百菜’s 001 「じゃあ、ありがとう、と言うことにしましょう」
「ごめんなさい」
彼女は、いつも泣いていました。
眼鏡の下の瞳は、いつも潤んでいました。
明るい髪の毛に相反する、ネガティブな性格。
責任感が強く、いつでも真面目に、誠実に物事を見つめる彼女は、その性格ゆえ、全てを抱え込んではいつも泣いていました。
北三原百菜。
それが、清廉で、素直な彼女の名前です。
「いえ、ですから。百菜さんの所為ではないですって」
痛む腕を押さえつつ、私は彼女をなだめます。
「しかし、その腕の怪我は紛れもなく、私の所為です」
「いいですって、これくらい」
「本当に、すみません」
一週間前。
十音さんの鼻が、季節の変わりをお知らせしてくれました。
「ぶえっくしょい! あーもう、どうしてこの辺は杉ばっかりなの?」
「しょうがないだろ? むしろ、お前がスギ花粉でやられている方が不思議だ」
イライラする十音さんを、完哲さんは宥めます。
青春結社の本拠地は、都市圏から遠く遠く離れた山奥の更に奥深くに位置しています。
どうしてここまで奥に追いやられているかと言われれば、それは我が王国の王宮に楯突いているからということに他なりません。
その他の地域は、焼き討ちにされたり、生物兵器で粉々にされたりと、無残に、無惨に潰されたそうです。この事実は、王宮内に幽閉というより監禁されていた私にとって、衝撃以外の何物でもありませんでした。なぜなら、私の知らないところで、こんな非人道的行為を働いていたのですから。反抗するに足りる、所以です。
まあ、どうしてそこまでして潰していたのかは定かではないのですが。
ともあれ、この青春結社が反王宮派の最後の砦というわけです。
「でもさ、お前んちって、杉の木で生計立ててたんだろう?」
「だからだよー!」
何事も、やりすぎは良くないということですかね。
好きなものを、好きだからといって、毎日のように食べたり飲んだりしていると、それのアレルギーになるという話を、私は先生から教えてもらいました。
「じゃあ、今日のパトロールどうする?」
完哲さんは、悩ましいと言わんばかりに顔をゆがめます。
「あたしは絶対やだから」
「はいはい」
完哲さんは、腕を組んで悩みます。
5秒、6秒と考えて、何か思いついたかのような表情を浮かべます。
不思議だなと見つめていると、彼は私の方を向きました。
自然と頬が熱くなります。
「な、なんでしょう?」
「パトロール、行ってみる?」
「わ、私ですか⁈」
「駄目かな?」
「駄目……では、ないですけど」
「じゃあ、百菜ちゃんを連れてっていいよ」
百菜さんは、意表を突かれたようで、呑んでいた水を口から吹き出しました。賭けている眼鏡も、その勢いでずれてしまいました。
「私もですか⁈ 先週行ったばかりなんですけど……?」
「だって、しょうがないじゃん。十音が花粉症でダウン。一乃は、いつものように一歩も外に出る気は無い」
「じゃ、じゃあ、子歌さんは?」
「子歌は、避難所巡りで、一度だってパトロールに出たことないじゃないか」
聞き慣れないフレーズに、私はクエスチョンマークを浮かべます。
あの高飛車な彼女が、避難所を回るなんて。
というか、そもそも避難所とはいったいどういうことなのでしょう。
「……避難所巡り?」
「そう。この辺の迫害された村の子供たちを楽しませる活動ってやつかな」
「……彼女が、そんなことを」
「あの子、案外根はいい子だからね」
では、どうしてあんな風な性格になったのでしょうか。
それは、また後日、本人から聞くことにしますか。
「だから、百菜ちゃんしかいない」
「修さんは? 修さんだったら、強いし、仲だって良いでしょう?」
「修さんは、俺が借りるから駄目だ」
修さんを見ると、相も変わらず無表情でした。
何を考え、何を思っているのか。
昔から今もなお、彼の思考は全く読めません。
「そんな……」
「嫌なの?」
「……そ、そうではないですけど」
両手の人差し指をつんつんと合わせ、下を向く百菜さん。
「じゃあ、決まりだな」
よし、と一息つくと、完哲さんは修を連れて、外に出ていきました。
首根っこをつかまれた修は、少しだけ嫌な顔から、諦念の表情へとすぐに変わりました。
あの顔は、『面倒だ』という顔ですね。
さすがに、十何年も一緒に住んでいると、表情くらいは読めます。
ただ、読めるのは表情だけなんですけどね。
「すみません、私なんかが一緒で」
まだ嫌そうな顔をする彼女に平謝りすると、
「い、いえいえ! こちらこそ、すみません」
と私以上に謝意のこもった頭の下げ方をしました。
これでは、私が悪いことをしているみたいです。
「あ、あの。そんなに、思い詰めないでください。命令とか、出してもらって構わないので」
「ありがとうございます、紫咲さん」
……紫咲さん?
あ、そうでしたそうでした。
そういえば、私は今、紫咲千陽として活動しているのでした。
なぜかと訊かれれば、答えは単純です。
『王女だと気づかれないようにするため』
それだけです。
まあ、それに加えて、別人として、人生を歩みたいというのもありますけど。
「でも、私はこの通り、戦うことに向いていません」
自分の卑下から始まるのも、彼女の十八番です。
「そんなこと、ないですよ」
肩をポンと叩くと、彼女はすぐに謝りました。
「すみません、弱音なんか吐いたりして」
彼女の涙は、本当に見たくないのです。
「いえ、ですから。謝る癖、やめませんか?」
「すみません」
「ほら」
自分でも気づいていないようで、彼女はすぐに口を押えました。
「じゃあ、ありがとう、と言うことにしましょう。その方が、気分が良いです」
「わ、分かりました」
「では、参りましょう」
私達は、誰もいない本拠地のドアを、静かにそおっと、閉めたのでした。