Pre-Final’s 001 「結婚してくれませんか?」
私は、不思議でした。
どうして私はここにいるのか。もしかすると、別の世界で生きていたかもしれない、そんな感触があること。夢では別の世界で生き、現実では彼らに懐かしさを感じる。そんな暮らしが続いていることに、私は疑問を浮かべていました。
不思議で、不可思議で、不可解でした。
『……こんなものなのかな』
私はそう自分を抑えていましたが、先ほどのリーダーの一言ですべてが砕け散りました。
「……姉ちゃん?」
私の脳が音を立てて回転します。血液が、脳に集中していくのを感じます。やがて、四肢の先は感覚を失い、五感の一つ一つがサービス終了と言わんばかりに次々と遮断されていきます。姉ちゃん。姉。姉貴。お姉さん。姉弟。一乃。完哲。パソコン使い。フレンドリー。引きこもり。少女。女子。女史。少年。男子。男志。早口癖。全知。何でもできる、男。修は愛している。では、では、では。完哲は。完哲には。何を考え、何を思う。想う思い。
「完ちゃん」
私は、とうとう気を失ってしまいました。
――――
私の名前は、東条千陽。どこにでもいるわけではない、女の子。4年以上伸ばしていた長髪は黒く、ガサガサです。私の景色はいつだって少しだけ。私に届く歌声も本当に少しだけ。私が食べられる味も、少しだけ。すべて、ほんの少しだけ。永遠に増えることのないはずだった、私の五感。
病院の4人部屋。窓が近い、きっとなかなかないほどいい部屋です。
なら、動けばいいじゃないかという人もいるでしょう。
確かに、同意です。同意見で、同調できます。圧力なしに、賛成できます。しかし、しかし、しかし。私はできることはやるタイプなのです。できないことはしないタイプなのです。
『できればやっている』
何度も何度も、私はそう言い続けました。
母に、父に。弟に、従兄弟に。叔父に、伯母に、祖父に、祖母に。そう名乗る全ての人に。
当たり散らして、喚き散らして。
とんだ、親不孝者です。
「なあ、千陽。今な、窓辺に可愛い鳥が止まってんだよ。可愛いぞ~」
彼は、そんな私にも同じように接してくれました。
視力を失った私にはその全容が分かりませんが、きっと彼が言うのだから、相当に可愛いのでしょう。
「そうなんだね」
当たり障りのないことを返すと、彼は「そうなんだよー」と返します。声だけでわかるほど、彼は鳥にメロメロだったようです。
「才能ってさ」
彼は、唐突に言います。あきらめにも似た、寂しい声色でつぶやきます。
「めっちゃ欲しいよな」
とんでもなく欲望のままに生まれた言葉に、私は失笑してしまいました。
「なにそれ」
「だって、あいつ―子歌なんか、また学年1位なんだぞ? しかも、生徒会長でめっちゃ可愛いし。んで、クリエイターなんだぜ? 完璧だよなぁ」
子歌-南万子歌さんは、彼の幼馴染で、私達の学校の生徒会長を務めているそうです。
「それなら、私だって色々欲しいよ。才能以外にも」
「優しさとか?」
「殴るよ?」
「そう言うとこだってば」
彼の笑い声はいつだって優しく、柔らかい。その声だけでも、私は癒されてしまいます。同時に、罪悪感に苛まれます。こんな私が、こんな彼の時間を奪ってもいいのか、と。
「おじさん言ってたよ。寂しいって。きっと、本音じゃないんだろうけど、それでもやっぱり寂しいってさ」
申し訳ない気持ちは勿論あります。そんなことをしたって、意味がないことくらい。それでも、私は、どうしても。
「だって、あの人―あの方って、過干渉だもん」
記憶力が限りなく低い私は、きっと本当にお父さんなのであろうあのおじさんが、分かりません。記憶力、視力、脚力を失った私は、その人の名乗る関係が本当なのか、分かるわけがありませんでした。
「だから、それは千陽が大切だからなんだってば」
でも、彼だけは本当だと信じられます。
彼には、嘘を吐くということが苦手に思えたからっていうのは、決して建前で、ただ単に、私が信じているというだけなんですけど。
「そう、なのかな」
「そうだぞ。だから、ちゃんと謝っとけよ」
彼は、いつだって声色に感情を乗せてくれます。それが本当にうれしくて、私はほんの少しだけ体が熱くなります。
「あ、あのさ」
「なに?」
「私、ちゃんと謝るからさ。皆に悪いことしたって、やり直せるならやり直したいって謝るからさ」
「どうした、急に」
焦っているのが分かります。
もしも。真人間に慣れるのだとしたら。罪を償って、それで戻れるのなら。
「結婚してくれませんか?」
二人の間に、沈黙が広がっていきます。




