13 夢
夜美たちと宮間の密談は、不安を大きく残す形で終わった。
現在、夜美は自宅のリビングで、とあるニュースを見ている。
「司闇襲撃、被害、3億を超える、か・・・」
「聡明」に泊まりにいった夜美たちに突如襲い掛かった、「司闇」の牙。亮夜はそれを阻止するために戦い、何とか追い払うも、凄まじい被害を出してしまった。
その後、宮間から事情徴収を受けて、一部を脚色して、警告。どうやら、夜美と、そして亮夜の意図通りにいったようだ。
新たな司闇の血族、司闇華宵が世間に現れるのは、まだ先のようだった。いや、その兄にして、次期当主である司闇闇理も、魔法界のニュースには出ていないので、当分は公表するつもりはないに違いない。
別口の情報収集源は、現在止まっているから、事実を確かめるすべはないのだが、宮間は亮夜から聞き出した情報を、当分は秘匿すると口約束してくれたので、きっと問題はないだろう。
とりあえず、自分たちが政府に晒されるという事態は回避できたので、この件に関しては、勝利したと見ていいだろう。
それでも、夜美の心は晴れなかった。
「お兄ちゃん・・・」
現在、亮夜が外出中。しかも、他の女の子と会っているというのだ。
自分は決して、血を分けた実の兄に、恋愛感情を抱くような、アブノーマルな女の子ではないと思っている。あくまで、兄を敬愛しているだけだ。
そうだとしても、亮夜を独占したいという欲望は、否定することが出来ない。
今、自分の機嫌をよくすることが出来ることと言えば、亮夜が戻ってくることだけだ。
やり場のない怒りをどうにか抑えるべく、夜美は一計をとることにした。
その日、亮夜はとある飲食店にやってきていた。
薬の副作用により、身体と精神が不安定になり、一日の活動量が明らかに低下してしまっていた。許容量を超えれば、たちまち幻覚を引き起こす。結果として、この1週間ほど、一日の大半をベッドの上で過ごすことになった。幸い、睡眠時間を過剰にとる必要はなかったので、夜美を過剰に縛るということにはならなかった。それでも、亮夜の看病に、亮夜の代理として仕事をかなり任せることになったので、亮夜には大きく罪悪感を残すことになった。
本音を言うならば、この密会も、拒否して帰りたかった。
それでも、相手が相手であるということと、散々待たせたこともあって、これ以上断るのは非現実的であったのだ。
「・・・それで、身体はどう?」
目の前にいるのは、鏡月哀叉。聡明の一件で深く関わり、学校でも親友(?)と言える仲の女の子だ。
「ひとまず。無暗に行動しなければ、平気かな」
哀叉が心配げに尋ねると、亮夜はどっちつかずな返答を返した。
「・・・よかった」
その答えを聞いて、哀叉はほっと胸を撫で下ろした。
「・・・どうして?」
なぜ、そんなことを口にしたのか、今の亮夜には分からなかった。
無暗な思考を避けようとしているから、推理などを避けようとしている。
彼は無意識の内に、そう判断していた。
「・・・だって・・・」
哀叉の頬は赤らみ、目からは涙が出そうになっている。
残念ながら、亮夜には分からなかった。
「私は・・・」
何とか言葉をつなげようとする哀叉。
亮夜はそれを、ただ見詰めているだけだった。
「・・・あなたに・・・いてほしい・・・」
哀叉はそう発言した。
聞き様によっては、告白と勘違いしてもおかしくないのだが、亮夜にはそう伝わらなかった。二人にとって、それがよかったのか、悪かったのかは、誰にも分からないだろう。
「そうか」
亮夜はただ、そう返した。
ただし、その表情には、僅かに笑みが浮かんでいた。
結果的に、ほぼ収穫を得られなかったに等しい、RMGの黒尾たちは、ひとまず本部に帰還していた。
「申し訳ありません。大した成果はあげられませんでした」
「そうか」
黒尾の部下の一人が、総帥に向けて報告している。
黒尾は、ほとんど口を利けないタイプだ。基本的に、この手の報告は全て、部下が代理で行っている。
「しかし、このデータ・・・なかなか興味深い」
部下から失敗の報告を受けても、総帥は激昂することなく、別のことに興味を抱いていた。
「黒尾の奴、単独でこのデータをとろうとしたとはな」
「どういうことです?」
書類として出したものを含め、今回の任務では、大した成果は出ていないはずだ。
そのことが疑問に思って、部下は思わず口を挟んだ。
「舞式亮夜の戦闘データ・・・。まさか、こんな技術を実現させていたとは思わなかった」
一部分だけだが、と付け加えた一言は、部下には聞こえなかった。
「では、次のターゲットは」
「いや、今、奴の周囲を刺激するのはまずい。政府はともかく、「司闇」との対決は、今は避けるべきだ」
代わりに、部下がアイデアを出そうとしたのを、総帥はあっさり却下した。
「我らが知り得た情報を、奴らが知らないはずがない。それに、未確認情報だが、奴らの一部が、キョウト地方に集まっているという情報も届いている」
総帥の脳裏には、この時期に起きるイベントを連想していた。
修学旅行に向かうキョウト地方で、数年に一回くらいの頻度で、謎の誘拐事件が発生していることを。
「そろそろほとぼりが冷めている以上、また奴らが誘拐を目論んでもおかしくない」
「では?」
「キョウトを中心に諜報を行え。実働部隊は待機と伝えろ」
「了解しました!」
部下が新たな指令を受け取り、部屋から去った。
一人になった部屋で、総帥は深い思考に沈む。
(あのニュースは真実なはずがない)
(奴らめ、どこに狙いをつけた?)
