7 混沌
恭人との密談を終えた夜美は、亮夜と別れて、1年1組に戻った。
現状、無視で済んでいる嫌がらせだが、油断はするなと、亮夜から忠告を受けていた。
だから、足を引っかけようとするいたずらや、ぶつかってくる嫌がらせを回避することが出来た。
最も、夜美は悪意に敏感な異能があるので、その気になれば、黒幕を捕まえることも可能だ。
だが、証拠もなしに捕まえても、学校というルールには勝てない。勝負に勝っても、試合には負けるようなものだ。
だからといって、証拠を残す__つまり、わざと痛い目に遭う気も、夜美にはなかった。
そんなことをすれば、亮夜がどれだけ悲しむか、考えただけでも不安になる。
そういうわけで、しばらくはおとなしく、ただし実害は受けずに、イジメられようかと、夜美は甘んじることにした。
現在、1年1組は、修子と玲子が率いるグループを中心に成り立っている。高い魔法力と行動力、そして、権力を用いることで、次々と同学年内に味方をつけることに成功した。最も反発が大きかった男子たちも、様々な手で誑し込むことで、こちら側につき、クラス内で最も大きな派閥となっていた。
上手くなじめなかった少数派も、結局は降伏し、彼女たちに口を出すことが出来なくなった。
そして、最終的な目標は舞式夜美。
修子が強い恨みを持つのを、玲子が煽って、協力しているという関係に、クラスたちも巻き込まれることになり、ほぼ全員が、夜美に嫌がらせを行っている。
当たり屋、引っかけ、落書き、異物混入、ぶつけ、押し付けなど、無視からいきなり、やることがエスカレートしてきた。
そして、夜美を屈服させて、屈辱的な目に遭わせることが、修子たちの目標だった。
しかし、夜美はそう簡単に、嫌がらせに動じなかった。
物理的な嫌がらせは回避し、異物混入はほぼ手を出させず、押し付けや落書きは素直に引き受ける、といったように、大して手応えはなかった。
やがて、魔法授業の際にも、本格的に嫌がらせが始まるようになった。
誤射のふりをして、夜美に向けて飛ばす。
多人数で、リンチを狙う。
わざと、魔法を大量に放って、授業妨害をする。
それでも、夜美の魔力と身体能力、そして、精神能力の前には、大した妨害にもならなかった。
成果が思ったより出ない現状を見て、修子は焦りを覚え始めていた。
夜美への本格的な嫌がらせが始まって3日目。
嫌がらせのレベルがさらにエスカレートし、物理的な拘束をしようとしたり、断りにくい状況を作って、妨害するなど、陰湿な嫌がらせが目立つようになった。
それでも、夜美を前にして、上手いこといかなかった。
そして、ある時の授業__。
1年1組は、魔法による正確性を強化するという、授業を行っていた。
この嫌がらせに対し、快く思っていない、本質は善人な人物は少なくない。
だが、この猛烈な嫌がらせが、自分に向いたらどうしようと、保身を優先して、止む無く加担するという人物が大半であった。中には、面白半分で、夜美が明確に嫌がっていないからといった理由で、興味本位が強いという人物も少なくなかったが。
そんな中、魔法弾が、まだ並んでいる夜美に向けて飛ばされた。
言うまでもなくわざとで、指導員が目を背けているタイミングを狙って、夜美に攻撃を仕掛けようとした。
しかし、夜美はこれを、魔法で受け止めた。
その余波で、隣にいた女子生徒たちがよろけた。
「どういうつもりだ、舞式!?」
それを見逃さなかったある男子生徒が、夜美に向けて抗議した。
「このまま避けていたら、後ろにいる子に当たったよ」
対して、夜美は冷静にそう返した。
確かに、魔法の直線上には、男子生徒がきっちり並んでいたため、夜美が避けていれば、その人物に当たっていた。
夜美の発言でそのことに気づいた当人は、驚愕と同時に、感謝の意を見せた笑みをこっそり浮かべた。
