Final’s 001 「じゃあ、病院に行ってくる」
そろそろこの話の根本を公開するときが来たように思う。めちゃくちゃなところから始まり、めちゃくちゃなところで終わるというのも、確かにそれはそれで一貫性が保たれていると言っていいのだが、でもそれでは納得しかねる人もいるだろう。
だから、彼女の記憶がゆっくりと戻り始めた今こそ、明かすときなのだろう。
例えば。たとえばの話。議論なんて必要なく、理論なんてとっくに破たんした、机上の空論の話。想像という言い訳すらあてにならず、妄想という保健すら通用しないような、語るだけですぐ偽だとわかるような、創作話。
もしも、彼女が妹たちを助けようとしなければ、こんなことにはならなかったのだろう。
最悪な言い方をすれば、こんな契機はなかったのだろう。
通常のように兄貴が彼女と結ばれて、日常は彼と彼女で営まれて、非常も異常もない、幸福に満ち溢れた世界が、そこにはあったのだろう。
ありきたりで、当たり前で、ありがたい。
そんな毎日が彼らを待っていたのだろう。
「……嘘だろ?」
その時、俺はこの世界で最悪な男だと悟った。
そして、それを受容するほどの最低な人間だというのも、その時に分かった。
『蓼蔵町でひき逃げ 4人死傷』
新聞には、この文字列が淡々と並んでいた。
蓼蔵町というのは、俺が住む町で、子歌と共に生きてきた街で、引きこもりの姉と双子の兄貴と過ごした街で、彼女が引っ越してきた街である。
「どうせ、おじいちゃんとかなんだろうなぁ」
我ながら不謹慎で失礼な話だが、この町は7~8割が老人である。確率論的には老人が轢かれる確率の方がはるかに高いのである。
「……え?」
乗っていた顔写真に、ぞっとする。戦慄する。戦く。戦慄く。愕然とし、呆然とし、唖然とする。世界がひっくり返ったかのような衝撃が、俺を襲った。
「兄貴が、死んだ?」
真中完哲。身長180㎝越え。スタイルが良く、成績が良く、人当たりが良く、性格が良い。勝てるところなんて、一つたりともありゃしない。誰からも愛された、スターであり、ヒーロー。何倍もモテて、何重にも差がつけられた。
そんな兄貴が、死んだ。
「……この子たちって」
そして、幼馴染の妹もこの世から去った。
「……」
もう、言葉もなかった。
重傷者の名前に、聞きなじみなど無い方がおかしい。
東条千陽。どういう経緯で4人が一緒にいたのかは知らないが、彼女もまた、被害者の一人だった。
頭より速く体が動くのを感じる。風邪を斬る感触が、全身を覆う。机に椅子に棚に手すりにぶつかりながら、姉のいる部屋へと駆けていく。勢いよくドアが開く音がする。ここでようやく、それらすべてが自分の行動であると気づく。
「姉ちゃん」
「悪いね、伝えてなくて」
どういうことだよ、それ。
「言うタイミングを失った……ってのは、言い訳に過ぎないだろうな。この事件は昨日の夜だ。保育園に、妹たちを迎えに行って帰って来る時だったそうだ。お前、早く寝るから知らなかったんだろう。まあ、伝えなかったんだが」
「何で伝えてくんなかったのさ」
「そりゃ、伝えられるわけないだろ。どうやって言うんだよ、これを。お前がそんな性格なのに」
「……」
「お前、今本当は少し嬉しいんだろ? 兄貴が死んだことより、ちーちゃんが生きてる方が嬉しかったんだろう? そんな奴に、この事実をなんて伝えれば良いんだよ」
「それは」
間違いではなかった。自分でもおぞましいくらいに、その通りだった。
正直言って、三番目だった。
一番は東条千陽が生きていたこと。
二番は妹たちが亡くなったこと。
その次くらいだった。
「性格を直せなんてもう言える年じゃねえけど―つうか、引きこもりのニートに言われたかないだろうけど、やっぱりさ、勉強だけできればいいってもんじゃないんだよ」
勉強ができても、当たり前のことができなければ意味がない。
両親にも言われた言葉だった。
始めは意味が分からなかった。途中から意義が分からなくなり、最後は意味が分からなかった。結局何が言いたいのか。全然わからなかった。当たり前のことができるようになる。それは、その分勉強ができなくなるということとイコールだったから。どうして勉強を削ってまで、生きていく必要があるのか。そう思っていた。
そこで初めて気づいた。
この人たちは、努力を重ねることで才能に勝ってきた人たち。
でも、俺は。俺には。
勝てないくらいの才能を削ることしかできない、永遠の二番手。
「病院、行ってくる」「ちょっと待て」「なんだよ」「今の状況知らないだろ」「別に構わないさ」「駄目だ」「なんでさ」「彼女は今」「今何だよ」「記憶を失っている」「はあ?」「だから、お前は絶対に行くな」「……」「ここに残れ。お姉さんが相手してやるから」「……」「なんだよ」「……」「何で笑ってんだよ」
口論とも呼べないような、諍いの末、俺は答えた。
「なんで、そんなこと言っちゃうのかな」
それを知ったら、そうするに決まってんじゃん。
自他ともに認める、最低な人格。最悪な性格。
性悪なんて言葉じゃ軽い。悪者なんて言葉じゃ甘い。
鬼も怖がり、悪魔も嫌がり、地獄も避ける気質。
「じゃあ、病院に行ってくる」
最悪の悪だくみが、始まった。