(・・・いや、まあいい。いくら「司闇」といえど、神には勝てぬ)
(そして、圧倒的な力にもな)
(我らは必ず、報復する・・・!)
少しずれがあっても、今の所、計画が破綻している部分はない。
残すピースはあと少し。
そのときこそ、
世界征服のために、立ち上がる瞬間だ。
8年かけた、その野望を。
飲食を終えた亮夜と哀叉は、近所の川にやってきていた。
昼ではあるが、人はそれほどいない。もう少し暗ければ、シチュエーション的にはよいのかもしれないが、当の二人は、そんなことは考えていなかった。
それどころか、今は雨が降っている。
大きな橋の下で、二人は雨宿りをしていた。
「・・・天気予報をよく見ておくべきでした」
哀叉がそう後悔しているかのように呟く中、亮夜は空を見上げていた。
灰色に染まった空からは、雨が降る。
世界の、自然の常識ではあるが、別の見方もできる。
人間の、魔法が作り出した、雨という見方が。
放出された魔法は、力を失い、ただの精霊となる。
その精霊は、地域や発生した魔法に影響され、再び魔力を持つ精霊となる。
多大なる精霊は、自然にも影響を及ぼす。
それが、火を生み、風を呼び、地となり、水となる__。
「・・・亮夜?」
その声を聞いて、亮夜の意識は現実世界に戻った。
「ごめん、考え事をしていた」
「今日はずいぶんとぼんやりしていますね。やはり疲れが溜まっているのでは?」
思わぬ指摘を受け、亮夜は再び思考の迷宮に入り込んだ。
確かに、まともに気を抜くのは、夜美を前にしている時だけだ。それ以外は、どんな時であろうと__たとえ、眠っていようが__、最低限の気は張っているつもりだ。
実際、疲れは既に感じているのだが、哀叉にはっきりと指摘されるほどだとは思わなかった。
「・・・あれだけやったんだ。疲労しない方がおかしいよ」
「それは・・・そうですね・・・」
哀叉は、あの夜、亮夜と夜美が何をしていたか、宮間に教わったことにより、大体知っている。
「ですが、「司闇」に襲われてなお、こうして普通にいられるのは、素晴らしいといいますか・・・」
ただし、亮夜と夜美の真の立場は知らない。
「そんなことはない。本当は、夜美だけを連れて、逃げたかった」
「・・・え?」
亮夜の思いがけない告白に、哀叉は固まる。
「でも、出来ることなら、君たちを見捨てたくなかった。それが今回、僕たちも君たちも運がよかっただけなんだ」
哀叉からの言葉はなかった。
「僕はね、昔、全てを失いそうになったことがある」
「その時に、残ったのが、夜美だけだった」
「家も、家族も、魔法も、何もかも失って、この心も、本当は・・・」
亮夜の過去に、哀叉は何も口を挟めなかった。
「夜美は、本当なら、僕が失うはずのものを、手に取ることも出来た」
「僕を見捨てれば、家族と、共にいることも出来た」
「それなのに、全てを捨てて、僕を選んでくれた」
余りに凄惨な過去。
哀叉が、両親を殺されたことよりも、ずっと悲しい、壮絶な選択。
哀叉には、かける言葉すら見つけることが出来なかった。
「だからね、僕がここにいるのは全て、夜美が僕を選んでくれたからだよ」
「それが、僕の生き方を決めた」
「どんな世界にも、希望はある。それを追い求める」
「理想を、僕は捨てない。どんな現実だって、何もかも叶わない理想なんてない」
「・・・亮夜」
夢を語る亮夜は、哀叉にとって、まぶしく見えるものだった。
「・・・だから、あの時、君たちを助けることが出来て、本当によかった」
「1年前より、理想の選択をとることが出来た」
1年前と言えば、魔法協会の襲撃事件のことだろう。亮夜たちはあの時、いち早く離脱していた。
今回についても、早々と離脱したものの、実際には、足止めなども行っており、結果的に、自分たちを助けられたということだろう。__言うまでもなく、そこまでの高潔な思考があったわけではないが。
「・・・すごいですね。そんな大変なことがありながら、夢を追いかけられるなんて・・・」
「力と権力のみで支配できるこの世界がおかしい。「司闇」の虐殺を始め、そのような理不尽をたくさん見てきた」
「その人たちを、僕たちは救いたい」
「どんなことがあっても、最後は己の意思が問われると、僕は思っている」
本当に、この人の気力の高さには、尊敬の一言に尽きる。
哀叉は、亮夜の夢と、それを支える強さに、深く感銘を受けていた。
「・・・私も、その夢を応援します」
「ありがとう」
哀叉から受けた、応援には、他のものとは違う、決定的な光となる。
