸を張るミスXちゃん。わざわざ名前を隠す意味はあるんだろうか?
「単刀直入に聴きましょう。今日、あなたの周りで変なことが起こりませんでしたか?」
「変な……こと……」
どうしよう、心当たりしかない。
「ずばり! 今、あなたを中心に『ツンデレパンデミック』が起こっているのです!」
「ツンデレ、パンデミック……?」
……なんだそりゃ?