第142.5話「いらっしゃいませはじめさん」
「はじめさんとは何者なのじゃ?」
「老人ホームの新人さんですよ、コンちゃんは知らないの?」
「うむ、知らんのう」
「なんでも逃げ出したみたいですよ」
「何故パン屋に来るのかの?」
今日もパン屋さんはのんびりした時間が流れているんです。
お客さんがいないだけなんですけどね。
わたしはトングを磨くのに手を動かしながらTVを見てるんです。
コンちゃんは「ぽやん」としてTVを見上げてるの。
「!」
そんなコンちゃんの目が、急に「カッ」って感じで見開かれるの。
「何か来るのじゃ!」
「ポン太? ポン吉?」
「うむ……足音の感じでは……別じゃ」
わたしだって野良でもタヌキだったんです。
耳をすませてみれば、確かに足音ですね。
『まもなく、しゅうてんゆえ~』
あ、レッドの声がします。
途端にコンちゃんの興味がなくかったのか、また「ぽやん」として、
「なんだ、レッドかの、どうせ千代とかその辺なのじゃ」
「ですよね」
まだ窓から姿が姿が見えないけど、さっきの声からするとお店の近くにいるみたいです。
「電車ごっこ?」
「そうじゃろう、『終点』と言っておったのじゃ」
「きっとTV見て影響されてるんでしょうね」
「うむ、この辺に電車も汽車もおらんからの」
「!」
って、今度は電話が鳴るの。
はいはい、今出ますよ。
どこから電話でしょ?
「はい、山のパン屋です」
『あ、ポンちゃん、私よ』
「村長さんですね?」
『そうそう、で、ちょっとお願いがあるんだけど……』
「?」
『はじめさん、そっちに行ってないかしら?』
「はじめさん……」
わたしの隣にコンちゃん来て、聞き耳立てています。
「はじめさんとは何者なのじゃ?」
「老人ホームの新人さんですよ、コンちゃんは知らないの?」
「うむ、知らんのう」
「なんでも逃げ出したみたいですよ」
「何故パン屋に来るのかの?」
「ですよね? なんで村長さんはパン屋に……」
窓にレッドが見えてきました。
レッドの後ろにはじめさん。
なるほど……
さっき足音がレッドにしては大きかったのはコレだったんですね。
わたし、電話の向こうの村長さんに、
「います、レッドと一緒にいますよ」
『お店にとめておいて、すぐ取りに行くから』
「取りに……来るんだ」
あ、電話切れちゃいました。
「あれが……はじめさん……かの?」
「ですね~」
「なにゆえレッドに付いておるのかの?」
「はじめさん、目が見えないんですよ」
「ほほう、そうなのかの」
って、ドアのカウベルがカラカラ鳴って、レッドとはじめさんが入って来るの。
「ポン姉~、ただいま~」
「おかえりなさい、手を洗ってきたらおやつにしますよ」
「はーい」
「ちょっと待って」
「?」
行こうとするレッドの頭を「ガシッ」。
しゃがんで目を同じ高さにすると、
「なんではじめさん連れて来ちゃうんですか?」
レッド、振り向いて、レッドのしっぽをつかんでいるはじめさんを見ます。
「れっしゃごっごゆえ」
「なんで連れて来ちゃうんです?」
「おともだちゆえ」
わたし、レッドからはじめさんをにらみます。
はじめさんは目が見えないから、にらんでも「どこ吹く風」。
わたし、レッドのしっぽをつかんでいる手を取ってゆすります。
「なんでレッドについて来ちゃうんですか~」
「何、老人ホームで会ったからの」
「勝手に出てきたらダメでしょ」
「あそこの園長は陰険だから好かん」
「お酒を飲もうとするのがいけないんでしょう」
「お酒は人生の友なのじゃ」
わたし、ついついコンちゃんを見ます。
コンちゃん眉をひそめて、
『何故わらわを見るのじゃ』
『ポン太からお酒をだまし取ってますよね』
『あれはわらわに供しておるのじゃ』
はじめさん、レッドのしっぽをゆすって、
「これ、レッド、お酒があると言っておったろう」
「はいはーい」
「これ、レッド、お酒を出すのじゃ」
レッド、はじめさんの手をつかまえてから、
「ねぇねぇ」
「何じゃ?」
「おさけとはなんですかな?」
「は?」
「あさごはんにでますよ」
「それは鮭じゃ」
「さけとさけですよ?」
「……」
黙り込むはじめさん。
今度はわたしの方に向き直って、
「これ、酒を出すのじゃ、酒」
「ここはパン屋ですよ、お酒はないんです」
って、はじめさん、今度はコンちゃんの方を……
見えてないはずなのに、パッと向いてコンちゃんを捕まえるの。
それからコンちゃんのニオイをクンクンして、
「これ、何をするのじゃ!」
「この女から酒のニオイがする」
わたし、ため息ついてから、
「今、はじめさんが捕まえているのは女キツネですよ、ウソつきなんです」
「なぬっ!」
でも、驚いたのは一瞬で、
「どうでもいいから酒を出すのじゃ」
はじめさん、レッドとコンちゃんのしっぽをつかんで言うんです。
コンちゃんの髪は面白いようにうねってるけど、はじめさんは目が見えないからわからないんですね~
「だから、ここはパン屋さんなんですよ」
「しかしこの女から!」
って、はじめさん、今度はコンちゃんの顔やら髪をさわりまくり。
「ほれ、ヒラヒラの服になかなかの器量、これがホステスでなくてどうする」
褒めてるのか褒めてないのかよくわかりませんね。
コンちゃんもあきれて、髪のうねりも止まりました。
カウベルがカラカラ鳴って、村長さん闇黒オーラを背負って登場です。
「はじめさん、何脱走してるんですかっ!」
「うわっ! 園長っ!」
「さっさと帰って夕食して寝るっ!」
「は、放せっ!」
「黙らっしゃいっ!」
ああ、はじめさん、村長さんに引きずられて行っちゃいました。
「何じゃあれは、飲兵衛かの?」
「らしいですよ」
「ふむ」
「なんでもお酒を止めるために、ここに島流しになったそうです」
「ふむ、リアル爺捨てかの」
「まぁ、目が見えないのにお酒求めて脱走はたいしたもんでしょ」
レッド、わたしの手をにぎって、
「ねぇねぇ」
「はい、レッド、なんですか?」
「じいちゃ、つれてきちゃだめ?」
「ダメ……」
って、レッド、ショボンとしちゃいます。
「連れて来ていいですよ、でも、ここにまっすぐですよ~」
「ほんと! やったぁ!」
レッド大喜びです。
コンちゃん不思議そうな顔で、
「めずらしいの、連れて来ていいなど」
「はじめさん、遭難しちゃうかもしれないでしょ」
「なるほど」
「コンちゃんにも協力してもらうよ」
「何故わらわかの?」
「おもしろいオモチャって思いませんか?」
「!」
「同じ飲兵衛で、きっと話も合いますよ」
「ふふふ、酒をちらつかせて、いじめてやるのじゃ」
ああ、コンちゃんのしっぽ、ブンブン振りまくり。
でも、はじめさんが遭難するよりは、きっとマシでしょ、ね。
それになんだか、いい友達になりそうな気がしますよ。
「どうだー!」
「ギャー! しっぽちぎれるーっ!」
「死ねしねーっ!」
ポン吉涙目でわたしをにらんでいるの。
「なんだよ、ポン姉のバカ」