そんな予感を、亮夜はしていた。
その後も、亮夜と哀叉は、お互いの夢と過去を語り合った。
言うまでもないが、お互いの真実、特に、亮夜の過去は断片的にしか語り合っていない。
立場上、決して話すことが出来ない、裏世界の秘密。
亮夜がそのことを隠し通すことについて、何の罪悪感も覚えなかった。
そして、雨が止まず、結局、二人は雨に濡れながら帰宅した。
しかし、帰宅途中、亮夜の身に大きな異変が起きる。
「ぐっ・・・!」
精神力を使いすぎた(つまり、考えすぎた)ことが原因で、精神的な限界が来てしまったということだ。
精神的な離散が発生し始めるが、亮夜はこれを抑えて、急いで帰宅した。
離散に従ってしまうと、身体の崩壊に繋がってしまう。別に身体が溶けても__実際には違うが、見た目ではそう見える__、元に戻ることは出来るのだが、どうあがいても目立つ上、雨などと混ざる危険もある。
大急ぎで家に戻り、玄関までやってきたところで、亮夜は床に倒れた。
1分後、夜美がお風呂場から下着姿で出てきた。
「お、お兄ちゃん!?大丈夫!?」
いくら亮夜のことをよく知っている夜美でも、無理はないだろう。
部屋に勝手に戻っていたならともかく、玄関で倒れるなど、夜美には想定の出来ないことだった。
亮夜が着ていた服を乾かして、亮夜が変化しかけていた身体が元に戻るまで辛抱強く待った後、夜美は亮夜をベッドまで運んだ。
待っている間、ずっと下着姿のままだった夜美は、服を着替えた。
本当は、亮夜が戻ってくるのに合わせて、風呂上りの姿を見せてからかおうとしたのだ。
しかし、想像以上に遅く、のぼせそうになるまで入浴していた。
外の人に見られないよう、亮夜が入って少し経ってから姿を現そうとしていたのだが、それどころではなかった。
亮夜が意識を取り戻したのは、ベッドに戻ってから、1時間後の話だった。
「あ、気が付いた?」
「夜美・・・そうだ、玄関で倒れて・・・」
いつもとは少し違う、極一部分に身体を触れさせる程度だった夜美に、亮夜は申し訳なさそうに話しかけた。
「心配したんだよ・・・」
「ごめんね・・・。さっさと、この副作用とけないかな・・・」
「これから、たっぷり寝ることだね」
「そうさせてもらうよ」
そう言って、亮夜は再び目を閉じた。
まだ、夕食は食べておらず、眠るのにも早い時間だが、ひと眠りくらいなら付き合ってもいいだろうと夜美は思った。
しかし、直前までの醜態を思い出してしまい、夜美は顔を見せないように、うつ伏せで亮夜の横に潜り込んだ。
結局、夜美は一睡もできず、延々と身悶えをしないように、謎の忍耐をするはめになった。
「・・・どうしたんだ?そんなに顔を赤くして」
「・・・なんでもない」
まさか、真実を言うわけにもいかないので、夜美はただ、顔を赤くして俯いていた。
一方、目覚めた亮夜は、妹の痴態(?)に疑問を覚えながら、こんな状況に満足感を覚えていた。
その意識が表に出て、すっかり実体を取り戻した亮夜の顔には、笑みが浮かんでいた。
「・・・趣味が悪いよ、お兄ちゃん」
あくまでも照れ隠しのつもりで、夜美はそう言い返した。
「いや、違うよ。戻ってきたなって・・・」
しかし、夜美の予想は違っていた。
代わりに、亮夜から返ってきた言葉に、疑問符を浮かべる。
「あんなたくさんのことがあったけど、ここに戻ることが出来た」
「こうやって、またバカ、いや、普通にすごすことが出来ている」
「そんな当たり前に、嬉しくなっただけだよ」
このことをバカ扱いされたのはともかく、亮夜の言っていること自体は共感できたので、夜美は静かに頷いた。
「昔は、こんな夢を見ていたかもしれないしね」
「だからね、今、こうして夜美といられることが、本当に嬉しいんだ」
昔は、こんな夢を、夜美は見ていた。
「・・・もう少しだけ、この夢を見てていいかな?」
そうねだる亮夜は、まるで幼子のようだ。
ときたま見せるこの顔に、夜美が逆らえるはずがない。
「・・・いいよ。・・・おやすみ」
亮夜に身を寄せて、夜美は改めて眠りについた。
亮夜もまた、再び眠りについた。
二人の一日は、今回は早い時間で終わりを迎えた。
亮夜の側には夜美がいる。
夜美の側には亮夜がいる。
それが、二人の見ていた夢だった。
亮夜が世界を変える。
夜美が世界を変える。
今の夢は、まだ道半ばだった。
それでも、二人には迷いはない。
なぜなら、二人には、お互いがついているからだ。
日常でも、非日常でも、何があろうと、それは変わらない。
その事実が、二人の絆だ。
[続く]