一方、周りの人物も何人か、夜美の判断能力の高さを評価せざるを得なかったが、勝手に魔法を使ったという、問題点に引きずり込むことはできた。
「そういう問題じゃないのですの。無断で、規則外の魔法を使った。その問題がどの程度かお分かり?」
最初から並ぶ気もない修子が、夜美にそう難癖を付け始めた。
いつもなら、夜美は無視を貫くのだが、このテーマはそう無視できるものではない。
ここで引き下がれば、人命よりも、規則が大事だと認めることになる。
規則とは即ち、下らぬプライド、縛り付ける呪縛だと、夜美は認識していた。
さすがに、犯罪行為を平気で行える程、超然としていないが、人間として、正しい選択肢は、常に取り続けるつもりでいた。
それが、兄・亮夜を救う際に、己に課した決断であり、覚悟であった。
どのような理不尽であろうと、魔法師である以前に、人間であるために。
「あなたたちの使った魔法で、一人重症者を出すよりましだよ」
「よく言いますわね。そんなことを言って、いつか、私たちに復讐する気でしょう?」
「それはあなたたちでしょ」
「あくまで白を切る気なのですね」
「冤罪を認める気なんて、全くないよ」
修子と夜美の挑発合戦が繰り返される。
修子の態度と語気に、徐々に苛立ちが募っていくのに対して、夜美は冷静に、いや、冷徹に、雰囲気が研ぎ澄まされていった。
今までの、シャットアウトを続けていた、夜美の冷たさとは違う。今の夜美は、鋼の如き、空気だけで人を傷つけられそうな、冷え冷えとする冷たさを放っていた。1か月程前の、深夜を相手にした時と同じように。
いつもと違う夜美の態度に、周囲の野次馬は、焦りを見せ始めていた。裏を返せば、夜美が報復しないと見込んでの、嫌がらせであった。
それが今、不愉快な態度という形で、現れようとしている。
取り巻きたちが少しずつ後退する中、夜美と修子、そして、別の所で並んでいた玲子の3人が、睨み合っていた。
「はあっ!」
遂に修子が、魔法を使って、夜美を攻撃し始めた。
夜美は避ける気もなく、光のライフルが、夜美を貫く。
すると、夜美の姿が消えた。
「魔法!?」
目の前で姿を消した夜美を見て、修子は動揺した。
魔法を使ったのは、先ほど、受け止めた一回だけのはずだ。
いくら自分と互角に戦える(と思い込んでいる)とはいえ、魔法を使わなければ、あんな芸当は出来るはずがない。
いや、ライフルごと消えたならば、やはり魔法を使ったに違いない。
その推測は、突然、現れた。
背中から触感を感じた直後、意識を刈り取られた。
意識を失った修子は、そのまま前に倒れた。
その姿を、夜美は背後から冷徹に見詰めていた。
攻撃を受けたあの時、魔法を受け止めると同時に、複数の魔法を発動させていた。
魔法の源、精霊を実体化させて、映し出す魔法・「ミラージュ・スピリット」。
さらに「ライト・リバース」を使用し、自分の幻影と入れ替わる形で、密かに移動しておいた。
もし、「ミラージュ・スピリット」を使わなければ、本当に夜美が消えたと思い込むだろう。
魔法を感知出来る者がいたとしても、複数の魔法をまとめて感知するのは困難だ。現象的に言えば、夜美本人は全く動いていないので、そもそも見抜くのでさえ至難の業と言える。
挑発合戦までは、偽物の夜美の側におり(背後に回ったりすれば、耳が良ければ気づかれる危険がある為)、口論が終わろうとした時には、修子の背後に回っていた。
そして、攻撃された際には、偽物がライフルを受け止めてから、修子に不意打ちを仕掛けた。
ここでは、「ソウル・ヌルフィ」という、精神を刈り取る魔法を発動させた。
相手の精神に直接魔法をかけて、意識を奪い取る魔法だ。
出力を強化すれば、永遠に消し去ることも可能だが、言うまでもなく、夜美に殺すつもりはなかった。1分くらい、意識を奪う程度の出力だった。
ここまでした時点で、姿を隠すつもりもない。
修子を倒したのを確認して、夜美は姿を現した。
