Final’s 002 「完ちゃんなのか、はっちゃんなのかってことです」
病院に着いた。ネームプレートを見ると、『東十音』『北三原百菜』の隣に書かれていた。4人部屋の東側奥に、彼女はいた。
「こんにちは」
僕が声をかけると、彼女は目をつむったまま「まさか」と呟いた。どうやら彼女は、目を開くことができないらしい。視力を失ってしまったようだ。
「完ちゃん?」
僕は、一瞬戸惑った。別に、自分の名前を言われなかったからではなく、彼女が涙を流したからだ。そして、そうだと言ってしまおうか迷ったからだ。
「……」
一瞬ためらった言葉を、吐き出す。
「そうだよ」
「やっぱり!」
彼女の明るい声が、心地よかった。
この日から、俺は―真中初志は、真中完哲になった。
もちろん、これは彼女の前だけである。
「やっと、出逢えた」
僕は、彼女の数少ない記憶に漬け込んで、歪めた。
「てか、大丈夫だったの⁈」
「もちろん。君を残して死ぬわけはいかないだろう?」
彼女は、微笑んだ。
僕には、見せたこともない笑顔だった。
「さすがだね」
それからというもの、俺は彼女の看病を続けた。彼女は両親に当たり散らし、親戚にも八つ当たりをしたが、俺にだけはしなかった。
それが、彼女の恋心―愛というものなのだろうか。
全く以て不思議である。
「また、お母さんたち変なこと言ってたんだよ?」
彼女は、怒りたっぷりに僕にぶつけた。
「どうしたの?」
「なんか、完ちゃんはもう死んだとか、そんなこと。ここにいるっていうのに」
「そうだよね」
俺は嘘を吐いた。
「ねえ、完ちゃんはさ」
少し声色を変えて、彼女は俺に問いかけた。
「なんだい?」
「離れたり、しないよね?」
少しだけ震えた声。俺は諭すように、
「もちろん。でも、あれだからね」
と伝える。
「あれって?」
「両親に当たるのは、良くないからね」
「……分かってるけど」
彼女は、信じているようだった。俺が、兄貴であることを。疑うことすら、ありえないと言わんばかりである。そんな彼女に、少しの罪悪感と、多くの優越感を感じた。
「えらいぞ」
試しに頭を撫でてみると、彼女は「えへへ」と言いながら、笑ってみせた。
気持ちが良い。
その一言である。
「じゃあ、今日はここで。また、明日ね」
「うん」
帰りの足取りは軽かった。夢がかなったようで、嬉しかった。世界がこんなにも明るいものかと、驚いたものだった。楽しくて、心地よくて、快くて。これ以上の幸せはないと思った。さらに言えば、医者の言葉が俺をさらに悦に浸らせた。
『きっと、彼女の記憶も視力も脚力も、治らないだろう』
それはつまり、俺がいなければ彼女は何もできないということ。家族との関係がグダグダになった今、誰が彼女につくというのだ。俺にしか、できないだろう。
さらに、バレることもない。
家に着くと、引きこもりだったはずの姉がリビングにいた。
「ど、どうしたんだよ」
「お前の性格をぶっ壊しに来たんだよ」
「……は?」
「まあ、良いから座れ」
向かいの席に座ると、彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「お前さ、今『彼女を守れるのは自分しかいない』とかなんとか喜んでんだろ」
僕は、反応しない。
「それが、崩壊するんだって話」
僕は、喋らない。
「記憶を引き戻すことができるかもってことよ。だてに引きこもりしてないわ」
僕は、聞かない。
「おや、黙っちゃった」
僕は、尋ねた。
「どうやるんだよ」
「簡単さ。夢の中に入るんだよ。皆で入れば、いろんなところの引き出しが開くだろう」
「やろうよ、それ」
僕は。
「あれ、嫌だとか言うのかと思った」
「何言ってんだよ。彼女が幸せになれる方法はそれしかないんだろ? 俺が幸せになったって、彼女が幸せじゃないと意味がない。そうだろ?」
「そうだが。お前は、そっちじゃない方が良いんじゃないか?」
「なわけあるか。俺は、彼女が復活できる方法があるなら、それを施行するに決まってる」
自分でも笑ってしまうほどの嘘だ。
自分でも驚いてしまうくらい偽だ。
自分でも悲しくなるくらいの欺だ。
自分でもおかしいと思うほど贋だ。
「じゃあ、やろう」
俺は、考えた。
その計画で俺が活躍すれば、きっと彼女は振り向いてくれる。
例え兄貴ではないとバレたところで、きっとこちらを向いてくれる。
観ないわけがない。見ないわけがない。
この後は、今までのとおりである。
わざと対立して、分かりやすいように敵と仲間を分けて、彼女の悩みを解決して、帰宅を試みる。
俺の計画は、自画自賛になるが、完璧といった良いだろう。
しかし、しかしである。
しかし、この人は。
「あなたは、どちら様ですか?」
覚えてなど、いなかった。
あれから。
夢の中から出てきた俺たちは、急いで彼女の寝るベッドへ駆け寄った。
「大丈夫かなー?」
「だ、大丈夫でしょうか」
「大丈夫だと、思いますけど」
それぞれの声が漏れる中、彼女は目を覚ました。
「……十音ちゃん」
東十音は、小さくガッツポーズをした。
「……修」
東条修は、涙を流した。
「……百菜ちゃん」
北三原百菜は、抱き着いた。
「……一乃さん」
錦塚一乃―もとい、真中一乃は、俺の首元に手を回した。その強さに、驚いた。
「……ええと、あなたは」
俺は。俺は。
「どちらなのでしょうか」
忘れられていた。
「ええと、忘れているわけではなく」
彼女は、上半身をあげて、それから。
「完ちゃんなのか、はっちゃんなのかってことです」
そう、言った。