あまりの突然の展開に、一目で理解できた人物はいなかった。
いや、その過程が分からなかっただけというべきか。
夜美が何らかの手段を使って、修子を倒したという事実は、野次馬と玲子の全員が理解していた。
そして、ここまでくれば、夜美が明確に攻撃したという、証拠の完成だ。
少しの沈黙の後、凄まじいブーイングが、夜美を襲った。
夜美はもはや、まともに相手にする気もなかった。
ここまで来ると、ほぼ全員が狂気的に取り憑かれていることが分かる。
自分たちの尊敬する__どういう尊敬かは、一概に言うことは出来ない__修子を傷つけた(ただし、本当に傷ついていないことを理解した人物は存在しない)夜美を、吊るし上げるべく、咆えた。
修子と玲子が何を仕込んでおいたのは知らないが、そう決めつけていた夜美は、これ以上の抵抗は危険と判断した。
一応、止めるだけなら、楽勝なのだが、流石にこれだけの相手を無傷で倒す(夜美が、ではなく、相手が、である)のは、いくら夜美でも容易なことではない。
そもそも、今の立場からして、無暗に傷つけること自体、本末転倒だ。
授業を無視して、夜美は逃げ出すことを決意した。
この時、玲子が既に姿を消していたことを、夜美は気づいていなかった。
部屋から抜け出した夜美は、身を隠した後、亮夜のナンバーをプッシュした。
普通に考えれば、授業中である彼が応対するのもおかしいし、そもそも、夜美の性格からして、兄を煩わせるようなことを行うのもおかしいのだが、そのくらいの分別は二人とも区別をつけていた。
その証拠に、3秒にも満たない時間で、亮夜は応答してくれた。
「お兄ちゃん?・・・それで、1組と・・・うん、分かった。お願い」
亮夜から出された指示に従って、しばらくの間、身を隠すことにした。
その頃、亮夜は2年10組の教室で座学を受けていた。
一応、一般科目では秀才となっている彼でも、疎かにするつもりはなかった。
そもそも、秀才だとしても、学ぶべきことは沢山あるのだから。
そういうわけで、テキストを読み込みながら、心の片隅で妹を心配していた。
その予感は、携帯端末から知らされた。
本来、授業中の端末の使用は禁じられているのだが、亮夜は何の抵抗も持たずに、応対した。
なぜなら、その相手は、彼の妹、舞式夜美であったからだ。
「夜美?そうか、ついに1組でか・・・」
突然、端末を起動させて電話を始めた亮夜に、疑念の目が集中するが、有象無象の相手より、夜美の相手をする方が重要だ。この場では、指導教員がいないものの、たとえいたとしても、遠慮なく使っていただろう。
夜美から状況を聞いた亮夜は、作戦を立てて、夜美に伝えた。
「成程、そのまま続けていた方がいい。僕がこれから恭人さんや若井先生に手を打つ」
夜美との電話を終えた亮夜は、そのまま立ち上がり、教室を出ようとした。
「今の相手って、夜美ちゃん?」
そう発言したのは、亮夜の親友の一人、花下高美だ。
「うん、悪いけど、今から行かなくてはならない事情が出来た」
何とでも解釈できる発言を残して、亮夜は教室を出た。
彼が向かったのは、2年1組__ではなく、生徒会室だった。
亮夜がカードキーを通すと、扉は開いた。
このキーは、生徒会長の恭人と、書記の夜美による独断で、亮夜に渡されたものだ。
まさか、こんな場面で役立つとはと、少し自嘲気味に笑いつつ、亮夜は部屋の一角にある通信機を操作した。
この通信機では、学内にある機器と連絡をとることが出来る他、学内登録してある端末に連絡を出すことも可能だ。言うまでもないが、恭人を始めとする、生徒会メンバーの分も登録してある。亮夜たちの分も登録されているが、この生徒会から連絡を出されるという例は、この時点ではなかった。
恭人のデータを選択して、大至急来てほしいと依頼する。
3分後、恭人はやってきた。
「すみません、こんな時間に」
まず、亮夜はやって来た恭人に謝罪をした。
明らかに授業中に呼び出したため、よほどの人物でないと、気分を害するに違いない。
そのため、亮夜は最初に謝罪をしてから本題に入ることにした。
「お前がこんな時間に呼び出すということは、相応の事情があるのだろう?」
幸い、恭人は状況を理解していたのか、然程苛立っている態度は見られなかった。
亮夜がこの時期に呼び出すなど、考えられる件は一つしかない。
「はい。1年1組内で、暴動が発生しました」
そして、予想は一致していた。
「とうとうやりおったか。それで、お前の妹は?」
呆れながらそう発言したのは、1か月程前にもあった、学生同士の対立を連想して疲れが見えたからなのか、また嗣閃修子が何かやらかしたのかと呆れたのか、どちらもあり得そうだった。
だからといって、現実逃避をする意思を欠片も見せずに、亮夜に確認を求める。
「授業を抜け出して、逃げることには成功しています」
「・・・生徒会長として、見過ごしたくはないのだが、仕方あるまいか」
平然とサボタージュ宣言をする亮夜に対して、恭人はまたしても悩まされることになるのだが、物事の優先順位はきちんと弁えていた。
「私は1年1組の使用した演習室に乗り込み、直接捕縛する。お前は夜美の方に行ってこい」
今、優先すべきことは、1年1組内で起きた暴動を止めることだということを。
しかし、恭人たちの予想に反し、1年1組は想像以上に過激に動いていた。
なんと、ほぼ全員が授業をボイコットし、夜美を追っていたのだ。
恭人がついた時には、少数と、担任の若井がいただけだった。
「これほどとは・・・」
「会長!」
「恭人君!どうして君が!」
若井は、1年1組の担任を務める先生の一人。
この学校の先生でも、20代とかなり若いが、実力も指導力も証明済みだ。
最も、この惨状を見て、とてもそうだとは思えないのだが。
「匿名通報で、ここに駆け付けました」
「あの、会長・・・」
見るからに小さい、可愛げのある男子生徒が不安な声で話に割り込んできた。
彼が話してくれた内容は、1年1組の暴動の原因だった。
「・・・そうか。想像以上に面倒なことになったな」
事情をある程度知っている恭人でさえ、この厄介ごとの大きさに、苦い顔をした。
「私では止められませんでした。恭人君、無礼を承知で頼みます」
若井は、恭人に土下座して、頼み込んだ。彼は、恭人を生徒会長ではなく、「冷宮」として扱っていた。
「どうか、この喧嘩を止めてください!」
最も、恭人は始めからこの事件を解決するつもりでいた。そして、この先生は、思ったより頼れないと、失礼なことを考えていた。
「分かっています」
だからといって、そんな態度を何一つ出さずに、恭人は承諾した。
夜美は現在、放送室に隠れていた。
彼女がここを抑えた理由は、通信の主導権をとるためだ。
もし、修子たちに放送を使われれば、事情を知らない人全員を敵に回される危険がある。
特に、先生を敵に回せば、恭人たち生徒会ですら庇いきれない可能性がある。
万が一すぎる可能性とはいえ、あまりにハイリスクとしか言いようがなかった。
__結果的に言えば、この判断は正しかった。
外から、ひたすらガチャガチャと、扉を開けようとしている。
全ての雑音を無視して、夜美は扉の死守をしていた。
ここまでされても反撃に転じないのは、亮夜たちが動いてくれていると夜美は確信しているからだ。
部外者が手を出すというならば、自分が過剰防衛に問われることは一応ない。
既に、放送室の立てこもりと、そのための魔法使用という、完全にアウトな行為を行っているのだが、もはや気にする必要すら、夜美にはなかった。
そして、夜美の期待は予想通りとなった。
外の激しい抵抗が止む。
放送室の扉がノックされた。
「夜美、いるよね?」
聞き間違いようのない、優しい声。
夜美がドアを開けると、その場には、亮夜と恭人、そして、捕まえられた1年1組の多数の生徒がいた。




